教室のあゆみ

 昭和38 (1963)年に九州大学医学部付属脳神経病研究施設の神経内科、次いで脳神経外科が開設され、昭和49(1974)年に施設の最初の基礎部門として脳研病理が開設された。初代教授として立石潤が岡山大学医学部精神神経科から迎えられ、昭和50年に大田典也が助教授に任命された。立石教授は九州大学に赴任する以前にすでにスモンの実験モデルをイヌで作製することに成功し、実験神経病理学の分野において輝かしい業績を挙げていた。九州大学に赴任し、その後のライフワークとなるプリオン病の脳乳剤を小動物であるラットとマウスの脳内に接種し、伝播に成功した。この頃、プリオン病に関しては、Gajdusek博士らがKuruのチンパンジーへの伝播に昭和41年に成功し、ついでCJDの同様な伝播を昭和43年に報告している。しかし、他の研究施設では成功せず、そのため我が国でもその成功は疑問視されていたのである。立石教授は世界で初めて小動物へのプリオン病伝播に成功し、さらに発病したマウスの脳を他のマウスに継代接種することにも成功した。この成果を論文に発表すると小動物への感染実験が世界中で次々と導入され、ハムスター、モルモット、スナネズミと成功例が増えていった。後にプリオン病の研究によりノーベル賞を受けたGajdusek博士が昭和53年に立石教授の研究室を訪れ、不可能と考えられていた小動物への感染を自分の目で確かめ、「信じがたい程の成果だ」と絶賛している。それ以降、プリオン病の研究が分子生物学の進歩を取り入れ、またその間の英国の新型CJDや乾燥硬膜による医原性の発生という重大なエピソードが推進役となって著しい進歩を遂たことは周知の通りである。
 
 平成7(1995)年4月に教室のプリオン病研究に大きな貢献をなした北本哲之助教授が東北大学病態神経学教授として転出した。北本助教授は九州大学赴任中にプリオン病の遺伝子解析と異常プリオン蛋白の研究を精力的に行い、新規の遺伝子異常を伴う新たな疾患単位を見いだし,その症例数は世界において最も多い

 平成8(1996)年3月に立石潤教授が定年に伴い退官した。立石教授は昭和49年から平成8年までの22年間九州大学の教授の任にあって教育・研究・神経病理学を指導し、後進の育成にあたった。教官定員が3名の講座であっても高い研究活動を維持し、この間の英文論文は317編に及んでいる。プリオン病以外にも研究は人体病理学と実験病理学の両方を手掛け、各種中毒性物質、薬物の中枢および末梢神経系への影響や様々な神経変性疾患の病態を光顕的、電顕的に追求した。

 平成8(1996)年8月に岩城徹助教授が第2代教授として就任した。平成13年に堂浦克美講師が助教授に昇任した。研究面ではプリオン病研究をはじめとする神経難病の病態解析を継続し,日本全国の施設より依頼があるプリオン病の遺伝子解析と病理診断を行い、臨床側に大きく貢献してきた。堂浦助教授が培養細胞や遺伝子改変マウスなどを用いたバイオアッセイ法を導入し、プリオン病の治療薬開発を推進した。その結果スクリーニングした多くの薬物のうち、ペントサン硫酸の脳室内投与がプリオン病の生存期間の延長に極めて有効であることを動物実験で確認した。英国において変異型CJDの患者にペントサン硫酸の投与が試みられ、ヒトプリオン病における有効性が検証される段階にきている。これらの業績によって堂浦助教授は平成15(2003)年7月に東北大学大学院医学系研究科附属創生応用医学センタープリオン蛋白研究部門プリオン蛋白分子解析分野教授に栄転した。

 他にも種々の変性疾患に蓄積してくる異常構造物の成分解析を行い、星細胞に蓄積してくるRosenthal線維の成分としてαB-crystallinを同定し、αB-crystallinの正常組織における分布や神経疾患および脳腫瘍における変化を明らかにした。この他に脳腫瘍の生検診断を日常業務として携わっており,豊富な人体材料を有している。これを活かして脳腫瘍の遺伝子異常についても脳外科や遺伝情報実験センターと共同研究を進めている。さらに平成13年より病態機能内科学との共同プロジェクトとして久山町研究における痴呆疾患の病理学的解析を開始している。                 
(文責:岩城 徹)