【ライフワークとセレンディピティー (1999年7月)】

  セレンディピティー(serendipity) とは偶然の大発見の意です。レントゲンによるX線の発見(第1回ノーベル物理学賞)やフレミングのペニシリンの発見(第45回ノーベル医学生理学賞)など偶然といわれる大発見は多数あります。 私も医学者の道を歩みだして、こんな棚ボタ式の大発見に巡り合わないかと期待し続けて早や20年がたちました。 さすがに今では幸運な大発見などというものは、ちょっとやそっとではやって来ないことはわかります。それでは、世にいう偶然の大発見とは、本当に偶然だったのでしょうか。 多くのノーベル賞学者のインタビューを通じて、科学における創造の瞬間を研究したホレス・ジャドソンの結論は、「偶然は準備の整った実験室を好む」でした。

  自分自身の20年間の研究生活を振り返ってみますと、1979年の卒業当時は神経薬理に最も興味がありましたが、黒岩教授の鶴の一声で多発性硬化症(MS)の研究を1980年から始めることになりました。 初仕事は当科創設時より1980年までに入院した全MS患者(45名)の入院記録を全て読み返して、 当時日本ではほとんど使われていなかったKurtzkeのDSSスケール(当時)で毎週retrospectiveに評価していくといううんざりする代物で、日本語の論文1つにまとめるのに2年半かかりました。 この論文のオーベンが、糸山、田平、柴崎、の3先生でした。一時米国NIH留学期間を含めてMS関連の基礎的な研究に携わりましたが、 1987年に遅ればせながらもMRIが九大に導入されたのを契機にMS患者専門再来を始め、自分で一人一人臨床のデータを記録していくこととしました。 当時既にMSのMRIの論文は内外に多数あり、今さら症例を集めてもしょうがないというところはありました。

  1992年、MS再来を始めて6年目に症例数が40例に達した時に、日本人MSでは脳MRIの病巣が少ないことに気がつきました。 10年目(1996年)に日本人MS患者57名を西洋型とアジア型(視神経脊髄型)に分けて解析することで、臨床像もMRI像もきれいに区分され、西洋型のみが欧米白人と同じHLAアリルと相関を示すことを見い出しました。 12年目に患者数が90例を越えた時にようやく視神経脊髄型MSの数が統計処理可能な数に達し、この型が独自のHLAアリルと相関をもつことを明らかにできました。 1999年には、1980年以来20年間にわたって集積してきた当科創設以来のMS患者143例の臨床データの分析が可能となって、時代による日本人MS病像の変化が初めてとらえられました。 この頃よくみるMS患者さんとはやや異なる病像を呈する脊髄炎患者の出現に気付き、アトピーを基盤にして中枢神経に炎症が起こる可能性を考え付きました。 これが私にとってのささやかなセレンディピティーといえるのか、今後自分の頸をしめることになるのか、まだよくわかりません。 しかし、まあノーベル賞を2回受賞したライナス・ポーリングでさえ、DNAのモデルでは3重らせん説という誤った仮説を提唱してワトソンとクリックに敗れたのですから、失敗にはめげないようにしようと思っています。

  MSの臨床的研究は欧米が圧倒的に進んでおり、患者数からして日本でMSの研究をすることは著しく不利な状況にあります。 この10年余りの分子神経遺伝学の画期的な進歩を目のあたりにし、MS研究から手を引こうと思ったことは数え切れません。 米国から帰国したときに、黒岩先生が「君欲しいものがあったら何でも買ってあげるよ」と声をかけてくれました。 田平先生、糸山先生はたくさん買ってもらったに違いないと私は思っていますが、私は何も買ってもらえないうちに黒岩先生は退官されました。 結局何も買ってもらえませんでしたが、ひと言ことばをかけていただいただけありがたかったと思って、MS研究を続けてきました。

  僕は田舎から出てきて雀荘から大学に通うような生活をしていましたから、母校の教授になれるとは全く思っていませんでした。 たまたま巡り合わせでなってしまったに過ぎません。僕は徹夜で長い時間打つのが好きで、勝負に必要なのは、執念と運と思っています。 運は間違いなく実力のうちです。まあ今では執念を支える体力も気力もなくなったので勝てませんけど、勝ちへの執念を持ち続けて、一瞬の勝機をとらえないと勝てないのはわかります。

  大学なり研究所なりを離れて、一般病院で長く臨床をされながら、なおかつ学会のリーダーとして活躍しておられる方の講演を聴きますと、このような方は全てご自分のライフワークをお持ちであることに気付きます。 他人の庭をうらやましがらず、10年、20年、30年と自分の畑を耕し続けることの大切さを感じます。 どこであれ臨床をやっている限り、いくつになっても常に新しい病気の発見のチャンス、新しい治療法の発見のチャンスはあります。 NIH留学時にみかけたジュリウス・アクセルロッド(1970年ノーベル医学生理学賞)がその受賞の理由となったノルアドレナリンの研究を開始したのは、45歳を過ぎてからです。 ライフワークを持ち続ける限り、発見には年を取りすぎたということはないようです。 実験家が測定機器のさし示すところに忠実であるように、臨床家は患者さんの語りかけているものに注意深く耳を傾け続けるべきであります。 それは、執念をもって夢を追いかけ続けたときに、初めてライフワークが生まれるに違いないと思うからです。 そして、何よりセレンディピティーは準備のできた知性のもとを訪れるに違いないからです。