【これから研究を始める若い人へ:常識と非常識の間(2007年7月)】

  早いもので、教授になって10年目を迎えました。九大では、今年度から一般病院の医師あるいは九大病院の医員として勤務しながら、大学院に進学できるように制度が変わりました。 このため、今年は大学院に7人が進みました(今年度大学に戻って研究を始めるのは、6人ですが)。来年度も6人前後は大学院に進むものと思います。 教室も数年前までは教員・医員全部あわせて7〜8人しか大学におらず、大学院生も日本人は0という状況のことがよくありました(関連病院に医師派遣しているためです)が、 ようやく若い人が続々と九大病院や関連病院での卒後4〜5年間の臨床研修を終えて、専門分野の研究に入ってくる時期を迎えました。 そこで、今年の巻頭言では教室の研究の現況についてふれたいと思います。


  医学部卒業後は、だいたい4〜5年くらい忙しい日常臨床の時期を過ごします。神経内科に入局した以上、これは当然です。 若いうちにしっかり鍛えておかないと、神経内科医としてはやっていけません。しかし、5年もみっちりやれば、若手医師としては一人前です。 このあたりで自分の医師人生を見直し、たとえば大学院に行って専門分野の学問を深めるような時間を持つことは、とてもいいことです。 このような機会をもつことは、将来、臨床医学の研究者として活躍したい人にとっても、臨床の第一線でやっていきたい人にとっても望ましいことだと思います。 研究は大変おもしろく、そのプロセスにはつらいことも多くありますが、充実したときを過ごすことができます。 また、大学院の間は日常診療に追いまくられることもなく、わりあいと時間が自由にできます。 この時期を上手に使って、他の研究機関に行ったり(現在は東大・京大・長崎大の基礎医学教室、国立精神・神経センター神経研究所、国立循環器病センター等に行っています)、専門医試験をクリアしたり、あるいは結婚・子育てをこなしたり(卒業を延期することもできますし、休学することもできます)、というのも一つの手でありましょう。 専門医研修が終わった段階で自分の人生の設計を改めて考える時間を持つことは意義があると私は思っていますが、ここでは特に大学院生の本分である研究への姿勢などについて日頃思っていることを述べます。

  表1に教室からの最近の英語論文の投稿と査読の状況を示します。これらは2006年1月以降の新規作成論文で、教室員がfirst authorのものです。 大部分は教室でなされたものですが、一部、基礎の教室と共同でなされたものも含まれています。33編の新規英語論文の50回の投稿の状況をまとめています。 何度も落ち続けているものもありますので、当然作成論文数より投稿回数の方が多くなっています。参考までに投稿雑誌を2007年時点でのImpact Factor (IF)で 分けています。 IFが4を越えると、その分野での一流誌、10を越えれば分野を越えたサイエンスの領域での一流誌ということになります。IF4〜10は、神経内科領域ではBrain、Ann Neurol、Neurology、Arch Neurol誌などです。 JNNP、J Neurol、J Neurol Sciなど普通のレベルの雑誌はだいたいIFは2〜3台です。

表1

  一目瞭然ですが、IF4〜10の学術誌では、約6割ははじめから落とされ、IF4未満の雑誌でも約4割落とされる。 IF10を越えるようなものでは8割以上落とされるというのが、今の私達の実力です(今は発展途上で、ようやくIFの高いジャーナルにチャレンジできるようになった段階といえます)。 これが意味していることを一言でいえば、日本から投稿した英語論文はよく落ちるということです(もっともこれは私達だけかもしれませんが)。 研究成果を論文にまとめあげて投稿したら、ほとんどそのプロジェクトは終わったつもりになっている若い人もいますが、実は、最初の投稿時点でその仕事の50%くらい、つまり前半戦が終わったと思えば丁度いいです。 本当にしんどいのは、そこから論文を通すまでの後半戦です。自分では大変な苦労をしていい論文になったと自負して投稿したのに、editorからのrejectを告げるすげない通知を目のあたりにすると、がっくり落ち込みます。 Major revisionになったらなったで、もう自分ではそのプロジェクトは終わったつもりになっているのに、またたくさんの追加実験をやらざるをえない羽目になります。
ここでわかってほしいことは、他の皆もよく落ちているということです。Rejectやmajor revisionになって、そのまま放置したら何もなりません。 研究者は、査読のある学術誌に自身の研究成果を論文として公表して、はじめて認められるのであって、学会発表や査読のない班会議などの報告書や商業誌の総説だけでは、到底実績として認められるものではありません。 研究プロジェクトの後半戦をきっちり詰められる人だけが、研究者として認められていくということです。 Rejectの通知を受けとったら、すぐsupervisorに相談して次の投稿雑誌を決めることです。Major revisionになったら、ただちに追加実験の準備にとりかかることです。 Revisionで大切なのは、reviewerのコメントに逐一応えるという姿勢です。面倒でも、コメントに一つ一つ丁寧に応えていける人が、研究者として伸びる人です。 (実験データが出ているのに研究論文を書かない人、症例の検討が済んでいるのは症例報告をまとめようとしない人は論外です。サイエンスに対しても患者さんに対しても怠慢で不誠実といえます。このような人は大学院に行く資格がそもそもありません。)

  ところで表1は逆の見方をすると、IF4未満(概ね2〜3台です)のジャーナルでは2回に1回はひっかかる、IF4〜10のものでも3回に1回はひっかかるともいえます。 ですから、私はhigh quality journalにチャレンジした方がいいと思います。大学院4年間の成果は、少なくとも最初はIF4〜10レベルのその分野での一流誌をめざした方がよいと考えます。

  では、どのような研究を私達はめざしたらよいでしょうか。私は、神経内科医なら誰でも経験する神経疾患で、誰もが思いつかないようなアイデアで勝負するのが一番いいと思います。 そして、その成果を患者さんへ還元することです。臨床医は常識人であることが求められますが、研究は既成の概念に挑戦した方がおもしろいです。 卒業後、忙しい日常臨床を5年もやっていると、常識的な発想しかできなくなりがちです。今の常識が何であるかをよく知ることは大事です。 しかし、それにとらわれず、今の非常識が明日の常識となることもあると心得ておくといいでしょう。自分は発想力に自信がないと思っている人は、患者さんに学ぶことです。 患者さんの病歴・身体所見、MRIなどの検査所見をよく観ること。観察を続け考え続けることで気づく点は必ずあります。 この意味で、私は大学院生といえども専門再来を週に一コマは持つことを勧めます。もう一つは、異分野の研究に学ぶこと。異分野の成果を神経学に結びつけることはとても大切です。 どんなに頑張っても1年に一人の研究者が4本も5本も研究論文を発表できる時代ではありません。当教室全体としてみても平均毎月2本英語論文を出せたら上出来でしょう。 だったら、これからは、時間はかかっても量よりは質を求めた方がよいです。ただ雑誌のIFにとらわれる必要はありません。 アジア人に特異な病気など、対象としている疾病によっては欧米誌には採用されにくいものもありますし、また内外のライバルによってIFの高いジャーナルは落とされてしまうこともあるでしょう。 より大事なのは、IFの高いジャーナルに採用されることではなく、その論文のオリジナリティーの方です。


  現代の医学研究は複雑高度化が顕著であるため、論文が個々人一人の仕事で完結するというよりは、多くのメンバーがプロジェクトに参加してチームでまとめるということの方が圧倒的に多くなってきています。 新しく研究を始める若い人もどこかの研究室・研究グループに加入し、チームの中で研究手法を教えてもらいながら研究の世界に入っていくことが大部分と思います。 ここでは研究チームとして行っているプロジェクトと、個人のアイデア(やりたいこと)とが必ずしも一致しない状況が生じ得ます。 Supervisorから言われたテーマではイマイチおもしろくないと感じることがあるかもしれません。当教室では、研究分野・研究グループの選択は、本人の意思に完全に任せております。 したがって、こういう研究をやっていると理解したうえで入った研究グループでもらった最初のテーマということになりますから、それは頑張ってやった方がよいです。 もらったテーマでも多くの工夫と発見が可能と思います。あとは研究の進め方についてsupervisorとよく話しあうことが大切です。 大事なことは、自分が本当におもしろいと思う研究分野を選ぶことです。
  現代の科学では、新しい知見はいろんな角度から異なる手法で検証することが求められます。当然時間はかかります。 こんなに手間暇かけていたら、同じようなアイデアで他の研究者に先を越されてしまうのではないかと気が気でなくなることもありますし、実際、先を越される場合もよくあります。 しかし、そんなときは、所詮それだけのアイデアであったと潔く思って、次にとりかかった方がよいです。 それと欧米の研究成果に追従したり欧米人の主張に迎合したりすることはしない方がよいです。アジア人で欧米人と全く同じようなことになるかは、やってみないとわかりません。 欧米のすぐれた研究成果も批判的に検証することは必要です。私達は私達独自の見解を出せばいいと思います。 ただし、欧米と違う説を欧米の雑誌に通そうとするわけですから、困難は当然ですね。へこたれないことが大切。 また余計なことをいいますと、日本神経学会は独自の英文誌をもつべきです。アジア人のNeurologyの研究成果を公正に査読し迅速に英文で発表できるシステムを私達は造り上げることが不可欠です。 臨床神経学は来年(48巻)1号から電子化されますが、その経験を生かし3年以内にはIF4を越える英文誌を立ち上げるくらいの覚悟が望まれます。

  次頁図1には教室からの投稿論文(表1の33編)の研究手法を、図2には対象疾患をまとめています。 神経免疫関係が多いのは、今年度が神経免疫班の最終年度で成果をあげることが求められているからです。 班研究は一定期間で成果をあげることが求められますので、制約があって大変きついものです。 今年度で私の神経免疫班の班長も終わりますので、来年度からはもっと自由な発想で研究を進めていけるかと思います。 教室全体として単一の疾患、単一の研究分野・手法に偏ってしまわないようにすることが大切です。

  脳卒中関係はまだ出てきていませんが、これは脳卒中をやっていないのではありません。 大学病院でも脳卒中ホットラインを腎・高血圧・脳血管内科(旧第2内科)と2週交代でもっていますし、救命救急センターに半年交代で教員(特任助教)を派遣しています。 関連病院神経内科では、脳卒中を専門とする神経内科医が脳血管内外科専門医資格を取得できるよう専門病院の脳外科に交代で人材を派遣しております。 このような人達が育ってくると脳卒中関係の仕事も出てくるものと期待しています。

図1

図2


  初期臨床研修必修化後は、医学部卒業生の大学離れは固定化しつつあるようです。 卒業後専門医研修のために大学に帰学する者(入局者)の割合は、全国平均で平成14年度が72.1%、平成18年度が51.2%、平成19年度が47.0%(これは地域により偏りがあり、関東は75.0%、九州は47.1%)とのことです。 専門医(後期)研修も一般病院で行う人が半分以上です。関連病院の医局に直接入局する人が、今後は次第に増えていくと思います。 しかし、一般病院一箇所で専門医研修をした場合、様々な指導者に接することがありませんし、また経験する疾患も偏りがちになると思われます。 当医局では、大学病院と急性期総合病院、国立病院機構の筋ジス・神経難病病棟と複数経験できるようにしております。 関連病院群と大学医局との連携が、診療・教育においてますます重要になってきていると感じます。 大学医局に入局した人は関連病院に紹介(派遣)しておりますので、関連病院では初期研修医にぜひ神経内科への入局を勧めていただきたい。 関連病院の神経内科医は、あの先生のようになりたいと研修医があこがれるようなロールモデルとなっていただきたい。 また直接関連病院に入局した人には大学病院や大学院で学ぶことも勧めてください。 初期臨床研修必修化により新卒入局者がなかった人手不足もはなはだしい時期に、せっかく多くの関連病院を維持し、むしろ増やしてきたわけですから(当医局の関連病院神経内科(責任者を出している施設)は、10年前は17でしたが、現在は21となっています)、 今後は人材の双方向性の交流により、ともに発展していくことを期待します。


  大学は明日の医学を創るところです。ただ明日の医学も今日の医学・医療がしっかりしていないと砂上の楼閣になってしまいます。 大学病院は独立行政法人化して以降は、運営費交付金(人件費)が毎年定率で減らされていきます(九大病院は約5億円毎年減額されます)。 人員削減の一方で、九大神経内科でも平均在院日数は10年前75日くらいであったものが今年度は約20日なので、3倍は働いている勘定になります。 臨床をしっかり診ながら、研究をするのは本当にしんどいことです。しかし、明日の時代を拓く医学研究は、忙しい一般病院では極めて困難で大学でしかできないことです。 昨今のbasic neuroscienceの驚異的な進歩は、私たち脳に関心があるもの全てを魅了します。疾患を通じて脳をみている神経学者にしかできない脳科学への貢献もあると私は思います。 九大病院では、新病院にブレインセンターが設置され、この4月から本格的に稼動し始めました。したがって、九州大学神経内科は、疾患から脳をみようとする研究者にチャレンジングな研究の場を提供することが可能です。 今年、来年と若い人が大学院に続々と入ってきますから、私はこれからが世界を相手に研究で一勝負するときと信じております。 常識と非常識の間を行き来しつつ、明日の医学をめざしたいと思います。チャレンジしましょう。