患者さんへ

【はじめに】
 あなたの脚の状態は、血液を送る管(動脈)が閉塞することにより生じています。これまでの治療法で十分な効果が得られなかったことから、「血管新生遺伝子治療」という、全く新しい治療法をあなたにお勧めしようと考えています。ただし、この治療法はまだ始まったばかりであり、安全性など、いろいろな点がはっきりしておりません。
 この臨床研究に関わることをあなたに文章および担当医師の口頭で、これから説明を致します。本臨床研究に関わる疑問点などは、どのような些細(ささい)なことでも、担当医師にお尋ね下さい。また判らないことなども、いつでも気軽に質問して下さい。
【血管新生遺伝子治療臨床研究への参加】
 この血管新生遺伝子治療臨床研究に関する説明を担当医師から受けた上で、本臨床研究に参加されるかどうかは、あなたの自由な意志で決めて下さい。たとえ参加されなくても、今後の治療に不利益になることは全くありません。
 また血管新生遺伝子治療臨床研究実施中に新しい情報(例えば他の新しい治療法など)が得られた時は、必ずあなたにお知らせ致します。
【血管新生遺伝子治療臨床研究の辞退】
 この血管新生遺伝子治療臨床研究に参加することを同意した後でも、また実際に開始した後でも、あなたが何らかの理由で辞退を申し出た場合は、いつでも自由に辞退することができます。また辞退の後でも今後の治療に不利益になることはなく、現在行われている最善の治療を行います。
【血管新生遺伝子治療臨床研究の目的】
 本臨床研究の目的は、血管が閉塞し血行が悪くなった下肢に、新しい小さなバイパス血管を作ることができるか、そしてその新しい血管によって血行が改善し、歩行時や安静時の脚の痛みが無くなったり、脚にできた潰瘍を直すことができるかどうかを検討することです。このように新しい血管ができることを「血管新生」と呼び、血管新生は「血管新生因子」というタンパク質により誘導できることが解っています。
 通常の治療法は、狭くなった血管を風船で広げる方法(血管拡張術)、あるいは自分の静脈や人工血管で閉塞した部分をバイパスする方法で血流を増やすことにより、脚の痛みを無くしたり脚の潰瘍を治療したりします。しかしあなたの脚はこのような治療法が受けられないほど重症である、あるいはこれまでにこのような治療法を受けても十分な効果がありませんでした。また血管を拡げるお薬や血液が固まるのを防ぐお薬も使いましたが、十分な効果が得られませんでした。したがってあなたの脚は将来切断せざるを得なくなる可能性が十分にあります。
 まだ人における効果は十分に確認されておりませんが、私たちは血管新生遺伝子治療という、新しい治療法があなたのような症状を持つ患者さんに有効であるかどうかを検討しています。この治療法は動物実験ではその効果が確認されています。あなたと同じような症状を持つ動物を作成した後、本治療法を行うと新しい血管がたくさん現れ、脚の状態が大きく改善することが確認されています。
 従って私たちは、もしあなたの同意が得られるならば、あなたにこの治療を行って新しい血管を作り、あなたの脚の痛みや潰瘍を治すことができるかどうかを検討させて頂きたいと思っています。
【現在研究が始まっている他の類似の治療法について】
 今回の治療法に類似した「血管新生治療(新しい血管を作り、血流が少なくなった足を助けることを目的とした治療法)」は、他にもいくつかの方法が日本を含め世界中で始まっています。ここでは日本で行われている他の代表的な治療法を紹介致します。
1)骨髄細胞移植療法
 あなたの骨の中には「骨髄」という、血液を造り出す細胞がいます。最近の研究でこの中に血管を作る能力がある細胞が、少数ですが含まれていることが明らかにされました。この治療法はあなたの骨髄からこの細胞を含む細胞を取り出し、足の筋肉に注射するもので、一部の患者さんに効果があることが報告されています。この治療法は主に久留米大学病院関西医科大学病院山口大学医学部附属病院などで行われております。
2)末梢血幹細胞移植療法
 骨髄と同様に、あなたの血液の中にも血管を作る細胞が少数ながら存在することが知られています。この治療法では、この血管を作る細胞を比較的多く含むCD34陽性という細胞をあなたの血液から採取し、同様に足の筋肉内に注射するもので、我国では現時点で私共の施設(九州大学医学部附属病院第2外科/消化器・総合外科)でのみ行われています。この治療法でも一部の患者さんで痛みが軽くなったり、潰瘍が小さくなったりという効果が得られています。
3)肝細胞増殖因子(HGF)による遺伝子治療
 肝臓の細胞を増殖させるHGFというタンパク質には、血管を造り出す作用もあることが知られており、このHGFの遺伝子により同様の治療を行うものです。この治療法は現時点で大阪大学医学部附属病院で行われており、一部の患者さんで痛みが軽くなるなどの効果が報告されています。

 以上のように血管新生療法は色々な方法で始められておりますが、まだ治療を受けた患者さんの数が少なく、どの方法がよいという結果は出ておりません。

【治療の実施方法と注意事項】
 今回、私たちがお勧めする治療は、あなたの脚の筋肉内に遺伝子を含む溶液を20?30ケ所注射するという単純なもので、注射に伴う痛みを軽減するために、しばらく腰に麻酔用のチューブを入れて脚に軽い麻酔を行います。動物実験では筋肉内に注射された遺伝子から血管新生を起こすタンパク質(線維芽細胞増殖因子:FGF-2)が一定期間産生され、あなたのような症状を軽減することが既に証明されています。しかしこの治療法は始まったばかりのため、まだ試験段階のものであり、安全性は100%保証されていません。また確実に成功するという保証もありません。従ってあなたがこの臨床研究に参加なさっている間は、いなかる症状があっても必ず医師あるいは看護師に報告して下さい。また本臨床研究中は、医師の了解なしに薬局で購入できる薬を含む、いかなる薬も使用しないで下さい。また本臨床研究は遺伝子を用いるため、子孫への影響についてその安全性が明確ではありません。よって今後お子様を御希望される方は、その旨担当医師に御相談下さい。
【治療に用いるベクター(遺伝子を導入する担体)】
 今回あなたの治療に用いられる遺伝子を運ぶ「運び屋」として、「センダイウイルスベクター」という、全く新しいものを用います。これを「ベクター」と呼びます。「ウイルス」という名前に少し驚かれるかもしれませんので、以下にこのベクターについて簡単に説明をします。
 これまで欧米を中心に開発されて来たベクターには、主に以下のものがあります。
 1)レトロウイルスベクター(マウスの白血病の原因ウイルス)
 2)アデノウイルスベクター(ヒトに肺炎や結膜炎を起こすウイルス)
 3)アデノ随伴ウイルスベクター(病原性は知られていない)
 4)ヘルペスウイルスベクター(ヒトに神経炎などを起すウイルス)
 5)レンチウイルスベクター(後天性免疫不全:エイズを起こすウイルス)
 一見してお気付きになると思いますが、アデノ随伴ウイルスベクターを除き、多くのベクターは病原性ウイルス(ヒトに病気を起すウイルス)を基礎に開発されたものです。
 これらのウイルスの遺伝子構造に人工的に手を加えることによって、増殖せず病気を起さない「ベクター」として生産され、これらが現在、世界中で実際の患者さんの治療に用いられている訳です。
 しかしこれらのベクターには非常に低い確率ですが、危険性が残っていることが指摘されています。以下にその概略を説明致します。
(1)野生型ウイルスへの「先祖帰り」の危険性。 
 これらのウイルスベクターには、非常に低い確率ですが、その製造過程で一部が野生型ウイルスに先祖帰りすることが知られています。この現象は「相同組み換え」として専門家の間で広く知られていて、この先祖帰りした野生型ウイルスにより新たな病気が引き起こされる可能性がわずかながら存在します。
 例えば先祖帰りしたウイルスを含むレトロウイルスベクターの接種を受けたサルにリンパ腫が起きたことなどが報告されております。

(2)患者さんの遺伝子情報を撹乱する可能性。
 レトロウイルスベクター、アデノ随伴ウイルスベクター、レンチウイルスベクターなどは感染した細胞の染色体、つまり遺伝子の中にウイルス自身の遺伝子を挿入する機能を持っています。この性質のために、これらのベクターでは長期間の安定した治療効果をもたらすことが期待されているのですが、その反面、患者さんの遺伝子にキズが付くことは避けられません。ヒトの遺伝子は70%以上が眠っていると考えられていますため、多くの場合は多少のキズは問題になりませんが、極めてまれに細胞のガン化を抑制する遺伝子の中に入り込んだりすることがあり、その場合はガン化を促進することが培養細胞などでは確認されています。
 「遺伝子」という言葉に驚かれるかもしれないので、少し説明させて頂きます。人間の「遺伝子」は細胞の中心(核)の中にある、「染色体」という構造に含まれる、「DNA(デオキシリボ核酸)」のことを指します。この「遺伝子」はあなたの身体を作っている蛋白質の設計図で、この遺伝子の情報をもとに蛋白質が作られます。欧米で用いられているレトロウイルスベクターの遺伝子はこの染色体の中のあなたの遺伝子に入り込みますので、あなたの遺伝子に軽い傷が付くことは避けられません。

(3)センダイウイルスベクターの安全性に優れた点。
 我々は「非伝播型センダイウイルス」というベクター用のウイルスを人工的に造り出すことに成功しています。これはセンダイウイルスの感染に必要な部分を取り除くことにより、さらに安全性を高めた人工のウイルス様のベクターです。
 センダイウイルスにはベクターとして優れた以下のような特徴があります。

 第1に、「センダイウイルス」は相同組み換えの可能性がほとんどない、つまり先祖帰りをしないことが知られているため、既存のベクターより安全性が高いと考えられます。
 第2に、「センダイウイルス」は日本で最初に見つかった、マウス(ねずみ)に風邪、肺炎を起こすパラインフルエンザウイルスの一種ですが、ヒトには肺炎を含め、病気を起こしたことはこれまで報告されておりません。もちろん私達も永年このウイルスをあつかっていますが、病気になったことはありません。実際に患者さんに投与されるベクターでは、この野生型の混入がないことを綿密に検査し、品質を保証されたものが用いられますが、万が一野生型ウイルスが混入していたとしても、ヒトが病気になる危険性は極めて低いと考えられます。
 第3に、「センダイウイルス」は、全ての構造が「RNA(遺伝子としてDNAの仲間ですがDNAと相互作用をしないもの)」から成り立っています。センダイウイルスの遺伝子は常に細胞の核の外(細胞質)で転写されることが判っており、あなたの「染色体の遺伝子」に入り込むことがないことが既に証明されています。

 あなたの脚に注射されるベクターは、この非伝播型センダイウイルスベクターに血管を増やす蛋白をつくる遺伝子(線維芽細胞増殖因子:FGF-2)を乗せたものです。このベクターはあなたの脚の筋肉に遺伝子を運び、筋肉を工場として血管を作る蛋白FGF-2を産生させます。動物実験から得られた結果から予測して、投与されたベクターとFGF-2の遺伝子、蛋白は投与後2?4週間で完全にあなたの身体から消えてしまうと考えられます。
 今回あなたに投与されるベクターは、厳重な管理のもと、既に他のベクターの医薬品としての生産に実績のあるイギリスの委託会社(バイオ・リライアンス社:BioReliance社)で生産されたもので、医薬品としての厳しい国際基準による審査を合格したものです。既に同じ物をサルに投与して、重大な副作用がなかったことが確認されています。

 以上のように、今回あなたの治療に用いるベクターは従来のものと比べて安全性が高いと考えられますが、まだヒトにおける経験が浅いことも確かです。変わったことを感じたりした時には、必ず主治医や看護師に相談して下さい。

【治療に用いられる遺伝子(治療用遺伝子)】
 今回治療用の遺伝子として用いるものは、線維芽細胞増殖因子(FGF-2)と呼ばれる、もともとあなたの身体に存在する蛋白のもとになる設計図(遺伝子)です。このFGF-2は発見されてから15年以上を経過して、世界中の研究者によりその働きの多くが明らかになっています。 
 FGF-2の機能の最も重要なものに、「血管新生促進効果」があります。同様の作用を持つものに、他にも血管内皮細胞増殖因子(VEGF)、肝細胞増殖因子(HGF)、血小板由来内皮細胞増殖因子(PD-ECGF)など複数が知られています。アメリカではVEGFが200人以上のあなたと同じような症状を持つ患者さんに使用され、ある程度の効果があることが報告されています。今回私共がFGF-2を使用することを決定した理由は、
1)VEGFは蛋白濃度が高くなると逆に副作用が強く出て来ること。
2)FGF-2は高い蛋白濃度でも非常に安全であること。
3)FGF-2はVEGFとHGFの発現を促し、効果的な血管新生を起こすこと。
を動物実験で見い出したからです。
 このFGF-2は蛋白製剤(薬剤)として、既にアメリカでは患者さんの治療に用いられていますが、あなたの身体の中ではすぐに分解されて効果がすぐなくなってしまいます。そこで遺伝子の状態でこのFGF-2を筋肉へ入れてあげると、1?2週間以上持続して蛋白が産生され、血流が少なくなった脚に非常に高い血流回復効果があることが動物実験で証明されました。
 あなたの治療に用いられるFGF-2遺伝子は、その全ての遺伝子構造が正常であることが既に確認されたものです。即ち、この治療であなたのからだの中で作られるFGF-2タンパク質は、あなたが本来からだの中に持っているあなたのFGF-2タンパク質と全く同じものです。
【本臨床研究にあたって注意して頂きたいこと】
 今回あなたにお勧めしている血管新生遺伝子治療は、治療そのものは非常に簡単なものですが、人における安全性と効果がまだ十分に確認されたものではありません。副作用を予知するため、また安全性を確保するため、たくさんの検査が必要です。本臨床研究に関わる検査、治療に関わる経費のうち、保険で認められない一切の経費に関しては病院が負担致します。詳細は担当医師にお尋ね下さい。
 治療前には、臨床研究に参加頂く旨を2回にわたり御説明、御承諾頂きます。また検査などに関しても御説明、御承諾を頂きますが、一度御承諾、御捺印頂いたあとでも、参加を辞退することは自由です。
 臨床研究のための入院期間は、原則として治療前2週間、治療後2週間を目安にして下さい。また治療後に退院なさった後も約6ヶ月間は外来にて経過を観察させて頂くことになります。月に1度は必ず外来を受診し、必要な検査を行いますが、詳細は担当の医師の指示に従って下さい。
【本臨床研究によって起り得る副作用】

 この治療法は非常に高い効果が期待できる反面、全く新しいものであるために副作用に関する情報は十分ではありません。本臨床研究中に少しでも気になることがありましたら、遠慮せずに必ず医師または看護師へ申し出て下さい。
 これまでの他の遺伝子治療に関する国内外での報告と、私たちの動物実験の結果から、以下の副作用が起る可能性を御承知下さい。
1.比較的よく見られる軽い副作用(多くの場合は一時的なものです)。
 1)発熱
 2)下痢
 3)吐き気
 4)感冒様症状(鼻水、くしゃみ、など)
 5)肝機能障害
 6)発疹
 7)軽度の血圧低下 など
2.まれに見られる比較的強い副作用。
 1)腎機能障害
 2)骨髄抑制(貧血、白血球減少など)
 3)重度のアレルギー症状(喘息発作、ショック)
 4)血液凝固障害(出血傾向、血栓症など) など

 これらはあくまでも例であり、頻度は低いですが他にも報告されています。これまで欧米を中心に4,000人以上の患者さんが遺伝子治療を受けており、治療の直接的な副作用で亡くなったと正式に認定されている患者さんは、これまでアメリカ・ペンシルバニア大学で報告された1人のみです。

 しかし繰り返しになりますが、本臨床研究はこれまで世界的にみても例のない初めてのものであり、予期せぬ副作用が起る可能性があります。このため治療前後の検査は入念に行いますが、不幸にも命に関わる強い副作用が起る可能性がゼロではないことを、十分に御理解下さい。万が一このような副作用が現れた場合、直ちに臨床研究を中止し、最大限の治療を行います。その際に必要な治療費については、全額九州大学医学部附属病院が負担致します。
 
【プライバシーの保護について】

 遺伝子治療臨床研究は社会的に広く関心を集めておりますため、個人を特定できない状態での病状経過などについては、公開(学術雑誌、学会、マスコミを含む)を原則とします。その際はあなたの御了承のもとにプライバシーを厳守することをお約束致します。
 また、あなたの診療記録は法律(刑法)で定められた「医師の守秘義務」に則り、九州大学医学部附属病院にて厳重に管理し、秘密保持を厳守します。

以 上
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