ハンマーとピペットマン(2012年7月)】

 


 それぞれの職業には、その職業を象徴する道具があります。それは、包丁であったり、バットであったり、絵筆であったり、あるいはバイオリンであったりと、その人のこれまでの人生を反映する場合が多いといえます。したがって、扱うのが得意な道具というのは、面接のときなどに質問されることが少なくありません。神経内科医にとってのそれは、ハンマーでしょう。むろん金槌ではなく、日本語では打腱器(あるいは打診器)と訳されるものです。腱を叩いて腱反射を誘発し、それが高いか低いかで神経のどこが障害されているかを知ることができます。この叩き方には上手い下手があります。巧者が叩けば、わずかな右手と左手の腱反射の差を検出できるものも、下手が叩けば患者さんが痛いばかりで、何もわからないということになりかねません。神経内科専門医になれば、上手が叩いても下手が叩いても診察の値段は変わりませんが、私たちは一生かけて腕を磨き、わずかな差を的確に検出できるプロになりたいものです。そのような思いを込めて、九州大学神経内科学教室では、毎年の新入局者にはハンマーを入局のお祝いとして贈ることにしています。ハンマーの値段はたかだか2000円ほどに過ぎませんが、ハンマーの柄の部分に、本人の名前と、九大神経内科と入局の年度を刻んでプレゼントしています。これは1文字500円なので、文字を刻むことの方に余程お金がかかってしまいます。今年は、このハンマーを、恒例の医局旅行で新人全員で玉名の小岱山に登った後に、玉名温泉での宴会を始める時に皆の前で紹介をかねて配りました。

 ハンマーは、私たち神経内科医にとって今の医療を象徴するものといえます。その一方で、私たちは臨床医学研究者としてこれからの医療を切り拓いていかねばなりません。医学研究には様々な分野がありますから、一概にどの道具が医学研究者を表象するとはいいにくいのですが、医学研究者なら多くの人が日常よく扱う道具の一つにピペットマンがあります。これはいうまでもなく、1マクロリットルから数百マイクロリットルまで溶液を、手で分注するときに使う道具です。ピペットマンを医学研究者を象徴する道具と言っても、大きな違和感はない気がします。もっとも神経生理分野の研究者にとっては、脳波計や電極の方がむしろ研究をよく象徴するといえるかもしれませんが。

 ピペットマンなんてだれでもすぐにでも使える、扱うに容易な道具のようにみえます。でも1マイクロリットルを正確に繰り返し注入するにはやはり上手下手があると思います。ピペットマンに付けたチップを溶液の表面ピッタリに触れて、チップの外側に溶液を付着させることなく、またチップ内に空気の泡を入れてしまうことなく溶液を吸引し、別の容器に今度は容器の外壁にチップの先端を付けて、チップの内容液を全量押し出す操作が必要です。それを正確に短時間で何十回も繰り返すのは、神経を使う作業です。でも、これが正確にできないといい結果は出ません。これはほんの一例にすぎませんが、生物系や生化学系の実験研究には上手い下手が明白にあります。アイデアはよくても実験下手な人は、 アイデア倒れに終わってしまいかねません。ハンマーにせよピペットマンにせよ、単純な道具ほど、実は扱うのにプロとアマで差が出るのではないかと私は思います。もっともこのようなことはプロに近くなったときに初めて自覚するものではないかという気もしますが。

 右手でハンマーを振りながら、左手でピペットマンを操作するということを続けるのは、確かにハードな人生です。しかし、大学病院の医師に求められているのはまさにこのようなことなのです。もっとも私は、関連病院であってもハンマーだけでいいかというと、必ずしもそうではないと思います。やはり臨床研究を明日の患者さんのことを思って実施することが大切と信じています。今、九大病院と関連病院を結んで行っている広域臨床研究プロジェクト(脳卒中と認知症)はまさにこのようなもので、このプロジェクトの研究論文は参加している関連病院の医師がまとめてほしいと願っているところです。

 神経内科は、関連病院も大学病院も患者さんが増える一方で、臨床の業務はますます忙しくなってきています。相対的に見て、古くからある診療科に比べて歴史の新しい神経内科は、ポジションもマンパワーも少なくて、医師は忙しいのが実情です。学生のころは、あんなに時間が有り余っていたのに、医師、教員になるととても忙しくて、論文を書いたりする時間などありませんというのが、若い人の実感かもしれません。でもおそらく大切なのは時間の質なのです。少し大げさかもしれませんが、忙しい中で得たこの貴重な時間を何に使うかという覚悟ですね。時間の質を決めるのは。今、手元にあるこの時間を真摯に使うということが、ハンマーとピペットマンの両立につながるものと思います。

 ところで毎週1回の朝の抄読会は黒岩義五郎先生以来の教室の伝統です。毎回、二人の当番が、一人あたりの割り当て時間30分で、9編の英語論文を紹介します。計18編を1時間で紹介する勘定になります。論文はAnnals of Neurology, Brain, Neurology 誌などからとってきます。1編3分ほどで紹介しないと30分では終わりません。黒岩先生のころは、論文の内容を使用したコピー用紙の裏紙などにマジックで書いて、丁度学会のポスター発表よろしく次々にプレゼンしていたものです。今は、これは各自のパソコンにプロジェクターをつないでスライドで次々と内容を紹介していきます。これは発表する若手医師に、英語文献を読むことに慣れてもらうということに重きがあるのはいうまでもありません。他方、聞いている側は、1編3分であわただしく紹介されますから、内容の理解も未消化になりがちです。いきおいこんな荒っぽい抄読会を聞いても身につかないと感じます。私も若いころはそんな思いで、医局のduty なので仕方なく出ているという面がありました。最近の若い医局員は医局のduty など気にも留めない人が少なくないですから、こんな抄読会は意味がないと考えてか、出てこない人も結構います。教員ですらも時間どおりに出てこない人が多くて、発表者と私と准教授くらいしか開始時間にいないこともありました。

 これは聞いている側にとって意味がないかというと、私も年をとってからはそうは思わなくなりました。実は一事が万事なのです。こんなあわただしい抄読会でも、それなりに断片的な情報を耳学問で得ることはできます。3分あれば、上手なプレゼンターは、背景・目的・方法・結果・考察・結論を要領よく提示できます。なにがしかの最新の情報を得ることはできます。抄読会に出て、関心をもって新しい情報を得ようという人は、やはり教室のリサーチカンファレンスはじめ、その他の勉強会や研究会にも出て行って、それなりに学んでくる人なのです。大学院4年間、自身の実験大事で、自分の発表の時以外は全く抄読会に出てこない人もいます。大学院4年間抄読会で最新の臨床の知見を少しでも吸収しようとした人とは、それは雲泥の差になります。そのような臨床の学識の差は、みているとすぐ周りの人にはわかります。抄読会に時間どおりに出てこないというのは、たぶん氷山の一角なのです。抄読会に出てこないような人は、高い確率で他の勉強会にも真面目に出てこない人とみて、そんなにはずれていないでしょう。学び続けるという気持ちのあるなしという根幹に関わっていると思います。なお、今年度から医局長が抄読会のサマリーを教室のホームページ上で見ることができるようにしてくれました。学外の教室員にも参考にしてほしいと思いますし、医局長が替っても続けてほしいものです。

 ハンマーを振って今の医療を担う一方で、ピペットマンを扱って明日の医療を探る、ハードな人生です。家庭を構えると、ますますハンマーとピペットマンの両方を扱うのは難しいと感じるようになります。しかし、ハンマーとピペットマンの間は、ものすごく遠いかということ、実は必ずしもそんなに遠くはないのです。ハンマーを振っていると臨床の現場での疑問が湧いてきます。これをピペットマンを使って調べてみたいという思いが芽生えます。逆にピペットマンを使って得た知見は、ヒトの臨床ではどうかということをハンマーで調べてみたいという気持ちになることもあります。これを現実に実践できるのは、フィジシャン・サイエンティスト(Physician Scientist)です。臨床だけのクリニシャン、基礎研究だけのピーエッチディーサイエンティスト(PhD)では行えない、フィジシャン・サイエンティストの特権といえます。このハンマーとピペットマンの間の行き来を私たちは大切にしたいですね。時間の足りなさ、忙しさは、研究チームを組むことでカバーできると思います。ようやく私たちの神経内科教室・医局も、留学帰り、ポスドクが大学の教員に就くようになって、ハンマーとピペットマンの両立をめざせるようになってきたと感じています。私たちはぜひ学びの気持ちを大切にして、ハンマーとピペットマンの両立をめざしましょう。きっと充実した質の高い時間が持てるでしょう。


図1.今年の医局旅行での小岱山にて。新入局者、新人看護師さんとともに。