九州大学病院 精神科 神経科 玄洋伝奇集

九州大学大学院医学研究院 精神病態医学
九州大学病院 精神科神経科

Department of Neuropsychiatry 
Graduate School of Medical Sciences 
Kyushu University

教室の概要

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更新日 2017-02-03 | 作成日 2008-03-25

玄洋伝奇集

 世紀の奇書「ドグラ・マグラ」の舞台となったことで知られる九州大学病院の精神科病棟は、今では真新しい建物の一角にあって、小説の冒頭から鳴り響く柱時計も、中庭の桐の木も、最早どこにも存在しないのですが、1906年に創設された教室は、百余年の歴史を重ねてまいりました。地理的には、福岡市の中心である天神あるいは博多駅から見て北東に位置しているのですが、この地域には独自の歴史がございます。病院からほど近い崇福寺には、かの玄洋社の志士たちが、頭山満翁の墓石を囲むようにして今も眠っております(「ドグラ・マグラ」を書いた夢野久作が、頭山満の盟友杉山茂丸の息子であったことはよく知られています)。また、病院のある馬出(まいだし)地区からは、部落解放同盟の松本治一郎が出ています。頭山といい松本といい、単純な評価を拒む陰影に富んだ人物のようですが、ともかくこの地は、血気盛んな反骨精神の持ち主たちと、不思議な縁で結ばれているようです。中央から遠く離れていながら多くの人が集う、「辺境の首都」としての福岡の位置が、中央の正統とは別の、異端にして真の正統でもあるような思想と、それを信奉する人脈とを育み、時として中央をも揺り動かしてきた、という見方もできるでしょうか。もっとも頭山は、思想的には随分寛容であったらしく、福岡市西区今宿から出た伊藤野枝と、夫である無政府主義者大杉栄に、しばしば資金を提供したりもしていたそうで、専門家は玄洋社のことを、「政治結社」というよりは「郷党的結合」とでも呼ぶ方がふさわしい、と記しています。

 ロベルト・ヴィーネの「カリガリ博士」と芥川の「地獄変」を掛け合わせたような「ドグラ・マグラ」の猟奇的な内容には、実は時局への批判も込められたらしいのですが、うわべばかりの舞台にされた現実の精神医療の側には、迷惑な部分も多々ございます。取材に協力した当時の教室員も、出版記念式典ではさすがに不満を述べたということなのですが、それはさておき、現実の九大精神科は、これまでに多くの歴史的な業績を重ねてまいりました。榊保三郎・初代教授は、東大精神科の初代教授であった榊俶の実弟であり、わが国における精神医学の黎明期において、発達心理学をはじめとするさまざまな理論や学説を紹介する一方で、九大フィルハーモニーを創設したことで知られています。1922年、ドイツ留学中の音楽仲間であったアインシュタインが来日した際は、榊教授宅をわざわざ訪問されたそうです。下田光造・第二代教授は、専門は神経病理でしたが、森田療法の普及に多大な貢献をされる一方、有名な執着性格論を遺されています。中脩三・第三代教授は本邦における神経化学や小児精神医学のパイオニアでしたし、桜井図南男・第四代教授は、軍医としての経験から、戦時神経症について貴重な記録を残されています。中尾弘之・第五代教授にはじまる情動脳研究の伝統は、多くの後継者を輩出していますが、なかでも、田代信維・第六代教授は、下田教授以来の森田療法と中尾教授以来の情動脳研究の発展に尽くされました。立派な先輩方はほかにも数えあげればきりがないのですが、今も私たちの日常診療に、多くの影響を与え続けているという点からいえば、ふたりの先達の名前を挙げないわけにはまいりません。ひとりは精神分析(的精神療法、になるのでしょうか)の神田橋條治先生、もうひとりは行動療法の山上敏子先生です。

 神田橋先生と山上先生とが、ともに九大精神科で働いていらっしゃったのは、もう四半世紀以上前になるのですが、多くの弟子を育てられたので、人から人へと語り伝えられた教えは、多くの著作とも相まって、今でも私たちの拠り所となっております。論文にするときには消えてしまうような、具体的な場面での智恵や工夫といったものも、医局という人のつながりのなかで、一種の文化として根づいているところがあるのでしょう。そのように偉大なおふたりが、かつて同僚であった頃には、この教室では、多くの生産的な議論が交わされ、また互いの治療法を比較する研究も行われたというのですが、そのような伝説的な時代のことは、私たちにはまるで想像もつかず、どうしても、魔道士の幻術合戦のような光景が浮かんできてしまう、などと書いてはお叱りを受けるでしょうか。

 神田橋先生にとっての精神分析というのは、体系化しうる理論ではなく、むしろ一種の運動ないしは態度であり、思考について思考する、終わりのない過程であるように見えます。話すという行為そのものは、話された内容とは別の文脈に属しているので、話をしている人は、ある種の解離状態に陥って、しばしば自分自身に欺かれていきます。そういった危険には細心の注意を払うよう、先生がいつも促してこられたことは、私たちにとって類のない貴重な教えであると思うのですが、話題がオー・リング・テストや邪気やウコンに及ぶと、どこまで真に受ければいいやらわからなくなってしまいます。先生は以前、「権威ある人の言うことでも、ひとつひとつ自分で吟味しながら身につけてきた」というようなことを、どこかに書いていらっしゃいましたので、よく考えてみると、「先生のおっしゃることをすべて真に受けると、先生の教えに背くことになり、疑ってかかっていると、いつの間にか先生を模倣していることになる」という、からくりだか妖術だかにとりこまれたような状況に陥る気がするのですが(あるいは、「どう転んでも術中にはまったことになるところに妙味がある」とも言えるでしょうか)、ともかく先生の投げかける問いは今も私たちを刺激してやみません。

 山上先生は、行動療法の黎明期に、アメリカでその現場に居合わせ、帰国されてからは治療法の実践と普及に努めてこられました。学習理論の臨床応用として、行動療法という治療がつくられた過程は、今ではあまり論じられることがありません。しかし山上先生の治療では、ひとりひとりの患者さんに対して、そのたびに新しい治療が生み出されるかのようです。人の立ち居振る舞いを行動としてとらえ、制御の形式においてとらえていくと、もろもろの行動は、独特の実体感をもった一種の流れとして見えるようになってきます。そのなかで介入の糸口を見つけ、介入への反応を見て、さらに新たな糸口を見つけ、という手続きをどこまでも繰り返すうちに、行動の流れはさらに鮮明になっていく――そういう理屈は一応知ってはいるのですが、山上先生のお話を聞いていると、「行動」の見え方が桁外れに鮮明で、あたかも視霊者のごとく、異質の感覚体験をなさっているようさえ思えてきます。そのような鮮明な光景は、私たちにはごくたまに、垣間見る程度にしか経験できないものであるのかもしれません。

 神田橋先生と山上先生とは、もちろん多くの面で独特であり、どちらをとっても他の誰にも似ていない、そういう先生方です。しかし、もしおふたりに共通点があるとすれば、それは、おふたりの教えが、終わりのない思考、終わりのない過程へと、私たちをいざなっていく点にあるのかもしれません。語られたことばから、語る行為自体へ、あるいは、為された行動から、それを制御する随伴性へ――まったく単純で基本的な視点移動の過程を、どこまでも丹念に繰り返すなかで、誰にも見えなかったものを浮かびあがらせ、誰にも起こせなかった変化を起こしていく――私たちが思い描く、熟練した臨床家とは、そのような存在です。ほどほどのところで思考をやめて、もっともらしい総論をまとめ、はみ出した部分は切り落としてしまう、そういった凡庸さとは対極にあります。だからでしょうか、先生方のお話を伺うと、先生方が日々の臨床業務のなかで、いつも新しい発見や思いつきを楽しまれていることが伝わってきます。

 そういった豊かな伝統があるなかで、90年代以降、標準化された精神医学が普及していった結果、私たちの世代には、一種の記憶喪失のような状況がもたらされました。従来の、さまざまな人間論や心理理論はいったんカッコに入れて、客観的なデータの蓄積と分析によって、疾病論や治療論を組みたてようというのですが、ひとりの人間のなかで、旧来の精神療法家から伝えられた智恵や工夫と、客観化された新しい精神医学のデータとを共存させることは、なんとも難しいことに思えます。とくに若手を指導する立場になると、立場上望ましいと思われるような指導内容と、ひとりの臨床医としての本音は、必ずしも一致しません。それでも毎年、多くの大学から、新しい医局員が入局してきますので、私たちもまた、長い伝統と新しい情報とのはざまで戸惑いつつも、最善を尽くすべく、診療や教育にあたっております。病棟では、若年者から高齢者まで、さまざまな種類の難治性気分障害の方が多いのが特徴で、若年者は特に発達面を、高齢者は器質面を専門的に評価しながら、可能な限りの治療を試みております。伝統である強迫性障害の行動療法も含め、各種のカンファレンスで協議しながら、難しい症例を比較的ゆっくり治療できる雰囲気かと思います。小児精神医学、臨床脳波学といった特殊分野の専門家もそろっていますので、若手にとってはもちろん、自分自身もいろいろなことを教えられる機会が多く、精神科デイケアと病棟での作業療法も軌道に乗って、大学病院の特性と精神科らしさとを兼ね備えた環境になっているかと思います。

 平成15年、教室は、慶應大学出身の神庭重信教授を迎えました。神庭先生が赴任されるまでは、先生が本邦の大学精神医学の中心にいらっしゃるイメージが強かったので、当教室の個性豊かな伝統の価値は、十分にご理解いただけないのではと、ひそかに危惧しておりました。しかし予想は見事に外れました。アカデミズムの真ん中にいるからこそ、その限界もよく見えるからでしょうか、この地に根づいた治療文化を尊重され、今ではすっかり教室員の信頼と人気を(特に若手の女医さんを中心に)勝ち得ていらっしゃいます。先生の気さくでスマートな雰囲気は多くの人の知るところですが、しばらく部下をお務めしていると、先生が驚異的なスケジュールを平然とこなしつづけていらっしゃることには、年々ますます驚嘆させられます。オオ、神庭先生こそ真の超人、怪魔人かもしれぬ――などと考えていると、やはり今もこの病院のどこかで、大正十五年の柱時計が時を刻んでいるような気がしてくるのです。

本村啓介: 「診察の風景」欄(医局紹介のリレー連載), 九州神経精神医学, 56 : 198-200, 2010より