【神経難病に挑む ― 二つの硬化症の克服をめざして ―(2002年7月)】

  多発性硬化症と筋萎縮性側索硬化症は、世紀の難病です。方や髄鞘を侵し、方やニューロンを侵す。 19世紀に初めてその存在が記載されて以来、1世紀以上にわたって研究が精力的に行われてきたにもかかわらず、その原因は全く不明です。 神経内科の領域では、根治的な治療法のないことと重度の障害をきたすことの2点において、この二つの硬化症こそが難病中の難病であることは、皆等しく認めるところでしょう。 この二つの難病に私は挑んでみたいのであります。

  この度、厚生労働省免疫性神経疾患調査研究班の班長に選任いただきました。九州大学神経内科が当研究班の班長をお引き受けするのは、故黒岩義五郎先生以来24年ぶりのことです。 これは私どもにとってまさに晴天の霹靂のことであり、なぜ私のような若輩の者にお鉢が回ってきたのか、今もってよくわかりません。 前班長の納光弘先生はじめご推挙くださった方々には、心から感謝申し上げたいと思います。志半ばで倒れられた黒岩先生のご遺志に応えたいと願うものであります。

  多発性硬化症が免疫性神経疾患であることは、おそらく間違いないでしょう。 免疫性神経疾患の研究にあたっては、・宿主側要因(遺伝的背景と免疫調節細胞)、・トリガーとなる感染症、・自己免疫の標的となる神経分子の同定とその機能の解明が不可欠です。 アジア人種に多く見られる重症の視神経脊髄型多発性硬化症の宿主側要因について、私どもはHLA-DPB1*0501が疾患感受性遺伝子であることを明らかにしてきました。 最近、ブラジルのAlvarenga教授を九大にお招きして、お話を伺いましたところ、アフリカ系ブラジル人でもやはり視神経脊髄型多発性硬化症が多く、その臨床像は日本人のそれと全く同じです。 この点に関しては、世界的に調査する必要を感じて、現在、中国、韓国、ブラジルとの共同研究を進めているところです。 本症に特異な標的分子の検索は、教室の三野原元澄君を中心に分子生物学的手法を用いて進められていますが、今まで見つかった抗原分子は、不思議なことにいずれもニューロンや軸索に局在しているものばかりでした。 本症のdisabilityは、脱髄ではなく軸索の脱落によることが近年重要視されており、軸索脱落のメカニズムが世界的にも注目されているところです。 三野原君の研究はこのようなところにつながるのではないかと大いに期待しています。

  一方、筋萎縮性側索硬化症については、近年、遺伝性筋萎縮性側索硬化症の原因遺伝子の研究が長足の進歩を遂げておりますが、最も多い孤発性のものは全く原因不明の状態です。 最近、当科全外来新患における神経疾患の前向き調査で、喘息の合併が運動ニューロン疾患で有意に多いこと、 脊髄前角運動ニューロン障害をきたす平山病では気道アレルギーの合併頻度が有意に高いことに気付き、アトピー素因が運動ニューロン傷害のリスクファクターとの新説を発表しました。 幸いJNNP誌、Acta Neurologica Scandinavica誌にそれぞれ掲載されましたが、こんな荒唐無稽な仮説は世界中の誰もが信じていないでしょう。 この4月から教室の菊池仁志君が、筋萎縮性側索硬化症の前角でアレルギー性炎症のメディエーターの発現が亢進していることをAnn Neurol誌に報告したコロンビア大学のPrzedborski博士のところで研究を始めることになりました。 さらに、教室の小副川学君は、運動ニューロン疾患において新しい中枢神経自己抗原に対する自己免疫応答の存在を最近発見しています。 また、三浦史郎君が、最近当教室で発見された新しい遺伝性筋萎縮性側索硬化症の大家系での遺伝子検索を、遺伝情報実験施設で開始しています。 私どもの教室はこの方面の研究の実績はこれまでたいしたものはないので、全く新しいことにチャレンジしたほうがよいと思います。 他の後追いはせず、症例を大切に研究を積み重ねていくことで、独自性が出てくることを期待しています。

図1

  教室として神経難病に挑むにあたって、忘れてはならないことが2点あります。ひとつは、いまここで神経難病に苦しんでいる患者さん・ご家族の実際の診療を忘れてはならない点、 もうひとつは神経内科のcommon diseaseの診療をおろそかにしてはならない点です。
  私どもは4年前から福岡県重症神経難病ネットワークを設立して、現に神経難病に苦しんでいる患者さん・ご家族の療養環境の整備に取り組んできました。 4年前、日本で最初の公的な難病コーディネーターとなった岩木三保さんと一緒にネットワークの現実の取り組みを始めました。 岩木さんもただの看護師さんで、福祉や面談の経験も全くありませんでしたし、前例のないことでしたから、文字通り手探りでした。 当初は毎朝ミーティングを持って対応を話しあいながらやってきましたが、その岩木さんも今ではこの方面では日本の第一人者です。 難病ネットワーク室はデスク一つでのスタートでしたが、この4月から病院内に一室を難病情報センター(図1)として使わせてもらえるようになりました。 ここには岩木さんが常駐して、療養相談や病院・往診医紹介、医療・福祉情報の提供にあたっています。 4月から難病情報センターのプレートが、東4階病棟に掲げられていますし、各階のエレベターの案内のプレートにもこの名称が載っています。

図2

  このネットワークは、福岡県の100を越える医療機関、在宅往診医を募っていただいた県医師会、地域保健所・保健福祉センター、訪問看護ステーションなど多数の方々の協力で運営されています。 まだ不十分な点は多々ありますが、4年間で2000件を超える療養相談、60件以上の長期療養のための医療機関の紹介、医療・福祉情報の提供、療養環境調査を行ってきました。 本ネットワークは厚生労働省や20近い地方自治体からの視察を受け、患者さん・ご家族にも好評です。 神経難病の療養環境調整は、我が国の医療体制そのものに起因する問題も多く、ネットワークでの努力にも限界はあります。 またネットワークの活動には時間も要します。しかし、いまここで悩んでおられる患者さん・ご家族への真摯な対応を抜きにして神経難病の研究はやれないと思います。

図3、4

  Common diseaseについては、脳卒中ホットライン(2001年1月11日より; stroke care unitが2002年4月17日より稼動中)、 物忘れ外来(2000年12月より)、頭痛外来(2001年11月より)、睡眠時無呼吸外来(1999年4月)、高次脳機能脳循環診断治療センター(図2、2002年4月1日より)を設立し診療の向上に努めています。 直前3ヵ月間の平均在院日数も2001年11月には30日を切り、最高で23.7日にまで短くなりました(図3、4)。 この7月から福岡市内の同門の開業医・関連病院勤務医と大学病院神経内科医との病・病・診連携の勉強会が始まりましたが、今後とも関連病院や同門の開業の先生方との一層の連携を図ることが大切です。

  教室員のなかには、神経難病ネットワークや脳卒中ホットライン、物忘れ外来の担当になると、対応に時間を奪われて研究がはかどらないことに悩む向きもあるかと思います。 教授を拝命した時に、まず研究体制の整備からスタートする手もありましたが、大学院大学であっても、臨床の教室はまず神経内科としてあたりまえの診療をきちんとやる必要があると考えました。 したがって、この4年間は診療体制の整備を第1に務めてきました。教室員皆の努力と同門会員の皆様のご協力により、やっとここまでになりました。 この間、基礎的な研究は第2、第3になってしまいましたが、診療の向上と症例報告に努力してきたことは、誇ってよいと考えます。] 療体制の大きな枠組みはできつつありますので、今後はいままでの診療の努力を継続しながら、研究に目を向けていきたいと思っています。

  九大では2002年度より学内の研究拠点をリサーチコアとして認定し、COEの形成をめざして育成を図ることになりました。 医学系では5つのリサーチコアが認定され、そのうちの一つが脳病態科学リサーチコア(図5)です。 脳に関心を持つ臨床教室と基礎医学教室、他学部が連携して、脳の様々な病態の解明に挑む研究拠点の形成をめざしています。

  来年度からはコンスタントに5名程度が大学院に進む見込みです。本稿で取り上げた二つの硬化症の研究戦略といっても成算は全くありません。 私が指導を受けた免疫研究グループの先輩である糸山泰人先生は、「多発性硬化症の原因を解明すれば、ノーベル賞ですよ」とよく言っておられました。 筋萎縮性側索硬化症にしても状況は同じといっていいでしょう。神経難病はその頻度は必ずしも高いものばかりではありませんが、この研究を通して神経細胞の生存と機能維持に重要な神経機能分子が発見されることが期待されます。 脳の謎に迫る研究には尽きせぬおもしろさとロマンがあります。

  これからは若い皆さんが研究の主役です。第一次南極越冬隊長西堀榮三郎の言葉「やる前から諦める奴は一番つまらん人間だ。とにかく、やってみなはれ」。難病中の難病に挑んでみようではありませんか。

図5
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