九州大学大学院医学研究院 精神病態医学
九州大学病院 精神科神経科
 

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Department of Neuropsychiatry
Graduate School of Medical Sciences
Kyushu University

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HOME > 入局希望の方へ > 神庭重信のエッセイ集

神庭重信のエッセイ、論文、巻頭言などを集め掲載しています。

英文機関誌PCNに込められた願い

 精神神経学雑誌第120巻第9号より許可を得て転載

「英文機関誌PCNに込められた願い」

理事長就任に際しての所信表明

 精神神経学雑誌第119巻第8号より許可を得て転載

「理事長就任に際しての所信表明」

認知症の分類問題:そもそも精神疾患とはなにか

 精神神経学雑誌第119巻第6号より許可を得て転載

「認知症の分類問題:そもそも精神疾患とはなにか」

人と感情-進化はなにをもたらしたか

朝倉記念病院開院35周年記念会誌より転載

「人と感情-進化はなにをもたらしたか」

慢性化したうつ病の理解と治療

 臨床精神医学4652017より転載

「慢性化したうつ病の理解と治療」

医学と道徳律

 医学と福音201656月号より許可を得て掲載

「学士鍋2017年3月号」

学士鍋20173月号

学士鍋20173月号より転載

「学士鍋2017年3月号」

下稲葉康之先生の新著の出版をお祝いして

キリスト者医科連盟総会2016に寄せて

医学と福音No5およびNo10. 2016より許可を得て掲載

「キリスト者医科連盟総会2016に寄せて」

精神医学への信頼:Spitzer氏の訃報に接して

日本精神神経学雑誌 118巻3号:123,2016より許可を得て掲載

「精神医学への信頼:Spitzer氏の訃報に接して」

私の、うつ病初期面接

臨床精神医学 43(4):453 - 461,2014より許可を得て転載

「精神医学への信頼:Spitzer氏の訃報に接して」

精神病理の器質因と心因 ―脳と文化の共同構成にふれて―

日本精神神経学雑誌 116巻3号, 2014より許可を得て転載

「精神医学への信頼:Spitzer氏の訃報に接して」

 遠い三陸

遠い三陸

精神神経学雑誌、第115巻第9921貢、2013より
出版社の許可を得て掲載

今年 6 月に閣議決定された日本再興戦略では大学改革も強調されている。そこで、関連する資料を鞄に詰め込んで、東京駅から東北新幹線“はやて”に乗り込んだ。

戦略の基本は、科学技術を唯一の資源とする日本の再興は、ひとえに研究と開発にあり、それを推し進める人材の教育が鍵を握るという、至極もっともな考え方である。具体策として、世界と競う「スーパーグローバル大学(仮称)」の創設、研究大学・研究開発法人のイノベーション機能強化、政府研究開発費を対 GDP 1%に増額,若手・外国人研究者の大量採用、留学生(日本への留学生含む)の増員、年俸制の本格導入、大学発新産業を 10 年で 20 創出などの目標が並んでいる。短期的成果を求めて熾烈な競争が起こるのだろうか。

日本はアジアで唯一、新薬開発力を有する国である。この「ものづくり力」を生かして医療関連産業をさらに活性化するともある。すでに全製造業の納税額の 10.6%を製薬企業が占め、自動車産業の 6.5%を大きく上回っている。この基幹産業のさらなる活性化プランが、賛否両論ある日本版 NIH の創設である。全国の橋渡し研究拠点や臨床研究中核病院などと有機的に連携し、革新的な医薬品・医療機器を世界に先駆けて生みだそうとする計画である。研究に専念できる理工学部と違い、診療・教育の占める割合が大きい医学部は舵取りが難しくなる。

時を同じくして世界のライフサイエンスの潮流には変化が起きていた。今年 1 月,EU Human Brain Project 10 ヵ年を立ち上げ、4 月にはオバマ政権が同じく 10 ヵ年計画のBRAIN Initiative を発表していた。アプローチは異なるが、どちらも、脳内神経回路の全容を明らかにし、脳の作動原理を知り、精神神経疾患の克服に迫ることをめざしている。人類の新たな知と産業が生まれる可能性を秘めた未開の分野として脳科学を位置づけたのだ。文科省も日本独自の脳科学研究を立ち上げる準備に入っており、本学会も即応して「精神疾患克服に向けた研究推進の提言」を発表した。これらの資料を読み終えた頃、“ はやて ” は夕暮れの盛岡駅へと到着した。

翌朝から岩手医大が統括する「岩手県こころのケアセンター」のチームに合流し、北三陸の陸前高田市と久慈市近郊の野田村を訪れた。いずれの地も盛岡から 120130 km離れている。延々と路を走り、針葉樹に覆われた山脈を越えて行かねばならず、現地に着くまでに 2 時間半はかかる。冬はさらに遠いに違いない。山腹から湾内に漁船の姿がぽつぽつと見えた。いまだに防波堤が修復されていない海岸線も目についた。高台の造成地も思ったほどできていない。密集して建てられている仮設住宅には今になっても大勢の方が暮らしている。復興は思ったよりも進んでいない。

陸前高田市では、健康状態をお尋ねするために、倒壊をまぬがれた家々を戸別訪問した。高齢者がひっそりと暮らしていた。チームはこれまでに約 5,000 戸の調査を終えようとしていた。野田村では、こころの健康相談を担当した。NHK のドラマ “ あまちゃん ” で有名になった久慈地域は 4万弱の人口を抱えている。ここには 200 床あまりの精神科病院があるだけで、院長以下 3 名で診療を続けており、県立病院精神科には週に 3 日ほど医師がきて、日に 50 人の外来をこなしているという。医療は限りなくやせ細っていた。震災直後から 2 年以上にわたり、戸別訪問やこころの健康相談を続けているのは、「精神科医療への負担を少しでも減らしたいからです」と PSW の方が言っていた。

2 日間ではあったが支援を終えて帰路についたとき、背を向けて遠ざかる自分に少しくうしろめたさを感じた。思えば 2 年前のいわき市のときも同じ気持ちを抱いた。しかも今回は、直前に政府の描く未来像を読んでいただけに、その像と現にある三陸の姿とを、重ねることはおろか、つなげることすらもできずに、途方に暮れてしまったのである。

ぼんやりと車窓の夜景を眺めながら,遠く離れた「2 つの復興」のことを考え続けていた。

神庭 重信

精神医学の思想 その2

専門医のための精神科臨床リュミエール16巻 脳科学エッセンシャル、序文 、中山書店、2010より許可を得て掲載

「精神医学への信頼:Spitzer氏の訃報に接して」

精神医学の思想 その1

専門医のための精神科臨床リュミエール30巻 脳科学エッセンシャル、序文 、中山書店、2012より許可を得て掲載

「精神医学への信頼:Spitzer氏の訃報に接して」

折々の断想:15年間を振り返って(臨床精神医学)

 臨床精神医学4012巻、2011年掲載、出版社の許可を得て掲載

「折々の断想」

 「うつ」の構造 序文(弘文堂)

  「うつ」の構造

神庭重信, 内海健 編著
弘文堂2011.12 ISBN978-4-335-65146-5


序文
異分野の専門家の話を聞くと、たまらなく魅了されることがある。異なる物の見方や考え方のあることを知り、自分が抱えてきた疑問への理解が一気に深まることがある。しかし、異分野の扉を開くことは容易ではない。まず知らない世界に対する恐怖心や嫌悪感と戦わなければならない。その上で、異分野の専門家を探しに出なければならない。しかし疑問に洞察を与えてくれる異分野の専門家にであうことは意外と難しい。

精神現象は、分子、細胞、回路、脳、身体、そして心から社会へと広がる世界である。それぞれの次元は異なる法則で動いている。しかもそれらは同時に進行し、そしてそれぞれに異なる顔を見せる。だから異分野の邂逅にこそ精神医学の骨頂がある。うつ病もしかりである。どの次元でうつ病を語るのかにより、うつ病の姿は異なって現れてくる。現象を語る言葉にも違いがあり、時に翻訳の壁に直面することすらある。しかし、うつ病の全体を描き出そうと思うならば、それぞれの次元での展開を見ておかねばならないはずである。異なる専門領域を否定する者は、次のように考えてみたらいい。神経生物学にはあるいは精神薬理学には何ができないか、精神病理学には何ができないかと。

うつ病は、全くありふれた現象でありながら実に難解であるという意外性を抱えている。それはうつ病が、人類に普遍で不変なマインドの領域から、文化による修飾を強く受けるメンタリティにおよぶ領域で生まれる病だからである。マインドからメンタリティへは連続的に移行していると思われ、したがってそれぞれのうつ病はスペクトラムの様に分布して見える。言い換えればうつ病論とは、ヒトの脳を探求することであり、現代の日本人の精神構造を理解することであり、さらには日本の社会・文化にも言及することである。

編者らはともに、「躁うつ病の精神病理」が、昭和62年を最後として刊行を終えたことに限りない寂しさを感じていた。広瀬徹也氏と内海健氏は、その後継書ともいえる「うつ病論の現在」を平成17年に出版してくれた。筆者はその精神病理の議論の場に参加する機会を与えられ、「うつ病の行動遺伝学的構造」と題した生物学的な考察を報告した。以来、内海氏と筆者は続巻の刊行を望んだが、それはなかなか実現しなかった。そうこうしているうちに、うつ病の精神病理学や精神薬理学は急激な展開を見せた。それとともにうつ病は、専門家間の議論を超え、世論を巻き込んで語られ出したのである。そこでは表層的な理解や誤解、あるいは意図的な誘導が横行した。ネットに掲載される辛辣で時に悪意を含んだ情報は、この騒動の火に油を注ぎ、今やうつ病の混乱は猖獗を極めている。このような時であるからこそ、うつ病の晦渋な外観をはぎ取り、透徹した目をもって思考をめぐらさなければならないと思い続けてきた。

やがてその機会は二日に亘るワークショップという形で訪れた。精神病理学からは、東大分院学派の精髄を継ぐ内海健、臨床の精緻な観察から「現代型うつ病」を発見した松浪克文、記述精神病理学に精通した古茶大樹が集まった。さらに、精神分析治療の第一人者である牛島定信と医療人類学の気鋭の学者北中淳子、そして精神薬理学、神経生物学からは、該博な知識を誇る黒木俊秀、慶大精神薬理の治療思想を継承する渡邊衡一郎、そしてこのところ文化と脳の関係に関心をもっている筆者が参集した。本書は8分野の交流が生み出した論文集である。むろん8名の者でうつ病研究の全分野を網羅できるはずはないし、この8名以外にも、我が国にはうつ病研究の泰斗は数多い。いずれ彼らの手によって新たなうつ病論が展開されるであろうが、本書が多少なりとも布石となってくれることを願う。

本書の構成を一望して頂くために、まず内海氏による「あとがきにかえて」に目を通して頂くのがよいと思う。これまでのうつ病論集と異なるのは、上述したように、主眼が異分野の邂逅にあり、そこから創造される新たな理解の極みをめざしたことである。ワークショップでの議論は静謐に行われながらも、批判的な対質が繰り返され、異分野の交流は遺憾なく深められた。出版まで2年を要した編者の不行き届きは免れない。しかし本書に掲載された最終稿は、最後まで手を入れた著者らによる、各分野の最新の論考に満ちていると思う。

批判を承知の上で、書名を「うつ病」の構造ではなく「うつ」の構造とした。それは本書が、内海の言葉(第1章:「うつ」の構造変動)にあるように、「うつ病の臨床像の変化には、従来の症候学の延長線上でカバーできる部分に加えて、その射程の及ばないものが含まれているようである。・・・もしかしたら、うつ病という病が現れる舞台そのものが変化している可能性はないだろうか」という疑問を含んでいるからである。さらには、近代=モダンそしてポストモダンの展開の中で、「うつ病」か「うつ病でないか」という二項対立的な理解を越え、うつ病者へ一直線のまなざしを向けるという、臨床の原点を思い出してもらうことを意図したからである。

また書名に「構造」とあるのは要素還元主義への挑戦を現しているからである。一つの要素(次元)は他のすべての要素(次元)との関係において相互依存的に決定されるものである。くわえて、私たちの心と脳の特性に大いに由来することだと思うが、私たちは誰でも対象のもつ構造に限りない関心をもつ。構造を理解しようとする構造主義の試みは、間違いなく対象の深淵へ接近する一つの方法である。そして明らかにされた構造は、さらに解体され、再構築されてもいいと思う。いや、そうすることよってしか、うつ病という問題に接近できる道は無いのかも知れない。

平成239月 擱筆

神庭重信
(出版社の許可を得て掲載)

現代社会とうつ病

 最新医学6652011より許可を得て掲載

「現代社会とうつ病」

文化のもつ生存力

双極性障害の臨床について思うこと

 臨床精神医学 40: 237-239, 2011 より許可を得て転載

「双極性障害の臨床について思うこと」

 うつ病の薬物療法について

はじめに

かつて精神医学には、パレイドリアのごとく見る者によって診断が異なり、中途半端な薬物療法や強引な精神療法が行われるなど、「自前で通る医療(笠原嘉)」が後を絶たない時代があった。医学モデルの導入、すなわち疾患を診断基準で分類し、そのカテゴリーに有効と証明された治療法を適用するのがあるべき医療である、とする精神医学の医学化(medicalization)は、時代が求めていたのであり、この改革は一定の評価が与えられてしかるべきであろう。

この流れは、Decade of Brainと呼ばれた神経科学の進歩と時を同じくして起こり、膨大な量の実証的論文を世に送り出した。その結果、情報量の極端な偏りが起こり、医学モデルの治療だけで事が足りるかのような錯覚を生み出したことは否めない。この流れは、新規抗うつ薬が次々に登場してきたうつ病においてもっとも顕著に起きた。

精神科医は、試行錯誤の臨床経験を積むにつれ、精神疾患が単純な医学モデルでは解決できない対象であることを身をもって知っていくものである。この経験は、遺伝性神経疾患の遺伝子を次々に解明した分子遺伝学が至った結論、すなわち精神疾患の多くが、多因子疾患であるらしい、という理解と合致している。多因子疾患モデルは、人の発生・発達のすべてのステージを通して、いつ如何なる時にも遺伝子(素因)と環境が相互に作用しあう複雑系の産物として、表現型が生まれるとする考え方である。多因子疾患モデルとは、従来、生物―心理―社会的と呼ばれてきた視点をさらに具体的かつ精緻に解析しようとする試みなのである。

抗うつ薬療法の基本事項
患者が抗うつ薬を自動販売機で買って飲む、という時代は来て欲しくない。同じく医者が考えずに機械的に抗うつ薬を処方するようになっても困る。治療者の作業として、薬物療法を初めとする生物学的治療は、より多様で変化に富み、手間のかかる、精神病理学的理解と精神療法の次元の上で展開されるべきである。

うつ病であると診断し、説明を加え患者の認知のゆがみを修正し(認知の脱中心化)、共感とともに休養を促し、そして薬を手渡す。こうした一連の作業から抗うつ薬療法は始まる。

最近になって喚起された注意事項を以下にまとめておく。古くから用いられている抗うつ薬は、厳密な比較試験が行われないままに承認され現在に至っているので、正確なことは言えないが、これらの事項は、薬剤により程度の差こそあれ、抗うつ薬一般にあてはまることとして捉える方がよい。

1)  服用初期に現れやすい精神神経症状がある
特に投与初期と、薬剤増量時に起こりやすく、症状としては、不安、不眠、焦燥感などの比較的軽度のものから、易刺激性、衝動性、敵意、パニック発作、アカシジア、躁転などの重篤な症状も報告されている。薬剤の減量あるいは中止が必要な場合もある。Activation syndromeと呼ばれることがある。

2)  自殺念慮・行為が増加する
18歳未満の患者では、抗うつ薬の服用初期に自殺への思いや自殺企図などの自殺関連行動の出現頻度が高まる(抗うつ薬で4%、プラセボで2%)。この結果を受けて、以下のように使用上の注意が改訂された。
25歳以下の若年者に抗うつ薬を投与する場合には、これらの副作用に注意し、本人や家族に十分な説明を与え、緊密に連絡をとる必要がある。この原因は明確ではないが、上記a.の精神症状が関係している可能性が指摘されている。また、自殺傾向がある患者には、多量服薬の場合を考えて、一回の処方日数を最小にする。

3)  断薬症候群(discontinuation syndrome)が現れることがある
抗うつ薬を急激に中止したことに起因し、不安、焦燥感、イライラなどの精神症状に加えて、さまざまな身体愁訴が出現することがある。これをうつ病の再発と誤診しないこと。抗うつ薬を中止する際には、数週間の時間をかけて行うことが重要である。

4) 抗うつ薬の効果とプラセボの効果とは僅差である。うつ病が軽症になるほど(non-Melancholia)、プラセボと抗うつ薬との差は少なくなっていく。

5) 新規抗うつ薬の有効性の評価に関しては、いわゆるpublication biasが大きな問題となっている。すなわち臨床治験では(基礎研究でも同じ傾向がある)、有意差が付く結果が論文に採用されやすく、読者の目にとまりやすい。しかし有効性が示せなかった研究を含めてメタ解析をすると、当初期待されたほどの有効性がないのではないか、という問題提起である。その他にも、A社の製品aB社の製品bの有効性を比較すると、A社の研究資金で行われた研究ではa>bとなり、B社の研究ではb>aとなる。データを操作しているわけではないのに、方法や解析の微妙な違いが結果に表れていると考えられる。

結局、(特殊な条件下で行われる)臨床治験の結果だけで、現実の臨床における薬物の真の優劣を判定するのは困難である。

若年者のうつ状態と復職
職場では休職理由としてうつ病が大きな問題になっている。疫学調査によれば、若年者ほど大うつ病の生涯有病率が高い、と報告されている。大うつ病の診断には、逃避型抑うつやディスチミア親和型などが含まれている可能性がある。これらの若年者の抑うつ状態は、執着気質を病前性格とする中高年のうつ病と異なる特徴をもち、適切な抗うつ薬療法への反応に乏しく、休養と抗うつ薬の服用だけでは職場への復帰が思うようにいかないことが少なくない。復職リハビリなど、従来のmelancholiaの治療とは異なるアプローチが模索されている。

復職が困難な理由として、本人の病前性格の問題もあるだろう。だが、最近では執着気質者のうつ病でも復職の問題を抱えることがある。これは、職場環境の変化にその一因がある。つまり、経済的(また人的)に余裕がなくなった職場は、これまでのように職場に戻ってからの復職支援が十分にできなくなり、そこで復職の閾値を高くしたのである。そして、この高い閾値を乗り越えさせる作業を外部の医療機関に委ねた。その結果、復職リハの需要が全国で増したのだろう。

自殺対策基本法の施行(2006)を受けて、国を挙げての自殺対策が進められた。その一環として、一般市民に向けてうつ病の啓発活動が行われ、プライマリケアではうつ病の発見と介入が重要課題として位置づけられた。この活動は一定の成果を生み出した。しかしこの流のなかで、“うつ病”が、厳密な定義を欠いたまま、あるいは厳密な診断がなされないまま、便利な診断としてさまざまな場面で用いられ、さまざまな弊害を生んでいることもまた、確かである。例えば、“うつ病”という都合の良い病欠診断、“うつ病”に対する安易なSSRI/SNRIの処方の横行などである。“うつ病”がかつての自律神経失調症や神経衰弱に取って代わり、SSRI/SNRIがベンゾジアゼンピン安定剤に取って代わっただけであるかのようだ。

終わりに
うつ病の薬物療法が抱える問題を列挙した。いま改めて、うつ病概念を整理し、治療法を再評価する必要がある。それは、精神疾患を抱える患者の問題を生物軸―心理軸―社会軸のそれぞれにおいて理解し治療する、という言い古された思想を、時代に即してどれだけ具体的に展開できるか、ということに帰着する。


平成21331

神庭重信


気分障害の診療学、改訂版(中山書店、2008
序文より加筆修正の上で引用

『うつ病の臨床精神病理学 』:「笠原嘉臨床論集」を読む

 臨床精神医学39: 363-371, 2010より許可を得て転載

「うつ病の臨床精神病理学 」

 Lancetが投げかけた疑問


The Doctor

ビクトリア朝後期にSir Luke Fildesによって描かれた一枚の絵は、医師のレゾンデトールを見事に描き出しています。画家は自分の息子の死を経験し、この絵を描くことを決めたといいます。当時の英国国民は、この絵に描かれた「普通の医師の静かなるヒロイズム」を賞賛したようです。Lancet1887: 1: 230)もこの絵を取り上げて、英雄とは、とてつもなくすごいことを成し遂げる者ではなく、毎日を精一杯生き、求められていることを誠実に行う者のことであると述べています。
少しFildesの絵を見てください。
絵の中央には、あわてて用意したと思われるベッドが置かれ、少女が横たわっています。とても裕福とは言えない家庭のようです。絵の左にあるランプは明るくともっていながらも、右の窓からは微光が差し込んでいます。少女はその夜を生き延びたのです。悲しみに押しつぶされ机に伏せる母親、その傍らには父親が立ち、左手を妻の肩に優しく置いています。彼は医師の姿を見つめています。その医師は少女の方にかがみ込み、為すすべもなく、徐々に浅くなっていく呼吸を見守っています。その様子からは、医師が、彼女を救う手だてはないだろうかと思案しながら、同時に、何もしてあげられない医学の限界を知っていることが伝わってきます。

なぜ、医師はこの場に居続けているのでしょうか。この絵を取り上げた当時のLancetは私たちにこう問いかけています。

あなたは、どのように答えますか?