実はこんな感じだった学術大会:博多湾の風が運ぶもの(平成26年5月25日~5月31日)】


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図1. メイン会場の福岡国際会議場の前には、シンボルのポスターが掲げられている。昨夜の雨が嘘のような透明な五月の空にオレンジを基調にしたポスターが映える。コングレ社はいいポスターを作ってくれた。デザイン関係は、福岡支社は本当に優れていた。(クリックで拡大)

 久しぶりにジョギングをすると、博多湾からの風が心地よい。これは、古来アジア大陸から九州に吹いてくる風だ。僕もようやく肩の荷がおりた。教授になったときに、神経学会総会(今は学術大会という)と九州大学神経内科設立50周年記念式典を無事成し遂げるのが、課せられた課題の一つだった。20年前の第35回大会では、大会長の後藤幾生先生(第2代九大神経内科教授)が学会直前に亡くなられるという不幸があったため、九大神経内科としては神経学会総会を盛大に執り行ないたいという長年の思いがあった。第55回大会(図1)の開催にあたっては、個別に挙げることは不可能なくらいにたくさんの方にお世話になった。心から感謝申し上げたい。

 実は、丁度、1年前の第54回大会時、名古屋の祖父江逸郎名誉教授に袖を引き留められた。その時僕は、第55回大会をどのような方針でやるべきかで悩んでいた。地方開催は人も多くは集まらない。いきおい参加費収入があまり期待できないから予算は厳しい。学術的に地道にやるか、それとも大赤字覚悟で思い切って人を呼べそうな面白いものにするかで決めあぐねていた。祖父江大先生は、「大会がマンネリ化してつまらないから、面白いものをやれ」と言う。それで僕も「新しいことをやろう」と腹が決まった。新しいことをやるためには、最低でも2億の金を集めねばならない。折悪しく消費税も5%から8%に引き上げられる。果たして地方開催で、十分な数の会員がお金を持ってきてくれるか、ランチョンセミナーなどの企業協賛は十分な数を確保できるか、全く見通しのつかないまま、様々な新しい企画を学術大会運営委員会に持ち込んだ。

 結果は、地方開催であるにもかかわらず、参加者総数6716名、うち有料参加者6273名と、総参加者数も有料参加者数も過去最多となった。共催セミナー数も過去最多となり、収入は過去最高となった。有料参加者の中には、非会員の方も過去最多の982名(前回は541名)含まれており、その多くは企業からの参加者である(なおこれ以外に非会員であるメディカルスタッフの学術大会本体への参加 [メディカルスタッフ教育セミナーは含めないで] が112名あったので、非会員の学術大会への参加は合計1094名だった)。企業から神経学会会員へ共催セミナーを通じて情報の提供を受けるだけでなく、学術大会プログラムを通じて企業側へ神経内科医療と研究の現況の適切な情報提供を行うという双方向性の流れが望ましい。そのような視点から企業へは何度も開催案内を送った。来てくれる会員数には限りがあるので、いかにして非会員に足を運んでいただくかが成功の鍵といえる。消費税増税分も含めて支出も増えたのだが、十分な金額を第56回大会の準備資金となる予備費に回せる見通しとなって、本当によかった。福岡までおいでいただいた多くの参加者の皆さん、参加者を引き寄せる魅力的なプログラムを作ってくれた学術委員の皆さん、そして学術大会の趣旨に賛同して協賛していただいた企業の皆さんのおかげである。また、九大神経内科の教室員、同門、関連病院の先生方にも多大なご支援をいただいた。重ねて感謝の意を表したい。

 これから神経学会学術大会としては初めて英文の写真記録集を作成することになっている。学会期間中は専門のカメラマン(経費に制限があるため一人しか雇えなかった)とカメラが趣味のタナカ君にたくさんの写真をとってもらった。詳細な写真記録集は、海外からの全ての参加者、学術委員には、無料でお配りする予定である(なおご希望の方は、ホームページから実費負担で申し込むことが可能)。が、忘れる前に雑感を順不同で書き留めておこう(プロの写真はまだいただいていないので、ここに載せるのはうちのアマチュアによる)。

 実はいろいろな新企画を学術大会運営委員会に持ち込んだが、どれも予算措置が要る。神経学会の収支は改善してきてはいるものの、プラスは毎年の学術大会の余剰金に負うところが大きい。いきおい金のかかる企画をやって、余剰金が減るのは財務委員会でしぶられる。まずいことに学術大会運営委員会も財務委員会も東大神経内科の辻省次教授が委員長で、学会一番の学術重視・アンチ社交行事派である。「毎日ソーシャルイベントをやっている」と嫌みの一つも言われる。ただ、辻先生とは米国NIH以来30年の付き合いである。海外の一般演題演者に総額1000万円のトラベルグラントを出しましょうと太っ腹に認めていただいた。よかった。これで母国に帰ったうちの海外留学生を久しぶりに福岡に呼べる。多くの新企画は継続する方針が決まったが、唯一レジデントクリニカルトーナメントだけは継続が認められず、第55回大会だけの事後承諾ということで押し切った。レジデントクリニカルトーナメントは会員の評価を聞いて第56回大会以降の継続は決めるという落としどころになったのである。

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図2. レジデントクリニカルトーナメント会場の様子。1000席の会場が満員近くになった。前方の列は予選参加チーム。ワイン片手にアンサーパッドで回答する。(クリックで拡大)
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図3. 質問と回答。これは息抜き問題なので点数は10点。回答は大きく割れた。回答の割れ具合をみながら、解説者の谷脇先生が当意即妙の説明を加える。(クリックで拡大)
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図4. 予選では、5題ごとに集計結果を順位で示した。18題目からは1題ごとに集計結果を示す。会場は一喜一憂して盛り上がる。(クリックで拡大)
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図5. 準決勝は、壇上に5チームがあがって回答する。(クリックで拡大)
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図6. レジデントクリニカルトーナメント表彰式で。激戦を制した京大チームと握手。スバラシイの一語に尽きる。専門医試験だけは必ず通ってね。教育委員長として、今回の参加者全員にエールを送りたい。(クリックで拡大)

 そんな経緯もあって、実はレジデントクリニカルトーナメントだけは、なんとしても僕は成功させたかった。国際会議場メインホールは1000席の大ホールである。まずこれがどの位埋まるかが、大いに気がかりだった。幸い出場チーム数は、45チームとまずまず。会場には次々とワインとチーズを片手に若手も年配も入ってくる(図2~6)。おお、これは意外にいけるか。予選45チームは会場中央前の方の列からアンサーパッドで20題答える。回答は5択で、アンサーパッドは何チームがどの回答を選択したかが壇上のスライドに即座に出る優れものである。回答が割れると会場がどよめく。設問の難しさに応じて、10点から100点まで点数が振られている。答は1問ごとに壇上の久留米大学神経内科の谷脇考恭教授が解説する。5題ごとに集計結果を示す。上位チームを点数順に20チーム、獲得点数とともにスライドで出す。上位10チームが壇上での準決勝に勝ち上がる仕組みである。予選は順調で、大いに盛り上がった。

 ところが、準決勝1回戦5チームに壇上にあがってもらうと、アンサーパッドの状態が悪く全チームの回答が出てこないという思いがけない故障に見舞われた。実はこのアンサーパッドシステムはン十万円もすると当初聞いて、あまりに高いので値切ったのだが、それがまずかったかとの思いがよぎる。これはどう対処したものか、非常事態である。こんなとき、学術大会の運営を請け負っているコングレ社の担当者は右往左往してあてにならない。これはアンサーパッドが不調で使えないという事態を想定していないためである。主催校でなんとか対応しないといけない。中止せざるを得ないかと思ったが、質問の答えの時間を1秒ごとに20秒間カウントするカチ、カチという音に合わせた会場からの手拍子に背中を押される思いになる。そこで、紙に回答番号書いて掲げてもらうことに。ヨネカワ君の臨機応変の司会で、準決勝、決勝は大いに盛り上がった。準決勝を勝ち上がって、決勝に臨んだのは、京都大と慶応大である。最終問題まで逆転のチャンスがある展開となった。激戦の結果、記念すべき第1回の覇者は京都大となった。学術大会の清算はこれからだが、コングレ社がどんなに言ってきてもアンサーパッド代だけは絶対に支払わない。

 レジデントクリニカルトーナメントは、上記のような展開で思わぬアクシデントに見舞われた。ただ、僕はなんとか学術大会運営委員会でこの継続を決めてほしいと願う。レジデントクリニカルトーナメントは、いわばクイズを通じて神経内科の教育をしようとする試みである。このクイズは、うちの神経内科専門医資格をもっているスタッフや院生が真剣に練り上げ、学会教育委員会委員長の僕も準決勝以上の問題は半分しか正解できなかったという代物である。今回、大会での学術的発表に対して優秀演題を表彰する様々な賞を設定したが、京大神経内科は学術大会最優秀ポスター賞(基礎)とInternational Session Best Poster Presentation Award (Second Prize)を、慶応大は学術大会最優秀口演賞(基礎)をそれぞれ受賞している。これは同医局に若い優秀な人が育っていることを意味しており、レジデントクリニカルトーナメントの結果はそれを反映していることが示唆される。別の視点から見れば、クイズ問題は優れたレジデントチームを選別する良問であったともいえよう。もっとも慶応大レジデントチームには、第111回日本内科学会総会内科学サミット2014で優秀指導教官賞を受賞しているナカハラさんが、専門医資格をまだ取っていないということで入っていたが、これはインチキに近い気もする。ところで我が九大チームは、予選はほとんど満点のトップ通過で、このまま突っ走ると問題が漏れているとのあらぬ疑惑をよびはしないと心配したが、準決勝であえなく敗退。うちの受賞は学術大会最優秀口演賞(臨床)(これはレジデントクリニカルトーナメントの司会を務めたヨネカワ君)だけだから、まあこんなところが医局の今の実力である。もし続くなら次回は、参加レジデントといっしょに問題を予想して優勝を狙いたい。準決勝に残っただけで祝杯をあげたチームもあったと聞く。実際、準決勝に残ったチームは、皆すごいと僕は思う。実は東大の辻さんには何度か東大チームも参加してもらえないかとお願いしたが、頑として首を縦に振らなかった。まあ参加レジデントと教授がいっしょに質問を予想して勝利を狙うくらいが、世代間コミュニケーションにもなっていいんじゃないかと僕は思う。

 ところで僕が神経学会総会に初めて参加できたのは、神経内科に入局して10年も経ったころである。大学所属の場合、演題を発表しない限り総会には行きにくい。総会での一般演題は、通常研究発表であって症例報告は受け付けない。これでは入局して数年の若手医師(専門医試験を受験する前のレジデント)は参加する術がない。卒後10年近く経って初めて総会に参加するころには、すっかり世慣れし頭も固くなっている。まだ気持ちのすれていない、若い頭脳に神経内科の研究の最先端や大会長講演に直に触れさせることが、次の世代を活性化すると思う。今回は、レジデントセッションや初期研修医セッションを初めて設けて、症例報告も受け付けた。症例報告を総会(学術大会)で発表させてという批判があることは承知しているけれども、レジデントに発表の場を提供し、優秀な発表は皆の前で表彰した方が若い人たちの刺激になると思う。レジデントクラスがアクティブに学術大会に参加する機会を増やすことが、次世代を育てることにつながると信じている。

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図7. 医学生初期研修医セッションの座長をしていただいた辻先生と平野先生。平野先生はしっかり予習しておられたのに、驚いた。とてもいいコメントをされた。(クリックで拡大)

 医学生・初期研修医セッションは初めての試みだった。医学生のうちから神経内科の学術大会にearly exposureして、神経内科の雰囲気と将来性に触れてもらい、神経内科を志す人を少しでも増やしたいという思いからである。医学生は、全国から86名もの参加があった。医学生には、学術大会の一般演題発表はやや難しすぎたようだが、米国アイオワ大の木村淳先生(京都大学神経内科名誉教授)の講演は、とてもおもしろかったとの評判だった。木村先生は、「日本人は10を知って1しか言わない。アメリカ人は1知っていたら10言うので、日本人は負ける。」とか、長い滞米経験に根ざした話をされたので、医学生には大うけだった。進路を神経内科に決めたという話を又聞きすると、主催者としてはとてもうれしい。ただ、今回は初めてのことであまり知られておらず、旅費がこれだけもらえるとわかっていたら参加したかったのにという医学生の声も後で聞いた。今後も医学生のトラベルグラントを学術大会事務局で負担することを周知して、ぜひ継続してほしい。下は18歳の医学部1年生から上は90歳近い名誉教授までcross generationalな参加があったのも、本学術大会の特色なのである。特に名誉教授クラスには、「私の○○○シリーズ」のレクチャーで、ご自分の神経内科医人生を語っていただいたくことができたのは、ありがたかった。もっとも僕は、医学生・初期研修医セッションの座長をお願いした平野朝雄先生(米国アルバートアインシュタイン医科大学)が途中で倒れでもしたらどうしようかと、ずっとハラハラしていた(図7)。無事に終わって本当によかった。

 第55回大会では初めて海外から100題を超える一般演題の応募があった(最終的には110題に達した)。国内からの英語セッションへの一般演題応募も多数あり、おかげで4日間にわたって終日、2ないし3会場でInternational Sessionを全て英語で行うことができた。全発表で英語比率が20%を越えたのは本大会が初めてのことである。会場数が多かったので、会場によっては入りが少ないところもあった。しかし、関心の高い人が視聴していたため、ホットなディスカッションが多くの会場で行われていた。初めての終日International Sessionなので、質はピンからキリまでというのは承知している。継続することで質は毎年確実にあがっていく。International Sessionでは、Best Oral Presentation Award (First prize)にBoston University Medical SchoolのAsai氏、Best Poster Presentation Award (First Prize)にTaipei Veterans General HospitalのLin氏が、同セッションの担当委員や理事の投票によって選ばれた。海外からの一般演題応募者が受賞したのは、海外から質の高い演題が応募されたことを表しており、大変よかったと思う。

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図8. 用意したウチワの表には、第55回大会の記念シール。裏に墨書する。これはボランティアの先生が書いてくれた、とても味わい深い字。(クリックで拡大)
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図9. Congress Dinnerの大会長挨拶で。ウチワを持って壇上にあがり、シールだけ貼っている表の白い方を示してから、クルッと裏側に回して墨書された漢字を示す。(クリックで拡大)
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図10. 学術大会事務局で編集した福岡グルメガイド。ムライ君が紹介記事を書いた力作。事務局長のムライ君には大変お世話になった。途中、倒れないかと心配だった。(クリックで拡大)

 ところで学術大会初日から、よりによってInternational sessionのOpening Lectureの演者が家族の急病で来られなくなったり、特別講演のAsian Oceanian Association of Neurology の会長が転倒して腰痛のため来日できなくなったりと、アクシデントが続き、スタッフはその都度対応に追われた。ビザはとったがパスポートを紛失したのでドタキャンするというのには、さすがに頭にきた。国内学会では、海外の人は自分の招待講演が終わったら日本観光のためエスケープすることが大部分なので、会場では海外の人の姿は通常まばらである。しかし、今回は学術大会場でも懇親会場でも4日間を通して海外の方の姿が目立った。これはあとで画期的だったとの声を多く聞いた。海外からの一般演題を呼び込むのに、コングレ社の海外ネットワークは全く役に立たなかったが、かつて九大神経内科で勉強し今は母国で活躍している海外留学生が、多くの若手を連れて参加してくれたのは、とてもありがたかった。心から感謝している。

 実は会場内では、海外の方のために10数畳もある広い和室を二つ使って、書道教室、茶道教室、折り紙教室を開いた。初日、あまり入りが多くなかったので、2日目のCongress Dinnerの大会長挨拶では、海外の方にうちわに墨で大きく、「九大」、「吉良」と書いていただいたものを示して、My Own Japanese Fanを作成してみないかと受講を勧めた(うちわに自身で墨書する)(図8、9)。また折り紙は、本当に見事なものである。挨拶のせいか、3日目、4日目は入りが多くてよかった。茶道では海外の方に一服して息抜きしてもらえたのではないかと思う。福岡市のボランティアの方には大変お世話になり、ありがたかった。また、手製の福岡グルメガイドを作成し、無料配布した。これは事務局長のムライ君が直々に取材して文章を練ったという力作である(図10)。福岡らしい「おもてなし」を心がけたつもりだが、海外の方にうまく伝わったかなあ。

 Telemedicine sessionは、大会会場と台湾はNational Taiwan University、韓国はSeoul National University、タイはChulalongkorn Universityを結んでの4ヵ国同時中継である(図11、12)。いずれも各国のトップ大学である。この日、タイでは軍のクーデターが起こり、果たして同時中継がうまくつながるかやってみないとわからないという緊張の連続だったが、幸いうまくいった。高速インターネットを利用しているので、画像や音声の遅れは0.1秒台でほとんどリアルタイムである。最初のてんかんのセッションは、国立台湾大のKuo先生の症例提示が延々と続く。いったいいつになったら終わるのか。うちのプレゼンの時間がなくなってしまう。Kuoさんの症例への思い入れが強すぎて予定を大幅に超過。九大からのプレゼンは5分しかなくなり演者のウエハラ君が青くなった。不随意運動のセッションは、順調に進み議論も盛り上がってとてもおもしろかった。神経内科は、てんかん発作や様々な不随意運動、画像など外科手術と並んで見せるものが多いので、telemedicine向きである。これからもぜひやってほしい。

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図11. Telemedicineは、学術大会場(スライドの左上)、台北(スライドの左下)、ソウル(スライドの右上)、バンコク(スライドの右下)の4か所同時中継。リアルタイムのディスカッションができ、すばらしかった。九大病院アジア遠隔医療センターの皆さんには大変お世話になった。感謝。(クリックで拡大)
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図12. 国立台湾大のKuo先生の熱の入った症例提示。いつ果てるともなく続き本学術大会一番のオーバータイム。Be Punctualも掲げておくんだった。(クリックで拡大)
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図13. 第2日目午後のマリエラクルーズ。好天に恵まれた。(クリックで拡大)

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図14. Lüders先生の熱烈講演。とても甲板には抜け出せない。(クリックで拡大)
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図15. デッキ2は女性神経内科医を中心に国際交流会。博多湾の眺めもよく会話がはずむ。(クリックで拡大)

 学会二日目の午後は、博多湾のマリエラクルーズでのランチを兼ねたレクチャーと海外の方との交流会である(図13~15)。好天に恵まれ、ハーバーの受付で参加者を待ち受けると、皆、リラックスして笑顔にあふれている。大会長講演も終わったことだし、僕もマリエラに乗船してワインでも飲みたい。が、ハーバーで手を振って出航を見送る。デッキ1はLüdersさんの講演会で、チリから日本、米国と移り住んで研究を続けてきた世界の第一人者に、神経内科医人生を語ってもらうことを僕は考えていたのだが、てんかんの学術的な話になった。デッキ2は、世界の女性神経内科医が自国での活躍を語るという交流会である。ここでは参加者から、九大神経内科への海外留学生が多いのに驚いたという話を後で聞いた。講演もそこそこにデッキにあがって、博多湾の眺めを楽しんでもらえるものと僕は思っていたら、Lüdersさんの方は、一歩も部屋から出ないで講演と討論があったという(どこまでも真面目な人である)。日本の女医さんは、あまりアジアやアフリカの女医さんのことを知らないのではないかと思う。アジアの女性神経内科医は、案外各国の神経学会で重要かつ指導的な役割を果たしている。お互いに顔を合わせることが、国際交流の第1歩である。顔を合わせていたら、だんだんと「やあやあまた会ったね」みたいになってくるのである。そのきっかけになれば、マリエラの借り切りでお金をかけた甲斐があったというもの。

 大会長講演は、学術大会のメインイベントである。これがイマイチだと、他はどんなによくても画龍点睛を欠くとの評判になってしまう。実は大会長講演の最後のデータがワタナベ君から届けられたのは、学術大会開始日の3日前5月18日(日曜)である。やれやれやっと間に合った。大会直前の17日、18日で大会長講演のスライドを作りあげる。今回は、海外の方のために同時通訳を入れることにしたので、日本語版と英語版の両方を作らないといけない。両者をあわせると158枚にもなる。17日に日本語版スライド79枚を完成させ、18日は朝から英語版79枚の作成にとりかかる。特に難病医療ネットワークの英語訳は難しい。ようやくの思いで完成させると夜の12時近い。よれよれになってファイルを保存させる。同時に開いて作業している英語版は修正したので保存、昨日完成した日本語版は修正の必要はないので保存しないをクリック。アレ、おかしい。英語版を保存したつもりが、保存になっていない。いくらパソコン中を探してもなくなっている。青くなったが、もう19日に日は変わっていて、今さらどうしようもない。打ちひしがれてヤケ酒を飲んで床に就く。これは本当に時間が足りなくなったので、英語版の作成は、次の日にマサキ君、ヤマサキ君、ヨネカワ君に一部手伝ってもらい、19日夕方の予行に間に合わせた。感謝。

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図16. ポスター会場。大会長講演中なので、人はまばら。ブルーの枠は車椅子専用スペース。正面奥にはスライドを大写しできるパネル。大会長講演を中継しているので、パネルの前には人だかり。パネルの下には、九州各大学の神経内科の展示パネルが設置され、一般市民も見ることができる。(クリックで拡大)

 大会期間中は、朝早くから夜遅くまで行事が続き、主催校スタッフは睡眠不足である。第1日目は件のアンサーパッドのトラブルもあり、先行き不安と残念な思いで寝付けない。明日の大会長講演でトラブルがあると困るなあという気持ちである。大会長講演は、こんなわけで不安を抱えたまま、全くの睡眠不足で臨んだ。講演は、当然ライフワークの多発性硬化症を話す。神経免疫疾患はあまり人を呼べないから、1468席の第1会場の入りが気になる。が、ほぼ埋まって、とてもうれしかった。別会場でも同時中継したので、視聴してくれた方は多かったのではないかと思う(ただ同時中継は海外の方のために英語だったので、日本人参加者にはぜひ第1会場内で日本語で聞いてほしいという思いだった)。また、大会長講演はポスター会場でも中継で当事者団体や一般市民の方も視聴できるように配慮した(図16)。予行も1回やっていたので、だいたい時間通りに話しを進めることができた。あと5分というところで、最後の難病医療ネットワークのセクションまで進み、時間ピッタリに終えることができそうだと思った。黒岩先生のモットーは、Keep PioneeringとともにBe Punctual(時間厳守)なので、時間ピッタリに終わらないといけない。ただ、そこから難病医療ネットワークに話が及ぶと、難病に関わるネットワークの様々なことが思い出されて、思わず胸がいっぱいになる。話のスピードが遅くなった。3分ほど時間超過である。弟子としては申し訳が立たないことになった。神経学会なので、動物実験の話よりも臨床研究の今を話すことに心を注いだ。多発性硬化症は本当に難しい病気で、この研究はエンドレスである。臨床研究を通じて多くのシーズが見つかったから、これを突破口にできるか、これからが問われている。まだ体力のある50代で大会長講演ができたのは、幸せだった。

 会場内で無料提供した菓子類は、好評だったと聞いた。あまり気づかれなかったと思うが、これは福岡市の障がい者施設の作成する「ときめきグッズ」を学会事務局が買い上げて無料で提供したものである。障がい者施設の方も来ておられた。実は、ランチョンセミナーで参加者の皆さんが食べた弁当は、市内の名のある仕出し店の1500円のものだが、学術大会校のスタッフの弁当は障がい者施設の作った1000円のものである(これは障がい者施設が作ったものを学術大会事務局が買い上げた)。本当はランチョンセミナーも障がい者施設の弁当を採用したかったのだが、1500円の弁当は障がい者施設では作ったことがなく、大勢の人数分を一時に作って提供するのは無理ということだったので断念し、学術大会校スタッフの分のみ障がい者施設の仕出し弁当にした。ポスター会場での車椅子閲覧スペースや、上肢機能障害者(全国に約70万人いるとされる)のためのピンマイクは、必要とされる方に前もってホームページを通じて申し込んでいただき準備した。福岡市では、「ユニバーサルな社会づくり」を、現在の第3期障がい福祉計画の施策推進に当たっての視点の筆頭に掲げている。僕は福岡市社会福祉審議会障がい者福祉分科会会長を務め、この計画立案に関わってきたので、たいしたことはできないが学術大会を通じてユニバーサル・デザインの普及や障害者社会参加などを少しでも支援できればという思いがあった。

 市民公開講座は、第2日目、3日目、4日目と学会終了翌日の4日間を通じて、「こんなときは神経内科へ行こう:ふくおかブレインフェア・九大ブレインフェア」を開催した。脳卒中、頭痛、認知症、てんかん、装着型ロボットスーツHALによるリハビリなど、盛りだくさんな講演をしたいただいた演者の先生(山田猛済生会福岡総合病院神経内科主任部長、谷脇考恭久留米大神経内科教授、大八木保政九大神経治療学教授、重藤寛史九大神経内科診療准教授、赤松直樹国際医療福祉大教授、山海嘉之筑波大教授、井上亨福岡大脳神経外科教授、中島孝国立病院機構新潟病院副院長)にはとても感謝している。また会場内の九州各大学の神経内科の展示を通じて、大学神経内科の活動を多少なりとも知っていただけたのではないかと思う。九州各大学神経内科のパネルは、詳細な記事から歴代教授の大写真のものまで多様で見ごたえがあった。展示に協力してくれた各大学に感謝したい。九大のは1週間がかりで大部分の記事は僕自身で仕上げたが、これは本当に大変で、手伝ってくれた教室員に感謝。


図17
図17. Japan Nightは、博多検番を交えて、和やかに。中洲は料亭嵯峨野で。(クリックで拡大)

 ソーシャルイベントは確かに毎日やった。学会前日は、海外招待者と教室のスタッフでJapan Nightと称して、海外の方を日本料亭に連れていって博多検番(芸者さん)に来てもらった(この分は学術大会の負担ではなく医局で負担しており、遠路来てくれた海外のVIPクラスの方との懇親の場で、たいがいどこでも類似のことをやっていると思う)(図17)。第1日目の夜は、Kyushu Nightで、これはレセプションである(図18~20)。コンセプトは日本のB級グルメと九州の焼酎でのおもてなしである。意外にも海外の方がたくさん参加してくれて会場は人だかりで埋まった。ムライ君(事務局長)のバイオリンとハヤシさん(うちのレジデント)のピアノはプロかと思うくらいによかった。幸先の良いスタートとなった。

図18
図18. 第1日目のレセプションKyushu Nightでの大会長挨拶。会場のパレスルームは大賑わい。(クリックで拡大)
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図19. ムライ君とハヤシさんの熱演。(クリックで拡大)
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図20. 神経内科医をやっているときよりずっと真剣にみえるムライ君。(クリックで拡大)

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図21. Congress Dinnerは、ホテル日航福岡都久志の間で開かれた。九州で一番広い都久志の間は、60人のオーケストラと300人を超える参加者を収容しても広々と感じられる。ホテル日航福岡の明るくて華やかな雰囲気が僕は好きで、以前から公私お世話になっている。南仏風の料理はとてもおいしかった。大勢の参加者に行き届いたタイムリーなサービスだった。九州交響楽団60名の演奏はわずか20分で終わり。おみやげに九州交響楽団のCDをプレゼント。(クリックで拡大)

 二日目はCongress Dinner(これは昔の会長招宴というやつで、今は会費制となっている)である。これもムライ君がおぜん立てしてくれた九州交響楽団60名の演奏を、マルヤマ君(同門神経内科専門医)が指揮した(図21~23)。マルヤマ君が、神経内科専門医をとり九大生体防御医学研究所で学位を取ったあとに、指揮者になる勉強のためドイツに行くと言って来たときは本当に驚いたことを思い出す。海外の方も神経内科医が指揮しているというのにビックリしたと聞いた。ただジュピターの素晴らしい演奏中、実は僕はずっとそのすぐ後の大会長挨拶の英語で頭を悩ましていた。海外の方が多いため従来とは異なり英語メインでやらないといけない。上記の「うちわ」の話をしたものか、そもそも「うちわ」はJapanese Fanで通じるかがよくわからない。「うちわ芸」は一発芸みたいなもので、302名もの参加者を前にして恥をかくのは辛いものがある。かくするうちに演奏は終わり、司会のムライ君の大会長挨拶ですという声で呼び出された。ええい、ままよ、ということでうちわを二つもって檀上にあがる。うちわを持って大会長スピーチをやったのは、僕くらいのものか。

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図22. マルヤマ君の一世一代の指揮。気持ちよさそうだね。(クリックで拡大)
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図23. Congress Dinnerでのウチワをもっての大会長挨拶。名誉会員の先生のなかには、いい挨拶だったと言ってくれる方もおられて一安心。ウチワの一発芸もやらないよりはやった方がマシか。(クリックで拡大)

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図24. Asian Nightは黒田官兵衛が待ち受ける。(クリックで拡大)
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図25. Asian Night会場のベイサイドプレイス博多。色鮮やかなテントの中は屋台や夜店となっている。日本の縁日をおしゃれにしたイメージ。(クリックで拡大)
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図26. Asian Nightでは皆さんに感謝の言葉を言う。実は中村哲先生との久々の再会で涙混じりになって、何を英語で言うんだったか忘れてしまった。細長い会場だったので、やむなく後ろのパネルを数か所に設置。これが大きさにより一つ50万円とか80万円とかする代物で、いくつもは会場内には設置できない。(クリックで拡大)

 第三日目は、もう最後の夜でAsian Nightと称して全員懇親会をやった。これに先立って、特別講演として中村哲先生にペシャワール会のアフガンでの30年の国際医療協力の話をしていただいた。会場内の参加者は必ずしも多くはなかったが、砂漠に水路を引いて緑に変える迫力ある写真と話に感銘を受けたという声が多く寄せられた。中村哲先生は九大医学部卒だが、入局はしておられず、大牟田労災病院神経内科(同門の故志田堅四郎先生が部長・副院長)勤務時代に神経内科専門医をとられ、僕も大牟田労災病院出張中に神経内科を教えていただいた。懐かしい思いでいっぱいである。中村先生は、神経内科専門医になったのは間違いで、それでアフガンに行ったと話されたが、たぶんそうではなかろう。神経内科医だからこそアフガンに行ったのである。日本神経学会の名誉会員に推薦したいくらいの気持ちである。まさに国を治す上医に値する方である。当初は酒の席には出ないと言っておられたが、Asian Nightにも初めのところは出席してくれ、お話できたのはうれしかった。

 Asian Nightは、博多湾のベイサイドでやった。これは、アジアのお祭りをコンセプトに、縁日風の夜店や屋台を楽しんでもらおうという趣向である。全員懇親会は普通はホテルでやるものだが、それだと高いし、風が気持ちいいので外でやろうということになった。ただ、これは雨天だったときが、どうしようもない空任せである。雨天に備えてテントを予約しておくと、雨が降っても降らなくても100万円かかる。晴れに賭けてもちろんテントの予約はしない。大会期間中、快晴に恵まれたのは、ラッキーというほかない。100万円節約できてよかった。

 実は、博多ベイサイドプレイス側も学会の懇親会をここでやるのは、これが初めてという無謀な試みである。細長い場所で、482名もの参加者がいて、本当にここで全員懇親会がやれるかいなという気持ちだった。しかし実際にやってみると、丁度いいくらいの人数で、屋台やら博多ゴマやらマグロ解体ショーやらバンド演奏(ギターの一人はうちのシゲトウ君:副事務局長)やらに分散してうまい具合に盛り上がった(図24~39)。外は博多湾から吹いてくる海風が気持ちよく、開放感あふれる場となった。ラストは同級生の飛松君(臨床生理学会理事長)の中締めの挨拶の終了にあわせて花火を打ち上げた。この花火は意外にもシケていなくてよかった。ただ後で請求される花火代をどうやって財務委員会で申し開きすればいいか頭が痛い。学術大会は、今では学術大会運営委員会と財務委員会が内容を企画面と財務面からきっちりチェックし、継続的な路線、つまり学術大会の構成が年ごとに大きくブレないよう継続性に重点を置くようになっている。これも良し悪しがあり、金集めに一番苦労する大会長独自の企画、地方色豊かな企画があってもよいと思う。いろいろやって、いいものは残していけばよい。思い出に残る全員懇親会を演出してくれたコングレ社は、支社とはいえさすがにプロだった。

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図27. 学術大会最優秀口演賞(臨床部門)の表彰式で。教室のヨネカワ君に表彰状を授与。学術委員と理事全員の投票結果の集計による。うちは一人だけでも入賞できてよかった。(クリックで拡大)
図28
図28. Asian Nightでのバンド演奏。後列のギターはうちの副事務局長。歌手の澄んだ声が夜空に響きわたる。(クリックで拡大)
図29
図29. 博多ごまの熱演。(クリックで拡大)
図30
図30. うちの若い人たちと。右端は韓国Pusan National Universityから駆けつけてくれたPark教授。この3月にはPark先生の退職記念祝賀会に釜山を訪問したばかり。その隣のNohさんはPusan National University Hospitalのシニアレジデント。本学術大会に参加後、1か月ほど九大神経内科に短期留学する。後ろには金魚すくい・射的の案内も垣間見える。(クリックで拡大)

図31
図31. 金魚すくいに熱心な参加者。金魚は持ち帰り可。飼ってちょうだいね。(クリックで拡大)
図32
図32. 射的まで会場には用意。夜店風の演出。あとで財務委員長に何か嫌味を言われないかが心配。(クリックで拡大)
図33
図33. これはうちの医局員ではナイと思う。楽しい夜だった。(クリックで拡大)
図34
図34. ナイジェリアからの参加者が神妙に待っているのは、焼きソバ。女性がうちの留学生でNeuroscientist。妊娠中にかかわらず留学先の英国から遠路来てくれた。無事な出産を祈る。(クリックで拡大)
図35
図35. テーブル席も用意され、ほどよい込み具合。(クリックで拡大)
図36
図36. 会場内ではあちこちでホットなダイアローグ。(クリックで拡大)
図37
図37. 皆楽しそう。明るくて海の風が適度に吹いてとても快適。(クリックで拡大)
図38
図38. これは全てうちの留学生。2人目のウイグル人留学生もいるが、ウイグルはイスラムにもかかわらずチャドルはしないらしく一目ではわからない。後ろには韓流市場の案内が見える。Look Asiaの時代である。アジアに平和な時代が来ることを祈る。(クリックで拡大)
図39
図39. Asian Nightの最後を飾るのはやっぱり花火がいい。(クリックで拡大)

 学術大会全般の様々な業務は、20年前は教室員総出でやったものだが、今は学術大会開催業務全般を専門的に営利事業として行うPCO(Professional Congress Organizer、平たく言うとコンベンション業者)と契約して行うのが常である。PCOもこれまでは学術大会長が地元でよく知っているところにお願いしていたけれど、神経学会は第54回大会から2年契約で同じ業者を入札で決めることになった。同じ業者に継続して頼んだ方が、神経学会のこともよくわかってくれて経費も入札でより安くなるとの目論見からである。したがって、否応なく今回のPCOは、コングレ社と決まっている。第54回大会は東京開催だったので東京本社がやった。第55回大会は地元の福岡支社が担当である。この福岡支社のチームには、本当にお世話になった。心から感謝の意を表したい。

 福岡コングレチームは、中洲風の人、マツコデラックス風の人(あとでこの人は、英語が堪能で世界に通用するアイデアマンだとわかった)とユニークな面々である。唯一まともだなあと感じたのは、国際関係を一手に引き受けてくれた英語の堪能なきれいなお嬢さんだけである。このチームによる学術大会の準備は中盤大幅に遅れた。昨年10月19日に開かれた第2回学術委員会でプログラムの枠組みの詳細を示したのだが、その後、一向に進まない。一例をあげると、入札のプレゼンの際にはコングレ社は海外との広い提携関係を強調したにもかかわらず、当初の演題締切の1週間前になっても、国際的な働きかけはゼロである。聞けば海外対応は、大会長に相談もないまま神経学会事務局に一任したという。神経学会事務局に学術大会専任でいるのは、たった一人の事務員だけだ。海外対応ができるはずがない。東京本社もIT関係を担っているというだけで、それ以外は福岡支社に任せきりである。これではいかんと思って、2週間ごとにコングレの福岡支社と東京本社でテレビ会議をもつようにし、そこに九大神経内科スタッフや神経学会本体の事務局員も参加するようにした。会議でのコングレ社側の準備説明は、立て板に水でさすがにプロと感心する。でもときに深い穴がある。ぎりぎり破綻するまで穴のことを報告しないので困る。立て板に水だが思わぬ穴ポコがあるというのが、実は主催校側は一番神経を使う。

 新規プログラムをたくさん入れ込んだため、通常の神経学会学術大会の1.5倍ほどの業務をこなしてもらわないといけないのに、福岡支社だけではとてもマンパワーが足りないと感じて、年末の12月13日に東京本社に怒鳴り込みに行った。応対してくれた本社の常務や部長さんは、とてもきちんとした方でこちらの主張もよく聞き丁寧な対応をしてくれた。この業界の人は、ユニークな人が多いと感じていたが、実は福岡のうちのチームだけが変わっているのではあるまいか。この面談後すぐにこの常務は東京本社から人材を派遣してくれた。が、坊主頭のニーチャンである。まともな青年はおらんのかと思ったが、この人はとてもデキル人だった。万事卒なく細部まで目配りがきく。盛りだくさんのソーシャルイベントは、当日朝に挨拶を誰にお願いするか決めるくらいぎりぎりまで準備がかかったが、円滑にできたのはこの人のおかげである。常務は優秀な人を送ってくれたのだった。感謝、感謝。地方開催でもインターナショナルな学術大会ができることを示したかったのが正直な気持ちで、それを達成できたのは、このユニークなチームのおかげである。チームを編成した支社長さんとチームを率いたメインディレクターには大変感謝している。神経学会はグローカル路線(グローバル+ローカル)をめざすのが、正解と僕は思う。

図40
図40. ホテルニューオータニでの50周年記念祝賀会。(クリックで拡大)
図41
図41. かつてのフィリッピンからの留学生、アマド・サンルイスさんとナバロさん。皆さん、大物になられた。(クリックで拡大)

 学術大会終了後の夜は休む間もなく、九大神経内科設立50周年記念祝賀会を開き、206名という大勢の参加があった(図40~43)。うちは一言言いたい同門の方も多いので、一人3分あるいは5分と決めて、リレースライド講演を企画した。6人で30分以内で終わる予定が50分もかかって、僕がまとめのスライドを話すころには祝賀会終了3分前になっていた。Be Punctualという点では、皆不肖の弟子である。50周年記念品は、少ない予算の中で本当に頭を悩ました。思いがけず同門会からまとまった額の寄付を50周年記念事業にいただいたおかげで立派な記念品を作れることになった(図44)。50周年らしいメッセージを伝えられるものにしたいという思いがあったので、同門会からの寄付はとてもありがたかった。翌日には学会サテライトシンポジウムをNeurologists in the Worldと銘打って行い、海外の留学生に近況報告してもらった(図45~48)。フェアウエルランチでお別れ。皆それぞれ学術大会のよい思い出を携えて母国に戻り大活躍してほしい(図49、50)。

図42
図42. 糸山先生の万歳三唱で50周年記念祝賀会は閉会。(クリックで拡大)
図43
図43. これは全員僕が教授になってからの中国からの留学生。中国からは漢族、朝鮮族、満州族、ウイグル族など様々な民族がやって来たが、うちでは仲良くやってもらいたい。皆、できる限り応援したい。(クリックで拡大)
図44
図44. 九州大学神経内科50周年記念品。クリスタルの本の見開きの左側には九大脳研設立時のプレートを、右側には初代黒岩義五郎教授のモットーを刻み込んだ。モットーの第1が、Keep Pioneering。次にBe Punctual、末尾は、「人の和」で結ばれている。Hachinski先生もClosing LectureでKeep Pioneeringと最後に言ってくれた。世界に普及するといいね。(クリックで拡大)
図45
図45. 学術大会翌日は、九大百年講堂で九大神経内科設立50周年記念式典のサテライトシンポジウムを開催した。参加者一同集合。(クリックで拡大)
図46
図46. フィリピン、韓国を代表する参加者たち。(クリックで拡大)
図47
図47. 中国、台湾の留学生といっしょに。AKB48みたいにおしゃれな人もいて、アジアからの留学生も様変わりした。(クリックで拡大)
図48
図48. ナイジェリアの留学生といっしょに。ナイジェリアは南部の出身。とても明るくてブライトな人。将来はアフリカを代表する女流神経科学者になるだろう。うちに来ていた時は、よく居眠りしていたが。(クリックで拡大)
図49
図49.教授になってから受け入れた海外からの留学生は28名にのぼる。(クリックで拡大)

図50
図50.学術大会・50周年記念式典に先立って撮影した現教室員の集合写真。次の50年に向けて
気合を入れて行こう。手の挙げ方がマチマチ。(クリックで拡大)

 さて博多湾の風は、みなさんにどんなものを運んだろうか。一陣のアジアの風をみなさんの頬に感じていただけたなら、幸いである。

平成26年5月31日
吉良潤一