症例報告は神経内科の原点(2011年7月)】

 


 日本神経学会では英文誌の発行を目指して、これまでの英文誌ワーキンググループを今年度には英文誌編集委員会に改組し、本格的に発刊の準備を始めることになりました。ジャーナルの誌名やそのスコープなどはこれから詰められます。アジア諸国でもマレーシアからはNeurology Asia、韓国からはClinical Neurologyなどの英文誌が既に発行されていますので、アジアで最も伝統のある日本神経学会にしては、英文誌の発刊がやや遅きに失した感は否めません。日本の医学会、医療界にとってグローバル化の波は避けて通ることはできません。日本神経学会でも国際化を目指した新たな活動が進められていますが、英文誌発刊はその重要な第1歩といえるでしょう。
 日本神経学会で英文誌の発刊が遅れたことの一因に、既に本学会では臨床神経学という51巻と巻を重ねている優れた邦文誌が存在しているということもあげられるでしょう。これには二つも学会誌を持つと経費がかかりすぎるという面もあります。ただこの点は学会誌のオンライン化により克服できそうです。
 学会英文誌のスコープがどのようなものになるかは、まだ決まっていませんが、昨今の英文ジャーナルは、impact factorをあげるためでしょうか、case reportをあまりとらなくなっています。一方、臨床神経学は症例報告を主体にしたジャーナルで、Pub MedでもRinsho Shinkeigakuで掲載論文が出てきます。Abstractと図表が英文なので、外国の方にも症例報告であればなんとかわかってもらえるのではと思います。Pub Medのサーチで出てきますから、臨床神経学誌にきちんとした症例報告を出しておけば、外国の方も先行症例報告として引用しないわけにはいかないと思います。その意味でも邦文誌ではありますが、臨床神経学への症例発表は大切にしたいものです。

 どの診療科でも医療・医学は1例の発見から出発します。とりわけ、神経学においては症例の正確な記載こそが第1歩です。症例報告から新しい疾患概念なり新しい治療法なりが確立してきたのが、神経学の歩みといえるでしょう。そのようなわけで、当神経内科学教室では症例報告を大切にすべきと考えています。新入局者には全員に大学病院神経内科病棟での経験例のなかから症例報告をまとめるように指導しています。特に神経内科専門医研修をスタートし病棟主治医として研修する期間こそが、症例報告を筆頭著者としてまとめるよい機会です。できるだけ印象がフレッシュなうちに症例報告として論文にした方がいいので、九大病棟での研修中またはその次の出張の年には症例報告にまとめて投稿にもっていくよう勧めています。

 当教室の症例報告の状況を私の教授就任後の14年弱でみますと、145編の症例報告が九大神経内科の病棟から英文誌あるいは邦文誌に出版されています(図1)。毎年平均10編余りの症例報告がうちの病棟から出されている勘定になります。掲載誌の内訳は図2のとおりです。丁度半分が臨床神経学、残りをそれ以外の邦文誌と英文誌とで分け合っています。図1のグラフでおわかりいただけますように、年間3編から22編まで周期的に上がり下がりの波があり、今は3回目の上昇気流にある印象です。年間10編を目標にしていますが、14回のうちこれを達成できたのは8回(57%)に過ぎません。この間に国立大学病院の独立行政法人化で格段に病棟業務が忙しくなったり、初期臨床研修必修化で入局がない年が続いたり、電子カルテ化で入力業務に時間を奪われたりと様々な荒波をかぶりました。また、初期臨床研修で2から3ヶ月単位で細切れに回ってくる研修医自身が、症例報告を論文に書くことはまずありません。このような外的要因による直接的な影響での増減も確かにあると感じますが、必ずしもそれだけではないかもしれません。

図1
図1. 九州大学神経内科学教室からの症例報告の動向

図2
図2. 九州大学神経内科学教室からの症例報告の掲載誌

 この間の入局者は79名になりますが、図1では平成8年入局(1997年)から平成21年(2009年)入局までの人たち76名の神経内科病棟での勤務中の症例報告を対象にしています(平成22年入局者は現在執筆中、平成23年入局者は現在病棟研修中)。これらを入局者別の症例報告数でみると図3のようになります(現在投稿中も含む)。ここで、0編という人が21%(16名)と多いのは、初期臨床研修必修化後の入局が再開した平成18年(2006年)入局以降の人で、大学神経内科病棟時代のものをまだ書いていない人が12名に上っていることによります。今回の対象とした人のなかでは、臨床研修必修化前(平成15年以前)に入局した48名では44名(92%)が九大神経内科病棟での経験例を症例報告として論文にしていますが、初期臨床研修必修化後で今回対象とした平成21年までの入局の世代は、28名中16名(57%)しか症例報告を論文として書いていません。初期臨床研修必修化後の時代の人たちは、大学を出たら2ないし3年間は市中病院に行くことが大部分ですから、このあたりの時期に地方会などで症例発表はしても、それを論文にまとめるというところまではしっかり教育されていないのではないかと懸念します。この若い世代で症例報告の熱意が冷めてきているとしたら、これはやはり大きな問題と言わざるを得ません。

図3
図3. 新入局者別の九州大学神経内科病棟からの症例報告数

 臨床神経学もこの頃は、年間投稿数が長期低落傾向にあります。編集委員会では最近は丁寧な査読指導をしておられるようですが。この度の神経学会学術大会の評議員会で、臨床神経学の平成22年度の掲載論文状況が資料として出されていました。たまたま昨年度はうちは掲載が多かったので、医療機関別順位では九大神経内科が8編でトップであったのは喜ばしいことですが(これは病棟医長であった立石君の指導が大きいですね)、第2位・第3位の医療機関がいずれも3編と少なかったことに驚きました。これらのことは、全国的にみてもやはり初期臨床研修必修化後の世代では症例報告が減ってきていることを暗示しているかのようです。臨床神経学がその役目を終わったとは私は思いません。神経内科病棟研修を始めた人たちにとっては、まず日本語で(できれば英語で)しっかりした症例報告を書いて臨床神経学に載せるということが、研修医教育の一環になります。この頃は、専門医試験も症例サマリーのまとめが試験の対象に含まれるようになりました。これは系統的で正確なサマリーをまとめる能力があることが、専門医としての大事な能力ととらえられているからです。症例報告をまとめることで、系統的で無駄のない書き方を学び、症例に関わる文献を調査し一例への理解を深めていく過程で、病態への思考プロセスを学ぶことができます。このことがとても大事なことで、それはその後の臨床のみならず研究にも大いに活かされ得るものであります。大学病院での病棟主治医時代に症例報告を一編も書かないで、いい教員、いい研究者になれるとは、私は思いません。患者さんにいただいた貴重な症例経験を埋もれさせてはなりません。それに、自分が筆頭著者で記述したものが出版されるのをみるのは、気持ちのいいものです。

 いつも話していることは、大学神経内科の病棟研修はその期間が終了したら、それで修了というわけではないということです。病棟研修中に経験した症例を論文として学術誌に発表して、はじめて修了なのです。その意味で、まだ病棟研修を修了し終えていない人が、少なからずいるように思います。
 初期臨床研修必修化直前の世代はいい人がたくさん入りました。必修化後も一時は本当に低迷しましたが、最近はしっかりした人たちが入ってくれています。大学神経内科、大学病院ブレインセンター、関連病院神経内科、そして大学院研究室と連携して、若い人たちの教育にあたりたいものです。ただ、症例報告数の増減の波をみると、私自身がちょっと疲れ気味で元気がなかったころに数が減っているような気もします。ここは、やはり教授が叱咤激励することも必要かなあとも思います。行き着くところ、私自身も含めて病棟教育スタッフの熱意と研修医自らの自覚がやっぱり一番大事です。大学病棟で働く私たちには、症例報告を通じて未来の医療を切り拓く使命があると考えます。使い勝手の悪い電子カルテに悩む毎日ですが、使命感をもって日々臨みたいものです。
 初期臨床研修必修化後入局世代の若い人たちのこれからの奮闘に大いに期待しています。