【眼鏡の顛末(メガネのてんまつ)(平成26年12月31日)】


 山茶花が白い清楚な花びらを開かせています。大晦日は実家で紅白歌合戦を見ながら、久しぶりに「教授からの一言」を書いています。神経学会学術大会をやると、大会長は使い果たした気力が回復するのに1年位かかるという話を耳にします。私もこのコーナーを書くくらいには元気が出てきました。忙しい中で時間を作って5000から8000字とまとまった文章を書くには、やはり気力も要りますね。

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図1. 第55回大会英文写真記録集。この表紙のデザインの躍動感が僕は好き。(クリックで拡大)

 12月初めに第55回日本神経学会学術大会の英文写真記録集(図1)を2000部刊行し、会計収支を学術大会運営委員会に報告して、ようやく第55回大会の事業を終了しました。この手の写真記録集を発行するのは、日本神経学会の半世紀を越える歴史上初めてのことです。その狙いは、英文で写真集を作成して、海外からの一般・招待参加者やアジア・太平洋州の各国神経学会にお送りし、関心を持ってもらい次回以降も参加していただこうという点にあります(国内へも講演者、座長、評議員、各賞受賞者の方々には、お送りしました)。幸い記録集は好評で、海外の多くの方が周りの人たちに日本神経学会学術大会のことを紹介してくれ、第56回大会にも第55回大会がよかったので海外から参加したいという声が多く寄せられていると聞きます。うれしい限りですね。

 実はプロのカメラマンを複数雇うと高くつくので、プロは一人で後はタナカ君はじめ教室のアマチュアカメラマンたちが会場を回ってくれたおかげで、ほとんど全てのセッションをカバーすることができました。写真編集もプロに丸投げすると余分な経費がかかりますので、事務局長のムライ君と秘書のアソウさんがかかりっきりで膨大な写真の選定をしてくれました。おかげで外科学会などの写真記録集の1/3弱の経費ですみました(当時の財務委員長のツジさんがいくらまでなら見逃してくれるかを必死に考えて、この額におさえました)。感謝、感謝です。いつもお世話になっている大同印刷さんが鮮明な写真に仕上げてくれました。ありがたいですね。会場の風景も入れましたが、できるだけ発表者の顔を入れるようにしました。クスクス笑いあり、ガッハッハの高笑いあり、歯むき出しの笑いありと顔面写真展を眺めていると、会場のにぎわいが伝わってきます。皆さんのおかげで博多らしい熱い熱い会ができました。本当にありがとうございました(なお余りがいくらかありますので、一般演題の筆頭発表者で英文写真記録集をまだもらっていない方は、ホームページに年明けに案内を出しますから、ご希望のある場合には先着200名まで無料で英文写真記録集をお送りします。)

 ところで、私はまだ痛む右足を引きずりながら過ごしています。実はこれは、12月7日(日曜日)に九大・熊大神経内科医局対抗サッカー大会で、熊大の若い人に右足のふくらはぎを蹴られたところが、まだ痛いのです。熊大のアンドーさんにサッカー対抗戦をやりましょうと1年ほど前に誘われました。アンドーさんは、全国のいろんな大学の神経内科医局に野球とかサッカーとかの試合をふっかけて回っていますから、ここで躊躇して侮られるわけにはいきません。二つ返事でぜひやりましょうと返しました。アンドーさんも私も学会シーズンは忙しいので、日程調整を繰り返して、ようやく師走のこの日に九大医学部グラウンドでの対戦となりました。バスケット並みに点差が開くとみっともない、いやそもそもうちは11人集まるかと気をもみました。しかしフタを開けてみると、我が方は観戦だけの人も含めて20人以上集まりました。

 今年は福岡も寒くって、寒風吹きすさぶ中での一戦です。週間予想では当日は大雪、これは雪の中での戦いかと覚悟。まあ、僕は最初と最後だけ出ればいいか。ところが、直前になって熊大ルールでやろうと提案されました。これが驚いたことに、30分ハーフに教授が出続けると1点になるというわけのわからないやつです。アンドーさんは全国で試合をふっかけているようなスポーツマンですから、30分ハーフに前半・後半とも出続けるのは間違いありません。これで熊大は2点です。やっちゃおれん。意地でも出続けないと教授で負けたということになります。まあ1回30分程度のジョギングを年間120~150回くらいしていますので、マイペースで30分間走り続けるのはできますが、1時間も若い人に交じって出続けるのは、しんどいなあというのが正直な気持ちです。そこで、日ごろのマイペースのジョギングに急きょ全力疾走を加えることに。そうすると寄る年波には勝てず当日は大腿四頭筋が張って、やる前から太ももが痛いという状態でグラウンドに立ちました(図2~4)。

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図2. まともにボールを蹴れるのは練習のときだけ。(クリックで拡大)
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図3. 熊大に負けじと、うちも試合前に円陣を組んで気合いを入れる。(クリックで拡大)
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図4. 試合開始前の勢ぞろい。ここまでは勇姿を披露。実は寒くて足がつりそうに。わが方は、Keep Pioneeringを胸に水色のユニフォーム。(クリックで拡大)

 サッカーに出るのは、35年ぶりです。以前は九大脳研でサッカーチームを作って医局対抗サッカーに出ていました。私も入局して最初の2回ほど出ていましたので、それ以来です。最初のハーフはヨロヨロと走っていましたが、終盤に激しく熊大の若手とぶつかって右足ふくらはぎを蹴られてしまいました。これがモーラステープを張っても一向に痛みが引かないで腫れてきます。後半は両足で立てず、片足でケンケンしながらピッチに立ち続けました。後半ようやくエンジンがかかろうかという時に本当に残念です。翌日は褐色尿で、これは筋肉が挫滅してそこからミオグロビンが尿に出てきたためです。内出血した血が重力で足首まで下りてきてどす黒くなりました。というわけで3週間たっても走れないのです。実は熊大ルールには、続きがあって、女性は何人出てもよくて、女性には触れてはいけないというのです。うちも病棟の女医さんが二人フル出場し大活躍してくれました。ところが熊大はコンタクトがきつくて、女医さんにもしょっちゅう接触し、アンドーさんがうちの女医さんに触れてイエローカードを出される始末です。しかも後半戦では僕はケンケンで出ているにもかかわらずサッカーボールを追って熊大の若い人と激しく右側頭部をぶつけ、1週間ほども頭が痛かったです。困ったことに、このときに、神経学会の大会長写真でも使ったお気に入りの眼鏡のツルが大きく曲がってしまいました。まあ熊大は、女や怪我人にも容赦ないね。

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図5. ボールを蹴っているフジタ君の大活躍で、うちも1点を入れる。熊大側は、写真のように動きがシャープな経験者が3、4名はいる。(クリックで拡大)

 で、試合は4対3で惜敗でした。熊大は、アンドーさんが臨床検査の方の教授も兼ねている関係で臨床検査医学の修士課程の若手が3名ほども加わっていて、これがもうものすごく動きの切れがよくって、このメンツに完敗です(図5)。試合後は、一緒に万葉の湯に入って、宴会(図6~8)。おかげで一挙に熊大の人たちと仲良くなりました。来年はさすがに12月ではなく、11月に熊大グラウンドでやりましょうということで和やかにお別れ。うちは、今年の病棟医4名のうち3名が女医さんと戦力不足(サッカーに関してのみです)でしたが、来年の病棟は男5名(新入局3名と2年目の2名)ですから、大幅に戦力アップ(サッカーに関してだけです)は間違いないので、4月から練習して絶対に勝とう。


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図6. 万葉の湯で一汗流して宴会の始まり。(クリックで拡大)
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図7. このときばかりは、蹴られた右足の痛さも忘れて、アンドーさんと腕を組む。もうだいぶ酒を飲んで出来上がっています。アンドーさんも私も同じ年に大分の高校を卒業した九州男児。アンドーさんは別府鶴見丘高校という大分の御三家といわれる名門校出身ですが、私は7年に一人くらいしか九大医学部に入らない県南の田舎の高校出です。(クリックで拡大)
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図8. 宴会後の集合写真は、皆笑顔。最後まで付き合ってくれたのが総勢34名。この席上、驚いたことにサッカー大会に出た研修医が九大神経内科への入局を表明してくれたので、医局長ともどもやった甲斐があったと大いに喜ぶ。めでたし、めでたし。(クリックで拡大)

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図9. 世界の精神医学の歴史に名を刻んだルートヴィヒ・マクシミリアン大学精神科病院。歴史の重みを感じさせる静謐なたたずまい。精神科だけで独立した建物となっており、この後ろに病棟が直結している。(クリックで拡大)
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図10. 精神科の入り口で、いっしょに日独シンポに参加した佐賀大学精神科のモンジ教授と九大精神科のカトーさんと。認知症やミクログリアで共同診療・共同研究を行っている。(クリックで拡大)

 今年の国際学会での一番は、日独シンポジウム。7月にドイツはミュンヘンでアロイス・アルツハイマー博士の実験室で研究発表会がありました(図9~16)。ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(Ludwig-Maximilians-Universität München)は、1472年創立のドイツを代表する老舗大学です。TIMES世界大学ランキングでは、なんとドイツ1位、世界48位。その精神科といえば、精神病を統合失調症と躁鬱病に分類してドイツ精神医学の源流を創ったエミール・クレペリンが主宰した教室です。アルツハイマー病を発見したアルツハイマー博士はその弟子になります。レビー小体を記載しレビー小体型認知症に名を残すフレデリック・レビーもこの実験室でアルツハイマー博士に神経病理学を師事したのです。その実験室が、今はそのまま講演会場になっています。この会は、九大精神科・神経内科と、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学精神科・神経内科の合同のシンポジウムで、文部科研費を得て実施されたものです。精神科と神経内科は、日本でもドイツでも(あるいはその他の外国でも)、この半世紀は神経内科が独立して全く別々に脳と心の疾患を研究してきましたが、分子レベルでの脳科学の進歩により、精神疾患と神経疾患には大きなオーバーラップ・共通性が存在することがわかってきました。九大では、この15年ほど精神科と神経内科とが認知症診療で協力し、それぞれ相互に乗り入れして神経疾患、精神疾患を共同研究するようになってきています。ドイツにおいてもこのような精神疾患と神経疾患のオーバーラップは注目を集めているところです。私はもちろんですが、精神科の神庭教授もルートヴィヒ・マクシミリアン大学精神科・神経内科のグループもPsychoneuroimmunologyに大きな関心があり、これを共通のキーワードに今回初めて日独シンポジウムを開き、そしてこれから共同で研究プロジェクトを申請していくことになりました。この方面での神経内科、精神科の共同研究プロジェクトが、大きく将来進展することが期待されます。これからの全く新しいディメンジョンへの展開を思うと、気力も湧いてきます。

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図11. 精神科病院の内部。こちらは病棟ではなく研究スペース。歴史を感じさせる建物。この3階にアルツハイマー博士の実験室がありました。(クリックで拡大)
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図12. 最初の講演では、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学精神科の歴史が、クレペリンまでさかのぼって説明されました。アルツハイマー博士の使った顕微鏡やプレパラートが展示されています。(クリックで拡大)
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図13. 1901年に診療したアウグステ・データーの記録とプレパラート。1906年に発表され、後にアルツハイマー病として知られるようになりました。(クリックで拡大)
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図14. アルツハイマー博士の実験室で私も講演。とてもいい記念になりました。実験室の窓からは、青々とした樹木の間に各診療科の建物が点在して見えます。学問の歴史をひしひしと感じます。(クリックで拡大)
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図15. 懇親会は、当然、地ビールです。(クリックで拡大)
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図16. ドイツ名物のシュニッツェル。豚や牛の平たくした肉にパン粉をつけて焼いたカツレツ。この巨大なのが一人前。カトーさんは2枚食べあげる。ドイツ人を越えるエネルギーがすごい。僕は1枚がやっと。(クリックで拡大)

 8月には神経学会学術大会のあとに、徳島大のカジさんが阿波踊りに来ないかと呼んでくれました。ぜひ夫婦で来て、カジさんのところの「ニューれン」という名前の連(阿波踊りには囃子も入ったレンを組んで参加します)に加わって踊れと誘います(図17)。神経学会でエネルギーを使い果たしたので、年も同じカジさんが慰労してくれたものと思います。カジさんはさすがに阿波踊りも堂に入っていて見事な手の振り、腰の振りです。カジさんが主催される第57回大会の余興は、阿波踊りで決まり。まあ到底、カジさんみたいには踊れませんが、マイペースで阿波踊り会場に出て、あろうことか見物客も大勢いるのに一列目で踊ります。夜空高くにトトントトンと和太鼓、カカンカカンと鉦が速いリズムを刻みます。ヤットサー、ヤットサーやら、エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨイヨイヨイやらの掛け声に三味線や鼓まで加わって、もう賑やか。いや汗だくになって楽しかった。元気もらいました。

図17
図17. 徳島大神経内科のカジさんところの「ニューれン」の皆さんと。カジさんのところには囃子の人はいないので(自前で囃子を用意しないと連を組めない)、東京は神楽坂のなにがし連さんが加わっての参加(徳島以外からも徳島の連に加わって参加できる)。なにがし連の皆さんはほとんどプロ顔負け。よくある日本の盆踊りと違って阿波踊りは、二拍子の速いリズムが小気味いい。(クリックで拡大)

 この12月に僕は還暦を迎え、医局の忘年会でお祝いをしていただきました。ハンマー君の絵柄のケーキは本当にサプライズ(図18)。医局員からは赤いリバーシブルの綿入れと帽子(図19)を、看護師さんからはなんとCrossの上等な箱に収められた午年生まれ用の赤い馬の装飾ボールペン(図20)を看護師さんからいただきました。大切に使います。ますます元気が出てきました。

図18
図18. まさかのハンマー君のケーキにびっくり。こういうのも昔描いておいてよかったねと改めて思ったことでした。(クリックで拡大)
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図19. 忘年会の集合写真。いただいたリバーシブルの綿入れと帽子をつけて上機嫌です。この綿入れは、あたたかくて動きやすいので愛用しています。(クリックで拡大)
図20
図20. Crossの午年生まれ用のボールペン。こんなものがあるんですね。サインするときだけに使います。(クリックで拡大)

 実は神経学会のあと、お気に入りの眼鏡は、2か月ほども行方不明になって、とても困りました。ある日、例のごとく激しく酔っ払って帰り全く何も覚えていません。翌朝、二日酔いで起きると女房にめちゃくちゃ怒られました。それ以来、この眼鏡がどこを探してもないのです。怒り心頭の女房に聞くわけにもいきません。酔っ払って自転車で帰って、朝起きると全く覚えがないのに怪我をしていることもいまだにありますので、どこかで落としたかと気力も落ち込みました。ところが、2か月くらいして秋口になり厚い布団を押し入れから引っ張り出していると、重ねた掛け布団の下に件の眼鏡が見つかりました。どうやら酔っ払って押し入れに潜り込んで寝てしまったようで、その時に布団の下に紛れ込んだものでしょう。よくも圧力にも負けず眼鏡のツルがガンバッテくれたと感謝。

 ところで、サッカーで大幅にツルが曲がったお気に入りの眼鏡は、ツルがつなぎ目で横に拡がっただけで壊れたわけではないので、何とかつなぎ目を締めてもらおうと思って、購入した眼鏡店に年末にでかけました。件の眼鏡を店員さんに渡して待つこと10分、店員さんが青い顔をしてこちらにきます。ツルが切れたというのです。エェーと声をあげると、あわてて新品に取り換えてくれるといいます。まあもともと切れていたわけではないので(だいぶ消耗していたかもしれませんが)、ここは黙って厚意に甘えることに。おかげでさまで私はタダでツルを新調した眼鏡で紅白を見ているというわけです。この眼鏡をかけていると運が開ける気がします。このようなわけで気力もすっかり回復したことだし、2015年もこの眼鏡でいい仕事をしたいですね。

平成26年12月31日
吉良潤一