神庭重信のエッセイ集

九州大学大学院医学研究院 精神病態医学
九州大学病院 精神科神経科

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更新日 2016-04-14 | 作成日 2008-03-25

  研究活動について

神庭重信のエッセイ集

私の,うつ病の初期面接

臨床精神医学 43(4):453 - 461,2014より許可を得て転載
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精神病理の器質因と心因 ―脳と文化の共同構成にふれて―

日本精神神経学雑誌 116巻3号, 2014より許可を得て転載
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遠い三陸 -NEW-

遠い三陸

精神神経学雑誌、第115巻第9号921貢、2013より
出版社の許可を得て掲載

今年 6 月に閣議決定された日本再興戦略では大学改革も強調されている。そこで、関連する資料を鞄に詰め込んで、東京駅から東北新幹線“はやて”に乗り込んだ。

戦略の基本は、科学技術を唯一の資源とする日本の再興は、ひとえに研究と開発にあり、それを推し進める人材の教育が鍵を握るという、至極もっともな考え方である。具体策として、世界と競う「スーパーグローバル大学(仮称)」の創設、研究大学・研究開発法人のイノベーション機能強化、政府研究開発費を対 GDP 比 1%に増額,若手・外国人研究者の大量採用、留学生(日本への留学生含む)の増員、年俸制の本格導入、大学発新産業を 10 年で 20 創出などの目標が並んでいる。短期的成果を求めて熾烈な競争が起こるのだろうか。

日本はアジアで唯一、新薬開発力を有する国である。この「ものづくり力」を生かして医療関連産業をさらに活性化するともある。すでに全製造業の納税額の 10.6%を製薬企業が占め、自動車産業の 6.5%を大きく上回っている。この基幹産業のさらなる活性化プランが、賛否両論ある日本版 NIH の創設である。全国の橋渡し研究拠点や臨床研究中核病院などと有機的に連携し、革新的な医薬品・医療機器を世界に先駆けて生みだそうとする計画である。研究に専念できる理工学部と違い、診療・教育の占める割合が大きい医学部は舵取りが難しくなる。

時を同じくして世界のライフサイエンスの潮流には変化が起きていた。今年 1 月,EU は Human Brain Project 10 ヵ年を立ち上げ、4 月にはオバマ政権が同じく 10 ヵ年計画のBRAIN Initiative を発表していた。アプローチは異なるが、どちらも、脳内神経回路の全容を明らかにし、脳の作動原理を知り、精神神経疾患の克服に迫ることをめざしている。人類の新たな知と産業が生まれる可能性を秘めた未開の分野として脳科学を位置づけたのだ。文科省も日本独自の脳科学研究を立ち上げる準備に入っており、本学会も即応して「精神疾患克服に向けた研究推進の提言」を発表した。これらの資料を読み終えた頃、“ はやて ” は夕暮れの盛岡駅へと到着した。

翌朝から岩手医大が統括する「岩手県こころのケアセンター」のチームに合流し、北三陸の陸前高田市と久慈市近郊の野田村を訪れた。いずれの地も盛岡から 120~130 km離れている。延々と路を走り、針葉樹に覆われた山脈を越えて行かねばならず、現地に着くまでに 2 時間半はかかる。冬はさらに遠いに違いない。山腹から湾内に漁船の姿がぽつぽつと見えた。いまだに防波堤が修復されていない海岸線も目についた。高台の造成地も思ったほどできていない。密集して建てられている仮設住宅には今になっても大勢の方が暮らしている。復興は思ったよりも進んでいない。

陸前高田市では、健康状態をお尋ねするために、倒壊をまぬがれた家々を戸別訪問した。高齢者がひっそりと暮らしていた。チームはこれまでに約 5,000 戸の調査を終えようとしていた。野田村では、こころの健康相談を担当した。NHK のドラマ “ あまちゃん ” で有名になった久慈地域は 4万弱の人口を抱えている。ここには 200 床あまりの精神科病院があるだけで、院長以下 3 名で診療を続けており、県立病院精神科には週に 3 日ほど医師がきて、日に 50 人の外来をこなしているという。医療は限りなくやせ細っていた。震災直後から 2 年以上にわたり、戸別訪問やこころの健康相談を続けているのは、「精神科医療への負担を少しでも減らしたいからです」と PSW の方が言っていた。

2 日間ではあったが支援を終えて帰路についたとき、背を向けて遠ざかる自分に少しくうしろめたさを感じた。思えば 2 年前のいわき市のときも同じ気持ちを抱いた。しかも今回は、直前に政府の描く未来像を読んでいただけに、その像と現にある三陸の姿とを、重ねることはおろか、つなげることすらもできずに、途方に暮れてしまったのである。

ぼんやりと車窓の夜景を眺めながら,遠く離れた「2 つの復興」のことを考え続けていた。

神庭 重信

精神医学の思想 その2

専門医のための精神科臨床リュミエール16巻 脳科学エッセンシャル、序文 、中山書店、2010より
出版社の許可を得て掲載
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精神医学の思想

専門医のための精神科臨床リュミエール30巻、序文、中山書店、2012より
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折々の断想:15年間を振り返って(臨床精神医学)

臨床精神医学40号12巻、2011年掲載、出版社の許可を得て掲載
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「うつ」の構造 序文(弘文堂)

「うつ」の構造

神庭重信, 内海健 編著
弘文堂2011.12 ISBN978-4-335-65146-5


序文
異分野の専門家の話を聞くと、たまらなく魅了されることがある。異なる物の見方や考え方のあることを知り、自分が抱えてきた疑問への理解が一気に深まることがある。しかし、異分野の扉を開くことは容易ではない。まず知らない世界に対する恐怖心や嫌悪感と戦わなければならない。その上で、異分野の専門家を探しに出なければならない。しかし疑問に洞察を与えてくれる異分野の専門家にであうことは意外と難しい。

精神現象は、分子、細胞、回路、脳、身体、そして心から社会へと広がる世界である。それぞれの次元は異なる法則で動いている。しかもそれらは同時に進行し、そしてそれぞれに異なる顔を見せる。だから異分野の邂逅にこそ精神医学の骨頂がある。うつ病もしかりである。どの次元でうつ病を語るのかにより、うつ病の姿は異なって現れてくる。現象を語る言葉にも違いがあり、時に翻訳の壁に直面することすらある。しかし、うつ病の全体を描き出そうと思うならば、それぞれの次元での展開を見ておかねばならないはずである。異なる専門領域を否定する者は、次のように考えてみたらいい。神経生物学にはあるいは精神薬理学には何ができないか、精神病理学には何ができないかと。

うつ病は、全くありふれた現象でありながら実に難解であるという意外性を抱えている。それはうつ病が、人類に普遍で不変なマインドの領域から、文化による修飾を強く受けるメンタリティにおよぶ領域で生まれる病だからである。マインドからメンタリティへは連続的に移行していると思われ、したがってそれぞれのうつ病はスペクトラムの様に分布して見える。言い換えればうつ病論とは、ヒトの脳を探求することであり、現代の日本人の精神構造を理解することであり、さらには日本の社会・文化にも言及することである。

編者らはともに、「躁うつ病の精神病理」が、昭和62年を最後として刊行を終えたことに限りない寂しさを感じていた。広瀬徹也氏と内海健氏は、その後継書ともいえる「うつ病論の現在」を平成17年に出版してくれた。筆者はその精神病理の議論の場に参加する機会を与えられ、「うつ病の行動遺伝学的構造」と題した生物学的な考察を報告した。以来、内海氏と筆者は続巻の刊行を望んだが、それはなかなか実現しなかった。そうこうしているうちに、うつ病の精神病理学や精神薬理学は急激な展開を見せた。それとともにうつ病は、専門家間の議論を超え、世論を巻き込んで語られ出したのである。そこでは表層的な理解や誤解、あるいは意図的な誘導が横行した。ネットに掲載される辛辣で時に悪意を含んだ情報は、この騒動の火に油を注ぎ、今やうつ病の混乱は猖獗を極めている。このような時であるからこそ、うつ病の晦渋な外観をはぎ取り、透徹した目をもって思考をめぐらさなければならないと思い続けてきた。

やがてその機会は二日に亘るワークショップという形で訪れた。精神病理学からは、東大分院学派の精髄を継ぐ内海健、臨床の精緻な観察から「現代型うつ病」を発見した松浪克文、記述精神病理学に精通した古茶大樹が集まった。さらに、精神分析治療の第一人者である牛島定信と医療人類学の気鋭の学者北中淳子、そして精神薬理学、神経生物学からは、該博な知識を誇る黒木俊秀、慶大精神薬理の治療思想を継承する渡邊衡一郎、そしてこのところ文化と脳の関係に関心をもっている筆者が参集した。本書は8分野の交流が生み出した論文集である。むろん8名の者でうつ病研究の全分野を網羅できるはずはないし、この8名以外にも、我が国にはうつ病研究の泰斗は数多い。いずれ彼らの手によって新たなうつ病論が展開されるであろうが、本書が多少なりとも布石となってくれることを願う。

本書の構成を一望して頂くために、まず内海氏による「あとがきにかえて」に目を通して頂くのがよいと思う。これまでのうつ病論集と異なるのは、上述したように、主眼が異分野の邂逅にあり、そこから創造される新たな理解の極みをめざしたことである。ワークショップでの議論は静謐に行われながらも、批判的な対質が繰り返され、異分野の交流は遺憾なく深められた。出版まで2年を要した編者の不行き届きは免れない。しかし本書に掲載された最終稿は、最後まで手を入れた著者らによる、各分野の最新の論考に満ちていると思う。

批判を承知の上で、書名を「うつ病」の構造ではなく「うつ」の構造とした。それは本書が、内海の言葉(第1章:「うつ」の構造変動)にあるように、「うつ病の臨床像の変化には、従来の症候学の延長線上でカバーできる部分に加えて、その射程の及ばないものが含まれているようである。・・・もしかしたら、うつ病という病が現れる舞台そのものが変化している可能性はないだろうか」という疑問を含んでいるからである。さらには、近代=モダンそしてポストモダンの展開の中で、「うつ病」か「うつ病でないか」という二項対立的な理解を越え、うつ病者へ一直線のまなざしを向けるという、臨床の原点を思い出してもらうことを意図したからである。

また書名に「構造」とあるのは要素還元主義への挑戦を現しているからである。一つの要素(次元)は他のすべての要素(次元)との関係において相互依存的に決定されるものである。くわえて、私たちの心と脳の特性に大いに由来することだと思うが、私たちは誰でも対象のもつ構造に限りない関心をもつ。構造を理解しようとする構造主義の試みは、間違いなく対象の深淵へ接近する一つの方法である。そして明らかにされた構造は、さらに解体され、再構築されてもいいと思う。いや、そうすることよってしか、うつ病という問題に接近できる道は無いのかも知れない。

平成23年9月 擱筆

神庭重信
(出版社の許可を得て掲載)

現代社会とうつ病

最新医学66巻5号2011より、許可を得て掲載
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文化のもつ生存力

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双極性障害の臨床について思うこと

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臨床精神医学 40: 237-239, 2011 より許可を得て転載
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うつ病の薬物療法について

はじめに
かつて精神医学には、パレイドリアのごとく見る者によって診断が異なり、中途半端な薬物療法や強引な精神療法が行われるなど、「自前で通る医療(笠原嘉)」が後を絶たない時代があった。医学モデルの導入、すなわち疾患を診断基準で分類し、そのカテゴリーに有効と証明された治療法を適用するのがあるべき医療である、とする精神医学の医学化(medicalization)は、時代が求めていたのであり、この改革は一定の評価が与えられてしかるべきであろう。

この流れは、Decade of Brainと呼ばれた神経科学の進歩と時を同じくして起こり、膨大な量の実証的論文を世に送り出した。その結果、情報量の極端な偏りが起こり、医学モデルの治療だけで事が足りるかのような錯覚を生み出したことは否めない。この流れは、新規抗うつ薬が次々に登場してきたうつ病においてもっとも顕著に起きた。

精神科医は、試行錯誤の臨床経験を積むにつれ、精神疾患が単純な医学モデルでは解決できない対象であることを身をもって知っていくものである。この経験は、遺伝性神経疾患の遺伝子を次々に解明した分子遺伝学が至った結論、すなわち精神疾患の多くが、多因子疾患であるらしい、という理解と合致している。多因子疾患モデルは、人の発生・発達のすべてのステージを通して、いつ如何なる時にも遺伝子(素因)と環境が相互に作用しあう複雑系の産物として、表現型が生まれるとする考え方である。多因子疾患モデルとは、従来、生物―心理―社会的と呼ばれてきた視点をさらに具体的かつ精緻に解析しようとする試みなのである。



抗うつ薬療法の基本事項
患者が抗うつ薬を自動販売機で買って飲む、という時代は来て欲しくない。同じく医者が考えずに機械的に抗うつ薬を処方するようになっても困る。治療者の作業として、薬物療法を初めとする生物学的治療は、より多様で変化に富み、手間のかかる、精神病理学的理解と精神療法の次元の上で展開されるべきである。

うつ病であると診断し、説明を加え患者の認知のゆがみを修正し(認知の脱中心化)、共感とともに休養を促し、そして薬を手渡す。こうした一連の作業から抗うつ薬療法は始まる。

最近になって喚起された注意事項を以下にまとめておく。古くから用いられている抗うつ薬は、厳密な比較試験が行われないままに承認され現在に至っているので、正確なことは言えないが、これらの事項は、薬剤により程度の差こそあれ、抗うつ薬一般にあてはまることとして捉える方がよい。

1)  服用初期に現れやすい精神神経症状がある
特に投与初期と、薬剤増量時に起こりやすく、症状としては、不安、不眠、焦燥感などの比較的軽度のものから、易刺激性、衝動性、敵意、パニック発作、アカシジア、躁転などの重篤な症状も報告されている。薬剤の減量あるいは中止が必要な場合もある。Activation syndromeと呼ばれることがある。

2)  自殺念慮・行為が増加する
18歳未満の患者では、抗うつ薬の服用初期に自殺への思いや自殺企図などの自殺関連行動の出現頻度が高まる(抗うつ薬で4%、プラセボで2%)。この結果を受けて、以下のように使用上の注意が改訂された。
25歳以下の若年者に抗うつ薬を投与する場合には、これらの副作用に注意し、本人や家族に十分な説明を与え、緊密に連絡をとる必要がある。この原因は明確ではないが、上記a.の精神症状が関係している可能性が指摘されている。また、自殺傾向がある患者には、多量服薬の場合を考えて、一回の処方日数を最小にする。

3)  断薬症候群(discontinuation syndrome)が現れることがある
抗うつ薬を急激に中止したことに起因し、不安、焦燥感、イライラなどの精神症状に加えて、さまざまな身体愁訴が出現することがある。これをうつ病の再発と誤診しないこと。抗うつ薬を中止する際には、数週間の時間をかけて行うことが重要である。

4) 抗うつ薬の効果とプラセボの効果とは僅差である。うつ病が軽症になるほど(non-Melancholia)、プラセボと抗うつ薬との差は少なくなっていく。

5) 新規抗うつ薬の有効性の評価に関しては、いわゆるpublication biasが大きな問題となっている。すなわち臨床治験では(基礎研究でも同じ傾向がある)、有意差が付く結果が論文に採用されやすく、読者の目にとまりやすい。しかし有効性が示せなかった研究を含めてメタ解析をすると、当初期待されたほどの有効性がないのではないか、という問題提起である。その他にも、A社の製品aとB社の製品bの有効性を比較すると、A社の研究資金で行われた研究ではa>bとなり、B社の研究ではb>aとなる。データを操作しているわけではないのに、方法や解析の微妙な違いが結果に表れていると考えられる。

結局、(特殊な条件下で行われる)臨床治験の結果だけで、現実の臨床における薬物の真の優劣を判定するのは困難である。



若年者のうつ状態と復職
職場では休職理由としてうつ病が大きな問題になっている。疫学調査によれば、若年者ほど大うつ病の生涯有病率が高い、と報告されている。大うつ病の診断には、逃避型抑うつやディスチミア親和型などが含まれている可能性がある。これらの若年者の抑うつ状態は、執着気質を病前性格とする中高年のうつ病と異なる特徴をもち、適切な抗うつ薬療法への反応に乏しく、休養と抗うつ薬の服用だけでは職場への復帰が思うようにいかないことが少なくない。復職リハビリなど、従来のmelancholiaの治療とは異なるアプローチが模索されている。

復職が困難な理由として、本人の病前性格の問題もあるだろう。だが、最近では執着気質者のうつ病でも復職の問題を抱えることがある。これは、職場環境の変化にその一因がある。つまり、経済的(また人的)に余裕がなくなった職場は、これまでのように職場に戻ってからの復職支援が十分にできなくなり、そこで復職の閾値を高くしたのである。そして、この高い閾値を乗り越えさせる作業を外部の医療機関に委ねた。その結果、復職リハの需要が全国で増したのだろう。

自殺対策基本法の施行(2006)を受けて、国を挙げての自殺対策が進められた。その一環として、一般市民に向けてうつ病の啓発活動が行われ、プライマリケアではうつ病の発見と介入が重要課題として位置づけられた。この活動は一定の成果を生み出した。しかしこの流のなかで、“うつ病”が、厳密な定義を欠いたまま、あるいは厳密な診断がなされないまま、便利な診断としてさまざまな場面で用いられ、さまざまな弊害を生んでいることもまた、確かである。例えば、“うつ病”という都合の良い病欠診断、“うつ病”に対する安易なSSRI/SNRIの処方の横行などである。“うつ病”がかつての自律神経失調症や神経衰弱に取って代わり、SSRI/SNRIがベンゾジアゼンピン安定剤に取って代わっただけであるかのようだ。



終わりに
うつ病の薬物療法が抱える問題を列挙した。いま改めて、うつ病概念を整理し、治療法を再評価する必要がある。それは、精神疾患を抱える患者の問題を生物軸―心理軸―社会軸のそれぞれにおいて理解し治療する、という言い古された思想を、時代に即してどれだけ具体的に展開できるか、ということに帰着する。



平成21年3月31日

神庭重信

気分障害の診療学、改訂版(中山書店、2008)
序文より加筆修正の上で引用


『うつ病の臨床精神病理学 』:「笠原嘉臨床論集」を読む

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臨床精神医学39: 363-371, 2010より許可を得て転載
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Lancetが投げかけた疑問

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The Doctor

ビクトリア朝後期にSir Luke Fildesによって描かれた一枚の絵は、医師のレゾンデトールを見事に描き出しています。画家は自分の息子の死を経験し、この絵を描くことを決めたといいます。当時の英国国民は、この絵に描かれた「普通の医師の静かなるヒロイズム」を賞賛したようです。Lancet(1887: 1: 230)もこの絵を取り上げて、英雄とは、とてつもなくすごいことを成し遂げる者ではなく、毎日を精一杯生き、求められていることを誠実に行う者のことであると述べています。
少しFildesの絵を見てください。
絵の中央には、あわてて用意したと思われるベッドが置かれ、少女が横たわっています。とても裕福とは言えない家庭のようです。絵の左にあるランプは明るくともっていながらも、右の窓からは微光が差し込んでいます。少女はその夜を生き延びたのです。悲しみに押しつぶされ机に伏せる母親、その傍らには父親が立ち、左手を妻の肩に優しく置いています。彼は医師の姿を見つめています。その医師は少女の方にかがみ込み、為すすべもなく、徐々に浅くなっていく呼吸を見守っています。その様子からは、医師が、彼女を救う手だてはないだろうかと思案しながら、同時に、何もしてあげられない医学の限界を知っていることが伝わってきます。

なぜ、医師はこの場に居続けているのでしょうか。この絵を取り上げた当時のLancetは私たちにこう問いかけています。

あなたは、どのように答えますか?


同門会メール巻頭言

平成23年1月より、九大精神科同門会員向けのメールマガジン「Enigma」を発行しております。
各号の巻頭言をご紹介致します。

Enigma Vol.1

Enigma発行にあたり

このたび、教室通信Enigmaを発行することにしました。Enigmaとは、「謎」という意味です。僕もそうですが、精神の謎に魅了されて精神科医になった方は多いのではありませんか。教室では、この謎を少しでも解き明かそうとして研究を進めています。教室通信を、その一片の報告書として位置づけて、名前をEnigmaとしました。教室ホームページも適宜更新しています。あわせてご覧ください。
第二次世界大戦時のドイツ軍の暗号器がエニグマと呼ばれていました。英国の数学者たちがその暗号解読に成功し、英軍の守備力・攻撃力が一段と良くなったことは知られています。これは余談でしたが、福岡で最初の文芸誌として誕生した雑誌の名前がやはり「エニグマ」なのです。編集兼発行人である諸岡存は、後に榊教室の助教授となる人です。夢野久作は、この諸岡氏から九大精神科や精神疾患の話を聞き、ドグラ・マグラを書いたと言われています(詳細は「九州大学精神科:百年の航跡」に詳しい)。
さて、教室の話題を幾つかご紹介します。

ハーバード、ジョンスホプキンスへ

今年は海外留学が相次ぎます。まず教室が文部科学省最先端研究開発戦略的強化費を受けることになりました。いかめしい名前ですが、簡単に言うと、世界的な研究拠点へ研究者を派遣し、相互の連携を強め、国際レベルの研究を進めるための研究強化費です。私たちは、ハーバード大学医学部精神科McCarley 研究室との連携を進めます。このラボには、教室の鬼塚俊明講師をはじめとして2名のものがすでに留学しています。この研究費で今年はさらに平野羊嗣先生と織部直哉先生が留学できることになりました。
さらに加藤隆弘先生は、日米科学技術協力事業「脳研究」分野の研究費を獲得し、米国ジョンスホプキンス大精神科の澤明教授のもとに留学することになりました。

宇宙と精神医学

九州大学は宇宙航空研究開発機構JAXAと連携協定を結んでいます。このたび九大宙空環境研究センターが改組され、宇宙理学、宇宙工学、航空工学に加えて、医学が参加し、総合的な空と宙の環境研究センターとなります。そこで、医学部からは、放射線科と精神科が参加することになりました。放射線科は、宇宙飛行士が微重力空間で受ける放射線の生体への影響を調査します。私たちは、閉鎖空間に長期滞在する宇宙飛行士の精神的健康と精神疾患への対応を考えていきます。どのように科学技術が進歩しようとも、人の精神の方は都合良く変わってはくれませんから。

講演印象記

1月はお二人に特別講義をお願いしました。神田橋條治先生と九大人環の橋彌和秀先生です。神田橋先生には、診察実技の指導をお願いしました。直感的な症状把握に秀でている先生ですが、実はディテールへの集中のすごさこそが神田橋先生なのだと思います。そしてディテールな作業のことは自ら語られないので、診察がまるで手品のようにみえてしまう。先生は今年中山書店から本を出されるので、ディテールのすごさを味わってください。一方、橋彌先生は発達心理学と進化学を専門とする研究者です。横長で白目が大きい人の目の特徴が社会的適応という淘汰圧をうけて今のような形に進化したとする説を話されました。こうした目の形は、心の姿を相手に伝えるのに向いています。橋彌先生の研究によれば、6ヶ月になると赤ちゃんは視線の区別ができるようになり、見つめられることを好みだします。これは本能です。だから人は何歳になっても自分を見つめてもらいたいのではないでしょうか。

2011/01/21

Enigma Vol.2

ロンドン→パリ

1月の末のことになりますが、ロンドン大学キングスカレッジに所属する精神医学研究所(IOP)を訪問してきました。現在IOPに留学中で、今年3月に帰国予定の中尾智博先生もいたって元気に我々を迎えてくれました。彼も、IOPの行動療法グループと九大との今後の連携作りを仕込んでいるようですから、そのあたりの事情は帰朝報告で紹介してもらいます。またロンドンでの行状は、吉田敬子教授が本号に報告してくれますので、ここでは触れずに、帰路1人で立ち寄ったパリでのことを少々お伝えします。教室の一部で、教授はパリに遊びに行ったのではないか、とささやかれていることも知っていますので、ブログにならない程度に身の潔白を証しします。

キングス・クロス駅に隣接するセント・パンカリス駅の改札を抜け、待合室に入ると、そこはすでにフランスの香りに満ちていました。ユーロスターは2時間半でロンドンとパリを結んでいます。煤けた煉瓦作りの街中をしばらく走り続けて、英仏海峡トンネルを抜けると、車窓の光景は見渡す限りの田園へと姿を変えます。配られたランチとワインを摂ってまどろんでいると、まもなくして車内放送はパリ北駅到着を知らせてきます。

と、ここまでは優雅な旅だったのですが、人種と貧富が入り乱れ騒然とする北駅を走り抜け、地下鉄に乗り込んでサン・ミッシェルまで行き、ソルボンヌの近くをぐるぐる歩き、3回ほどすれ違う人を捕まえては宿(明らかに無名)の場所を尋ね、やっとチェックイン。約束の時間に遅れそうだったので、「今から宿を出る」と一言電話を入れて、タクシーに乗り込みPitié-Salpêtriéreに向かいました。ご存じの方もおられると思いますが、構内はとにかく広大です。運転手にも建物がわからず、再びぐるぐるして、やっと児童精神科部門を探し当てたのです。

部門長のDavid Cohen教授は丸首のセーターにジーンズといういでたちの大男でした。まさかこの人ではあるまい、と思って背後を窺ったのですが誰もいないので、素知らぬ顔をして、挨拶を交わそうとしたところ、込み入った話はフランス語では到底できそうもない、と見抜かれたのか、「フランス語でやるか英語でやるか決めたらどうだ」といわれ、出鼻をくじかれた思いがしました。

両国の児童精神医学の実情やら今後の課題やらを話し合ったのですが、彼は英語が達者でその上気取らない人でしたので、ひとときの会話を楽しむことができました。織部直弥先生が書いた双極性障害の論文を見せたところ、「とてもエレガントな研究だ」と言い、「フランス政府は、精神医学に研究費を出さないから、僕らの研究業績は乏しいのだ」と言い訳のような愚痴のようなことを言っていました。

ご承知のようにPitié-Salpêtriéreはフランスの基幹医療施設ですから、各地から患者がくるようです。「院内学級も整っており、長期に入院しても学業でおくれることはない。米国では1週間も入院させないようだが、それでどのような治療ができるのか」、と皮肉まじりに話していました。それこそ米国では児童の双極性障害(prepubertal and early adolescent bipolar disorder; PEA-BP)が過剰診断されているがフランスではどうか、と尋ねたところ、彼が双極性障害とはっきりと診断できた最低年齢は11歳であったといいます。僕も同感ですが、皆様の経験はいかがでしょうか。なぜでしょうか?一定の年齢に達しないと、双極性障害としての表現型が現れる神経回路ができあがらないのでしょうか。それは今後の課題として、DSM-Vでは、児童の双極性障害の過剰診断・過剰投薬を抑制する目的でしょうか、mood disregulation syndromeというカテゴリーを作る計画が進んでいるようです。

彼は2012年にパリで行われる国際児童青年精神医学会(IACAPAP)の会長を務めるようで、シンポジウムを提案しないかとか、日本からも大勢参加して欲しいとか言っていましたので、皆様にお伝えします。

3泊5日の駆け足で二都をめぐった旅でしたが、質実と合理主義に貫かれたクールなロンドンと美とエスプリを大切にする艶やかなパリのコントラストが強く印象に残りました。

2011/02/25

Enigma Vol.3

東日本大震災、今の思い

今般の東北地方太平洋沖地震に被災された方々にお見舞い申し上げます。また、不幸にしてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族に対して心よりお悔やみ申し上げます。

今はまだ事態の全貌を消化することはとても不可能です。ですが、僕の思いを少しだけお話しします。こうしている今も、同僚達から次々に情報が入ってきます。精神科入院患者さんの他県への転院、精神医療自体の維持のための精神科医の派遣、被災者を対象とした「心のケアチーム」の派遣などが行われています。岩手医大、東北大、福島県立医大から支援要請があり、すでに精神科医を送り出した大学もあります。日本医師会などの学会や協会ごとに支援の輪が広がっています。厚労省で指揮をとる精神・障害保健課によれば、急性期対応は自治体病院系が中心となって行っているようです。

時々刻々と数値は変わっていきますが、避難所は2400ヶ所、避難民は27万人に達しています。諸外国では、被災者の様子を見て、彼らの忍耐強さと秩序立った行動に驚きと称賛の声が上がっているようです。我々が被災地の映像を見ても、日本人の我慢強さ、なかでも東北の方の芯の強さには感涙するばかりです。日本のなかでも東北は昔から貧しい土地でした。若い働き手は家計を支えるため大都会へ出て行きます。津波は、残った者が住む幾多もの寒村を消し去った。災害はいつでも、弱者により冷たいのです。

今は気が張り詰めていても、やがて彼らは疲弊の極を迎えるはずです。多くの愛する人を失い、財産や土地を失い、希望を失っています。津波にさらわれる我が子を目の前にして、なすすべもなかったという、想像を絶する経験をされた方も少なくない。自殺を選ぶ方もいると聞いています。また現地で心のケアに奔走している連中もやがて心身の限界を迎えます。全国から、心のケアチームを大規模かつ長期間に亘って派遣する必要があります。九大精神科の同門にも、応援に向かいたい、と手を挙げてくれた先生方が大勢います。教室でも福島県立医大を支援すべく準備を始めました。

今回の災害の異色なことは、地震と津波に加えて原発事故が発生したことです。この文を書いている今も、放射能汚染がじわじわ広がっているというニュースが飛び込んできます。素早く救援隊を派遣し、日本を応援してくれた諸外国の中にも、原発事故が予想外に深刻であることが伝えられると、過剰な反応を示し、自国民に帰国勧告をだし、大使館を一時閉鎖し、日本政府や東京電力の対応の悪さを非難する国が出てきました。

このように放射能汚染の恐怖が広がるなかで、最悪の事態を避けるため、危険を顧みずに修復作業に当たる同社や協力会社の社員達がいるそうです。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して福島へ向かったといいます。男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だったそうですが、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と、家族に告げ、会社が募集した約20人の応援派遣に応じたといいます。話を告げられた娘は、「普段は役にたたないだけの父親だと思っていたけど、今は父を誇りに思っている」と涙を流しながら語ったそうです。全員がこのような自由意志に基づいているのか、という疑問は残りますし、彼らの置かれた環境に十分な配慮が無いことには、怒りすら覚えますが、福島第一原発で修復作業を続ける作業員達は、Fukushima 50と呼ばれ、国際社会が驚嘆し、その勇姿にエールを送っています。自衛隊特殊化学防護隊の隊員たちも全員が志願者です。危険度の違いはありますが、余震と被曝のリスクのなかで、いち早く現地に乗り込み(あるいは留まり続け)医療活動に従事した者達がいました。被災地の復興支援活動を申し出ているボランティアが全国に大勢います(ボランティアの原義は十字軍志願兵です)。どうして彼らは、自らを危機に晒してまで、利他的行動を求めるのでしょうか。

僕には今、サルトルのいう「若者のジレンマ」が思い浮かんでいます。ドイツ軍と戦うためにレジスタンス活動に加わるべきか、それとも年老いた母のもとにとどまるべきかの二者択一、どちらがより倫理的なのかという過酷な問いです。ジレンマなのですから、絶対的な解や原理は無いのです。しかしどう動くか、僕らの無意識は瞬時にそれぞれの決定を下しているのではないでしょうか。判断に悩み時間がかかるならば、それは解を求めているからではなく、自分を納得させるためのロジックを考えているからに過ぎないと思うのです。私たち誰もが、事の大小こそ違えども、人生においてこのジレンマに幾度となく遭遇するはずです。その時、あなたは、どちらを選ぶのですか?

2011/03/25

Enigma Vol.4

東日本大震災−その後の思い(1)

福島県いわき市で「心のケア」活動を始めて一月が経ち、5月17日には鬼塚俊明先生をリーダーとする第3陣が出発しました。避難者は未だに11万人を下らないばかりか、福島では放射能汚染のために新たな避難が続いています。

僕たちが訪れた4月上旬、避難所にはお年寄りも数多くおられ、疲れ切った様子で呆然としている人がちらほら見受けられました。劣悪な環境のなかでの避難所生活が長引いており、さぞかし疲れ切っておられることと思います。土地を追われて地域集団ごと脱出すること(exodus)の、つらさや惨めさとは、こういうことなのか、としみじみとわかりました。振り返ってみて、僕たち精神科医の活動が、PTSDやうつ病・自殺の予防にどれほど効果的だったのか、判然とはしません。むしろ、こちらが教えられたこと、考えさせられたことの方が圧倒的に多かったように思います。その一つが、地域がもつ生存力です。

衝立があちこちに置かれている大きな避難所の様子がよく報道されます。しかし、地域が一緒に移動して肩寄せ合って生活している避難所では、鼾がうるさいなど特別なことがない限り、衝立はそれほど必要ないのです。ある体育館では、中央に近いところで、高齢の女性達が4人集まって談笑していました。

遠慮がちに割って入って挨拶をしたところ、「私たちは幼なじみで、小さいときからずーと一緒に育ってきたの。こうしてみなで話していると気が紛れる」というのです。地域の力とはこういうものか、と改めて教えられた気がしました。“わざわざ九州から来てくれて大変でしたね”とこちらが気遣われてしまいます。

今後、仮設住宅などへと家族ごとに入居していきます。彼らは、安堵する一方で、非被災者との格差はいうまでもなく、被災者の間での格差という、“被災の現実”と真っ向から向き合わなければならないのです。しかるに、肌で感じたことですが、被災された方々はみな、格差や不平等に対してとても敏感でした。このことについては、次号で書いてみたいと思います。

シームレスな精神科医療

今年度から九大精神科は、経済産業省が力を入れている医療IT化プロジェクトに参加することになりました。医療のIT化には、大きく分けて二種類があります。一つは、広域に分布する医療施設をITネットワークでヨコに結び、患者さんを動かさずに、関係者間で医療情報を共有する、いわゆる“シームレス医療”構想。そして、1人の患者さんの生涯情報をタテにつなげて、情報を一元化しようとする、“どこでもマイ病院”構想です。ただしいずれのプロジェクトも医療の未来像を模索する実験段階にあり、すぐに診療報酬に結びつくような話ではありません。

一年前から、毎月1回のペースで霞ヶ関の経産省に集まり、シームレス精神科医療の勉強会を続けてきました。メンバーは、経産官僚、NTTの技術者、NTT東日本関東病院の秋山剛先生、経団連および連合のメンタルヘルス担当者、厚労官僚、シンクタンクのイー・ソルーションなどです。大学からは、ITや数学にやたら強い、上野雄文先生と三浦智史先生とに参加してもらいました。

ちなみに昨年の秋、ニューヨークのJohn Kane教授にお聞きしたことですが、彼はすでにテレビ会議システムで米国中西部の患者さんの相談にのっているようです。しかし僕たちが目指しているのは、単なるテレビ会議ではなく、その上をいくシステムの開発です。試験的に、東京の精神科外来を受診した(模擬)患者が、都内のリワーク施設を利用してこれから職場復帰を目指しているという設定で、主治医、リワーク施設の医師、職場の産業医、遠く離れた九州にいるうつ病専門医などの間で、患者中心として、情報を連結し一体化された医療を行おうという企てです。将来はさらに、このネットワークと、現在同時並行で開発が進められている、糖尿病治療のネットワーク、あるいはがん治療のネットワークとの連結も視野に入れています。

医師不足、精神科医不足の地域は勿論のこと、東北の被災地で、応用できないだろうか、と期待しているのです。

2011/5/25

Enigma Vol.5

東日本大震災-その後の思い(2)

僕たちがいわき市に行きだしたのは4月初旬でしたから、すでに4か月が過ぎようとしています。当時、公設住宅の入居受付が避難所の一角で行われており、みな忍耐強く列を作っていました。震災直後の昂揚期を過ぎた避難所の人々の表情には、疲労と焦燥とが見て取れました。あの方々は今、どうされているだろうかと気がかりです。

避難者に見られた秩序だった行動や冷静な態度が世界中の注目を集めたことは記憶に新しいと思います。暴動は言うまでもなく、我先の身勝手な行動などが起こらず、整然としていたことが、日本人の強さ(レジリエンス)として世界中で報道され、日本には“がまん強い”という文化があるのだと伝えられました。実際には、現地では窃盗も多発していましたし、人々が感情を爆発させる場面にも出会いましたから、この報道にはステレオタイプの押しつけがあるとしても、人々は確かにがまん強いと感じました。

このがまん強さの裏にあるのは、社会心理学がいうところの集団主義(collectivism)の文化です。経済のグローバル化とともに個人主義(individualism)が浸透し、文化が混淆しつつありますが、日本にはいまだに集団主義が深く根付いています。集団主義とは、個の利益よりも集団の利益を重視して、個の権利主張に制限を加える行動原理のことです。同じ集団に属する相手に対して好意的に振る舞うことで、相手からも好意的に振る舞われることを期待できる、互恵的な社会を構成します。危機的な状況では人は誰でも集団主義的傾向を強めますが、東アジア一帯に暮らす人々に、より特徴的に認められ、欧米人に顕著にみられる個人主義と対比されます。

大切なことは、この集団主義の行動を保証するものは、ぬけがけをせずとも、そして和を乱さずとも、集団の利益は、最終的には「平等」に分配されることが保証されている、という信念の共有に他ならない、ということです。したがって人々は、結果としての平等に対して敏感になります。かつて福澤が日本社会の病理として指摘した「羨望」やトクヴィルの「平等の情念」などを考えるにあたって、こうした社会心理学的な分析も必要でしょう。

トルストイの言葉として知られるように、不幸な家庭はそれぞれに異なります。家のライフラインが一時的に止まっただけの方、ローンを抱えて生業や住宅を失った人、身内を失い悲しみに暮れている遺族、両親ともに失い孤児になった学童・・・。災害とはそもそも不平等な出来事です。だからといって、仮にも日本という集団への信頼を裏切ることがあれば、被災された人々に“失望”と“怨”を与えてしまうことになります。私たちは、「できる限り富を平等に分配する」という、この国の歴史的文脈のなかで作られたルールを厳しく監視し続けなければなりません。

五大疾患に精神疾患が位置づけられる

厚生労働省が、精神疾患を、がん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病とならぶ五大疾患として位置づけました。年間の患者数の急増がその一因で、同省の08年の調査では、糖尿病237万人、がん152万人などに対し、精神疾患は323万人に上るといわれます。また自殺者は近年、年間3万人を超えていますが、多くは何らかの精神疾患を抱えているとされます。五大疾患として位置づけられると、地域連携パスのような医療の制度化が進むと聞いています。

上記の動きにつれて、精神疾患の研究にも予算がおりてきます。政府の総合科学技術会議では、うつ病と認知症の生物学的マーカーの研究を促進することが合意されており、僕も委員を務めている文部科学省科学技術・学術審議会(脳科学委員会)においても、今年度の研究費(総額9億円)で、うつ病、認知症、発達障害の研究を後押しすることが決まりました。しかしこれまで、がんの年間研究費が120億円にのぼっていたのに対して、気分障害の研究費はわずかに3億円前後にすぎませんでしたから、せめて一桁は増やして欲しいものです。

僕が精神科医の道を歩み出した30年前には、精神医学がこのように社会から注目され、期待される時代が来るとは、思いもよらないことでした。専門病院は、人里離れた場所にあり、施設の増設のたびに、近隣住民と緊張関係が生まれました。街中に精神科のクリニックを作っても偏見が強くて誰も受診しないだろう、と思われていた時代でした。実際、東京ですら精神科クリニックは数えるくらいしかありませんでした。一方で、精神科の時間は味があり、ゆったりと流れていて、好きな勉強に没頭することができました。

今日のように世の中の期待が大きくなってくると、我々の仕事も増え、責任も重くなるでしょう。“古きよき時代”はただ過ぎ去るだけなのか、それとも“新しきよき時代”を迎えることができるのか、私たちは、分岐点に立たされているのだと思います。

2011/7/29

Enigma Vol.6

文化アフォーダンスとは

周知のように、アフォーダンスというのはJJ Gibsonが提唱した概念です。大雑把に言えば、野球のボールは大人にとっては投げることができるもの、幼児はなめることができるもの、犬にとっては咬めるものとして見ているということです。体の大きい人と小さな人とでは、同じ椅子を見ても、座れるかどうか、座り心地はどうか、などとそれぞれに異なる評価が生まれます。つまり、一人一人、見る人によりこの世の中は違って見えているのです。ただしアフォーダンスは前意識において認知されているので、私たちは普段これを意識することなく行動しています。つまり、視覚はつねに身体性をもつ、ということです。

行動の最も原初的な動因は、「人は生きていくための資源を獲得しなければならない」という身体性です。そればかりか、囚人のジレンマや最後通牒ゲームにみるように、高次の判断も身体性によって均衡安定しているようです。それは、より高次の回路が原初の回路を巻き込んで、入れ子構造のように脳が進化したからです。たとえば、とても嫌なことをしなければならないときには、「吐き気」を感じ、日常表現としても「○○には吐き気がする」などと言いますね。空腹の時、つい苛々して、普段言わないことを言ってしまったりもします。この「精神のもつ身体性」は、精神医学の臨床にも様々な場面で現れているのではないでしょうか。

この夏、社会心理学、文化心理学、社会神経科学に関する論文や著書を渉猟し、悪戦苦闘して(結果としては不満足なものとなりましたが)、「文化アフォーダンス」という概念に至りました。これは、文化(の各要素)に向き合い、あるいは参入する際に、文化がアフォードする認知は人によりそれぞれ違っている、という理解です。しかも、それは個人の行動にとどまらず、民族の集合的行動においても、行動の結果として獲得できる利益と損失により、行動を適応的なものとするかどうかが常に計算されている、と考えることができます。重要なことは、文化アフォーダンスは普段は意識されないままに作動している、ということです。文化アフォーダンスの概念を援用すると、時代とともにメンタリティや精神疾患の表現型が変わっていくことが理解できるかもしれません。たとえば、飢えることのない社会となり、容姿の美意識にも変化が生まれ、それとともに拒食症が増えたこと、「うつ病者の善良性」という啓発が進んだ社会で、うつ病・うつ状態が増えたこと、社会への参入を以前ほど強制しなくなった時代に、軽度発達障害が増え、逆に統合失調症が軽症化していることなどです。

僕はこの考察を「文化−脳・高次精神の共同構成とうつ病の形相」と題して、東京藝大の内海健先生と編集した『「うつ」の構造』(弘文堂、2011年11月発行予定)に収めました。本書は二日に亘るワークショップから生まれた論文集です。精神病理学からは、東大分院学派の精髄を継ぐ内海健、臨床の精緻な観察から「現代型うつ病」を発見した松浪克文、記述精神病理学に精通した古茶大樹が集まりました。さらに、精神分析治療の第一人者である牛島定信と医療人類学の気鋭の学者北中淳子、そして精神薬理学、神経生物学からは、該博な知識を誇る黒木俊秀、慶大精神薬理の治療思想を継承する渡邊衡一郎、そしてこのところ「文化と脳・精神」の関係に関心をもっている僕が参集しました。

このたび不満足だったことは、視覚アフォーダンスと文化アフォーダンスに共通する脳の原理や回路があるのか、あるとすればそれと社会脳とはどのような関係にあるのか、という疑問に接近できなかったことです。拙論に対する皆様の忌憚ないご批判・ご意見を賜り、考察を一歩でも前に進めたいと願っています。


日本総合病院精神医学会のご案内

来る11月24−25日に、福岡国際会議場で、第24回日本総合病院精神医学会総会を開催します。特別講演1では、リエゾン・コンサルテーション(LC)の活動で、ボストンMGHに並ぶMayo ClinicからRundell先生にお越し頂き、米国での最近のLC事情についてお話し頂きます。また特別講演2では、同門の森山先生から、先生が長年啓発活動を続けてこられたギャンブル依存についてお話し頂けることになりました。また、西園昌久先生には、力動精神医学がLC活動にどのように生かせるかをご教授頂きます。皆様のご協力で、教育講演6、シンポジウム14、ワークショップ3、一般演題約140題からなるプログラムを組むことができました。移植医療など総合病院に限定されるテーマもありますが、どなたが来られても得るものが多い総会になるのではないかと思います。

大会テーマは、「精神医学と身体医学のさらなる統合」としました。心が身体に影響することは周知のことですが、僕たちはとかく、脳や心について議論するときには、身体を切り離してしまいがちです。身体の状況は、隅々まで脳によってモニターされ、常に調整されています。そして上述したように、心は身体性をもって動いています。会長講演では、「身体のなかの心、心のなかの身体」と題して、この問題を取り上げてみたいと思っています。みなさまふるってご参加ください。

なお、プログラムの詳細はホームページをご覧ください。

http://www.c-linkage.co.jp/jsghp24/soukaipro.html

2011/10/19

Enigma Vol.7

明けましておめでとうございます。皆様よいお正月を迎えられたこととお慶び申し上げます。
今年も九大精神科をご支援くださりますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。2012年には、多文化間精神医学会(6月23-24日)、East Asia Bipolar Forum(9月7-8日)、日本精神病理・精神療法学会(10月5-6日)の3学会を開催する(いずれも百年講堂)予定です。充実したプログラムを考えておりますので、皆様ふるってご参加ください。

東日本大震災-いわき市支援を終えて

2011年12月4日から8日まで、僕達は再びいわき市の医療支援に出かけました。今回は第9陣ということになり、個人的には、4月7日以来、約8ヶ月ぶりにいわき市に入ったことになります。

上野駅まわりでJRいわき駅に着いたのは夜の8時過ぎでした。4月の頃は常磐線が不通でしたから、今回初めて駅に降り立ったのですが、駅舎を一歩外にでて驚いたことは、その街の明るさでした。駅前からまっすぐに伸びる中央通りの両側には街路灯が灯り、小料理屋が広がる辺りは特に明るく、質素でわびしいものでしたがクリスマス風のイルミネーションすら飾られていました。地方都市だけにこの時間になると人通りはめっきりと少なくなっていましたが、それでも制服姿の学生たちがたむろする、どこにでもあるような駅前の様相を呈していました。

昨年の4月に来たときには、この中心街ですら全体に薄暗く、数件の店だけが外の明かりを消してひっそりと開業しているだけで、どこが駅かすら分からないほどでした。音もなく点滅を繰り返している交差点のランプが奇妙に浮き上がって見えたことを思い出します。当時はやっとライフラインが回復したばかりで、開業していたホテルも一軒しかありませんでしたが、今回は、あちらこちらのホテルが開業しているようで、いわき市が日常生活を確実に取り戻しつつあることを実感できました。

先に到着していた小原知之先生と伊東看護師の出迎えを受けて、駅前のホテルまで歩いて向かいました。地震でできた道路の段差やひび割れ、建物の傷跡などには、表面的な修復が施されていましたが、うっかりすると段差でよろめくような状態で、完全な復旧にはまだほど遠いことがわかります。ホテルに到着すると、当時と全く同じように、(原発の作業員なのか建築業者なのかは分かりませんが)作業服姿の泊まり客で混み合っていました。

体育館などを利用した避難所は完全に無くなっており、避難されている方々はみな、市の雇用促進住宅や仮設住宅に移っていました。ちなみに東北3県でも避難所は全部閉鎖され、皆さんが仮設などに移ったと聞きました。しかし、その数はいまだに33万人にも達しているそうです。いわき市には市外から避難してこられた方が2万人近く滞在しており、一方で8千人のいわき市民が市外へ出て行ったといいます。地方局のテレビ放送を見ると、時々刻々大気中の放射能の数値が表示されており、原発事故が今も市民を不安にさせていることがわかります。

僕達に今回要請された活動は、福祉センターでの来所相談と電話相談、個別訪問、市民公開講座での講演だけで、いわき市での心のケア活動は、表面上は、収束したかのように思われました。仮設などに移った方々で精神科医療が必要な方には地元の医療が提供されているようでしたし、こころのケアは、相互の見守り、相談受付などの方法で対応しているようでした。

地元病院の精神科医、看護師と昼食を共にする機会がありました。いわき市の精神科医療はほぼ震災前の水準に戻っているそうです。しかし彼らからとても気になる話も聞きました。それは、震災直後に福島を離れて戻ってきた医療従事者と、残って医療を続けた人たちとの間に、埋めることの難しい溝ができている、ということでした。きっとこれは、医療者に限った話ではないでしょうから、余り表沙汰にはなっていませんが、福島に特有の深刻な問題なのだろうと思います。

保健センターの職員は、これからも予想できないことが起こるのではないか、その際に自分たちはどう動けばよいのか、との不安を抱えているようでした。現地の精神科医には保健センターの支援をするまでの余力が無いのでしょう。できれば関係を絶ちたくないといった様子でしたので、今後はSkypeを用いたテレビ会議で連絡を取り合うことを提案させていただき、現在その準備に入っています。

支援に行かせていただき、現地を見てまわり、現地の人々と接した者は、みな何か、他では得られない何かを体験をしてきたと思います。それは、医療者として働きながら、日常の忙しさの中で見失いがちなこと、すなわち「私たちは人の役にたてる」ということを改めて知ったということではないでしょうか。

Benjamin I Sacks教授のこと

吉田敬子教授の紹介文(本号掲載)にあるように、2011年の九大・モーズレー児童精神医学研修会には、Benjamin Sacks教授をお招きしました。彼は82歳になる、古き良き英国精神医学を身につけた精神科医で、なかでもダウン症と自閉症を専門とされています。

およそ一年前に吉田先生と僕はロンドン郊外のハムステッドに居を構えている彼を訪れました。吉田先生がモーズレーに留学されていた(若かりし、エッ?)時の指導教授で、日曜の朝ごとに自宅に呼ばれ、英語の練習と称して、家族の団らんに加えて頂いたということです。

約束の時間ぎりぎりにハムステッドの地下駅に着き、急いで地上にでると外は小雨模様でした。そのなか、待ち合わせの書店の前で、傘も差さず、軒下にも入らず、路上に立って待っている背の高い英国人を見つけました。その姿は、その場では気づきませんでしたが、振り返ってみると、きっと彼のマナーだったのではないかと思います。

挨拶をすますと、お茶に誘われ、近くのケーキ屋で暖を取りつつ話をしました。僕のことは、“Keiko’s boss”ということだけで十分だったらしく、たちまち精神医学の話になりました。その時に彼が述べた治療思想で印象的だったことが幾つかあります。“医療はチームで、しかもマルチモダルに行うのがベスト”であること、患者さんには“自分は働けるという自尊心”と“仲間がいるという安心感・連帯感”が必要だということなどでした。これが、オーソドックスで実利的な英国精神医学なのか、と感心しながら聞き入った覚えがあります。Sacks教授は最近の論文にも目を通しており、自閉症の遺伝子研究にも話が及び、その知的好奇心が一向に衰えていないことも驚きの一つでした。

九大でのレクチャーにお招きしたのは、彼の治療哲学をさらに詳しくお話し頂くためでした。それは、「精神科治療の十戒」としてスライドにまとめられていました(下記参照)。ダウン症の治療を念頭に置いた項目もありますが、精神疾患の治療一般にも言えることではないかと思います。十戒の最後は、初期診断が適切であったかどうかを、長期経過を観察して評価し、常に自分の診断能力を高める必要がある、と締めくくられています。

余談ですが、Sacks教授の会話はほとんどが疑問詞WhyとWhatで始まります。しかし、こちらが少しでも戸惑っていると、相手を困らせない、という気持ちでしょうか、すぐに自分の考えを述べてきます。そして、その会話は常にアイロニーとウィットを含んでいます。しかし、とげとげしさなどは全くなく、アイロニーとウィットはいつもチャーミングに語られます。彼の表情も動作も同様で、いつでもチャーミングな表現を含んでいます。

モーズレーとタビストックは長年に亘るライバルですから、「精神分析は評価しない」と口では言いつつも、フロイトがかつて住んでいた記念館へ案内してくれて、フロイトが晩年をハムステッドで過ごしたことを誇りにも思っているようでした。

記念館までの道すがら、つかまって歩くようにと吉田先生に腕を差し出し、常に吉田先生を塀側(自分は車側)に導いて歩道を歩く姿には、身についたマナーをはっきりと見て取れました。

Ten Amendments of Psychiatric Treatments:
①Management Team
②Clinical Pharmacology
③Behaviour Management
④Cognitive Behaviour Management;CBT
⑤Medical Issues
⑥Language Numeracy Education
⑦Exercise
⑧Paid Occupation
⑨Social Personal Relationships
⑩Follow Up

                             2012/01/06

Enigma Vol.8

米国の精神科医療事情

今年の1月に米国を訪れました。渡米は、1998年に行われたAPAサンフランシスコ大会以来、実に14年ぶりのことです。米国で精神医学の初期トレーニングを受け、当時の同僚に誘われてプロテスタント系の教会と出会うことができた僕にとり、米国は恩ある国ですし、もとより好きな国の一つでした。しかし弱者切り捨ての政策やイラク戦争などの中東政策には嫌悪感を抱いてきましたし、9.11テロ事件が発生し治安にも不安がありましたので、この間ずっと渡米を躊躇してきました。

今回は、ジョンズ・ホプキンス大学に留学している加藤隆弘先生と、ハーバード大学に留学している平野羊嗣先生、織部直弥先生を激励し、彼らのボスを表敬訪問するという役割があったので、しぶしぶ腰を上げて出かけてきました。まず申し上げておきますと、世界トップクラスの研究施設で働いていても、みなさん米国のボス達にとても高く評価されていました。

話は変わりますが、僕がレジデント・トレーニングを始めたのはDSM-IIIが導入されて4年が経っていた時です。当時の精神医学はまだDSM一色にはなっておらず、伝統的精神医学がしっかりと残っていました。教養のある先生は、「これは、Leonhardのcycloid psychosisであり、DSMではschizoaffective disorderにあたる」とか「症状はOCDだけど、Hoch & Polatinのpseudoneurotic schizophreniaの症例にそっくりだ」などと教えていましたし、レジデントには、スーパーバイザーのもとで、2症例の力動的治療を半年以上に亘り担当することが義務づけられていました。そののち、精神分析が衰退し、推論や議論の余地のない操作的診断の世界へと変わってしまい、実に寂しい思いがします。加えてmedicalizationへの批判や医師と製薬企業との癒着などの話題が沸騰して、米国精神医学の威信はひどく傷ついています。医療制度に関しては、帰国の直前に導入されつつあったmanaged careというシステムが跋扈し、国民の医療水準が低下したとも聞いていました。今回の訪米で、精神科の医療事情について少しながら生の声を聞くことができたのでお話したいと思います。

ジョンズ・ホプキンス大学はメリーランド州ボルチモア市にあります。その精神医学教室は、「Psychobiology」を提唱したAdolf Meyerが初代教授を務め、児童部門にはLeo Kannerがいたことでよく知られています。ちなみに、ホプキンス大学医学部の立ち上げには内科医William Oslerが関わっています。最近ではSolomon Snyderという傑出した精神医学者を輩出したこともご存じでしょう。そして、新設された統合失調症センターのセンター長を務めているのが、東大精神科ご出身の澤明教授です。

その澤先生にご手配頂き、加藤先生の案内を得て、Sheppard Prattという名の精神科専門病院を訪問することができました。ご存じでしょうか。ここはかつてHarry Stack Sullivanが働いていた施設です。広大な敷地に、ややクラシックな佇まいの病棟が新設されており、機能別に運営されています。棟内は広々としていて、どの部屋もあかるく、こざっぱりとした家具が備えられ、快適な空間が作られていました。

病棟チーフを務める精神科医に話を聞いたところでは、精神科医療は保険会社によって管理(managed)されているといっても過言ではなさそうです。患者さんが入院してくると、診断面接を行い、治療方針を決めるところまでは同じです。しかしここで病院の事務職員が患者さんの保険会社と連絡を取ります。彼らの診断や治療方針は、保険会社の医師により評価されるのです。この“病状報告とそれに対する評価”は、毎日のように繰り返されます。平均在院日数は約10日で、さらに入院が必要なときには、主治医が保険会社と交渉することで、数日なら延ばすことができる、といいます。なんとも情けない限りですが、managed careが導入されてからトレーニングを受けた、この若手のリーダーは、こうするのが当たり前の診療だと思っているようでした。どのような治療をどのくらいの期間受けられるのかは、患者さんの保険によって決められてしまうのです。

その後でclinical directorとも話すことができました。彼は、70年代に卒業し、精神分析のトレーニングを受け、80年に導入されたDSMを学び、その後にmanaged careの世界に“引きずり込まれた”、僕より幾つか年上の精神科医です。古き良き時代を知っているので、現在の医療制度には大いに批判的でした。しかし、“公共としての医療”に理解のない政府とその方針に乗った巨大保険会社の力を前にして、無力感を隠せないでいました。Managed careでは、医師の診療報酬は、もっぱら診断と薬物療法のマネージメントに対して支払われるようです。CBTやIPTなどの体系化された精神療法は、PSWや精神科専門看護師が行う治療として位置づけられています。またグループ療法が盛んですが、ここでも中心は医師ではなく、臨床心理士、PSW、ナース達です。
精神科医は、治療チーム全体の小隊長といったところでしょうか。

さらに驚いたことに、Sheppard Prattは外来部門をもたないのです。理由は至って簡単で、外来は採算が合わないのです。たとえば、持っている保険によっては、患者さんが精神科医に会えるのは、年に4回、それも一回につき10分の面接に限定される、と規制がかかっているものもあるらしい。「では患者はどこの医師にかかるのか」と聞くと、「保険会社が契約している市中のクリニックのリストから選ぶ。そして、症状が悪化して初めて、また10日間に限り、ここでの入院治療を受けられる」と言うのです。10分の診察で3ヶ月分の処方を出して、また10分の診察で次の3ヶ月の処方を決める。これでは、治したい、あるいは治せる患者さんがいても、とうてい治療になりません。一方で裕福な患者さんは、健康保険など持たずに、何から何までキャッシュで払っていく、といいます。「ニューヨークなら、そのような患者を相手にしてやっていける開業医はいるけど、彼らは例外でね。僕は開業医にはなりたくないよ」とも言っていました。幾つもの割り切れない気持ちを抱えてSheppard Prattを後にしまし
た。

同日の午後にホプキンスの病棟を訪れシニア・ドクターと会いました。ここでも平均在院日数は10日前後だといいますから、レジデント達はさぞかし忙しいことでしょう。しかも世界に冠たる研究大学に相応しく、精神科のスタッフは全員が研究職で、自ら研究費を獲得し、その中から自分の給料を取っているのです。交代で臨床に従事しますので、その時間分は大学病院から賃金が出るようです。しかし、給料の全額を大学からもらって(つまり一般的な意味での雇用)、臨床に(あるいは研究に)従事することはできないそうです(文系の教員は日本と同じように雇われている)。つまりここのスタッフは研究費が取れなくなるとホプキンスを去っていくことになります。言ってみれば、ホプキンスというブランドとその研究施設を自らの研究費で借りながら、さらに高みをめざして研究生活を送っているわけです。文字通りpublish or perishの世界で生きる、彼らのストレスは想像を絶するものがあります。

面白かったのは、「どの抗うつ薬を好むか」と聞いたときに「nortriptyline」と言ったことでした。SSRI/SNRIで反応しなかった患者が多く訪れるので、直ちに三環系抗うつ薬を使うようです。とにかく10日前後しか入院できないのですから、悠長に新規抗うつ薬を色々と試したり、増強療法をしたりしてはいられない、というわけです。彼はまた、「SSRI/SNRIは重いうつ病にはあまりよく効かない」とも言っていました。僕がメイヨにいた時も重症のうつ病にはnortriptylineがファーストチョイスでしたから、この30年間、現場で働いている医師の経験だけはあまり変わっていないようです。

だらだらと長くなりましたので、ボストン訪問記は次号に掲載します。

                                 2012/04/02

Enigma Vol.9 

フォリアとクラムチャウダー

歳回りなのでしょうか、昨年の秋あたりから、政府の科学技術・学術政策の立案の場において末席を与えられる機会が多くなりました。しかも日本精神神経学会の副理事長を仰せつかり、週に二回、三回と上京することも稀ではなくなりました。そのぶん教室への力がそがれることになりますが、皆さんかえって意気軒昂で、教授は不在で余計なことを言わない方が教室は発展するのではないか、とさえ思えます。

忙しくなることが分かっていながら、なぜ副理事長を引き受けたの?とよく聞かれます。実は、やりたかったのは英文機関誌Psychiatry and Clinical Neuroscience(PCN)のeditor-in-chiefでした。これをセットで提案されたので、断ることができなかったのです。この雑誌とのつきあいは長く、かれこれ17~18年近くになります。当時は、Jap J Psychiat Neurolという雑誌名でした。編集委員長が大熊輝男先生から本多裕先生に代わり、編集委員会は本多先生がご勤務されていた晴和病院(新宿区)の2階会議室で行われていました。国際雑誌へと脱皮することを目的として、さんざん議論して雑誌名をPCNに変え、フォリア刊行会からBlackwell社に出版を移しました。Medlineに載せるにはどうしたらよいのか、などと話していたことを覚えています。それが今やインパクトファクター2.133の雑誌に育ち、Can J Psychiatry (IF=2.417)、Aust NZ J Psychiatry (IF=2.929)に迫りつつあります。ですから編集委員長となってこれらを追い抜いたらさぞかし愉快だろうと思ったのです。

次に、前回お約束したボストンでの体験を少しだけ紹介します。今年の1月19日にジョンズ・ホプキンス大学を後にして、ボルティモアからボストンに移り、ハーバード大学に留学している平野羊嗣、織部直弥両先生を訪ねました。ご存じのように、ボストンは米国の頭脳と呼ばれる大学町で、学問にふさわしい雰囲気と歴史をもっています。

彼らとともに、ボストン美術館の、それ自体が光の芸術といえる爽やかなレストランで軽食をとり、彼らのラボを案内してもらいました。ラボは、これといって特徴のない病院の地下にあり、とりわけ印象に残るような設備があるわけではありません。ところが、ここから世界トップレベルの成果が生み出されるのです。世界中から俊才があつまり、頭脳を酷使して、アイディアを生み出しているのです。むろん高価な機器が必要な研究もありますが、ハーバードで改めて実感したことは、尽きるところ、大学の財産は人材に他ならないということです。

夕暮れを待って僕たちは、ハーバード・スクエアとMITの学舎(グレート・ドーム)がチャールス川を挟んで対峙する、瀟洒なイングランド風の街を通り抜け、ボストンの夜景が一望できる「ハーバード・クラブ」へと向かいました。ここはハーバード大教授のメンバー制クラブです。ビルの高層階にあり、バーカウンターから大きな窓越しの夜景へと広がるフロアーと小ぶりながら上品なレストランを備えています。彼らのボスRobert W. McCarley先生が僕たち3名をレストランに招待してくれたのです。平野君らの直属の指導者はハーバード大で研究をするようになり十何年にもなるといいますが、このクラブに招待されたのは初めてだといいますから、Bobがいかに平野・織部両氏の働き・能力を評価しているのかが伝わってきます。優秀な2人を送ってくれた僕が日本から来たので、一緒にごちそうしようということでしょう。おかげで、ボストン・クラムチャウダーにあずかれた、というわけです。

                               2012/08/08

Enigma Vol.10 

年頭の雑感、いくつか

今年の5月には、いよいよ第109回日本精神神経学会総会を迎えます。中村哲先生をはじめとする基調講演4題、アジア諸国の精神医学会理事長による招待講演6題、シンポジウム44題(うちメインシンポジウム11題)、教育講演17題、トピックフォーラム18題、ワークショップ25題をはじめ、九大精神科の諸先輩にご依頼したランチタイムセッション、先達に聞く、公開講座が用意されています(詳細は総会ホームページをご覧ください。逐次更新しています)。一般演題も360題以上が寄せられており、かなり充実した学術学会になりそうです。また懇親会では、九大フィルによる演奏と榊家の家庭映像をもって、榊先生の功績を顕彰したいと思います。

話は変わりますが、2006年のCell誌(126: 663-676)に掲載された論文を読みました。ここに報告された発見に対してノーベル医学・生理学賞が贈られました。ご存じでしょうか?当時すでに奈良先端研から京都大学に移っておられた山中伸弥先生によるiPS細胞の成功を載せた論文です。方法を読みこなすには若干の専門知識を必要としますが、序と結論は至って簡潔で、とにかく美しい論文です。繊維芽細胞に4つの遺伝子(いわゆる山中因子)を導入すると、細胞が”reprogram”(初期化)され、受精卵のように多能性を獲得し、どのような細胞にも分化しうるようになる、というものです。日本人による、しかも国産の研究だっただけに、日本のライフサイエンスレベルの高さが世界に知れ渡ったはずです。家電、車、パソコンで、隣国の後塵を拝し、GDPも下降、デフレにあえぎ、領土問題も福島の原発事故も解決できないでいる日本にとって、これほどに明るい話題は無かったように思います。
加えてこぼれ話を一つ。山中先生が受賞する前にiPS成功のニュースが世界中で報道されたことがありました。その頃、京大の基礎系教授と話していて、「京大はああいう変わったことをする人を一人ぐらいは抱えておくんや」と、京都人独特の持って回った言い方をされたことがあります。つまりは、僕らには才能を見いだし育てる力がある、ということを婉曲に自慢したのです。

さて、以前に英国の精神科教授をお迎えして講義を聴いたことがありました。やがて質疑応答の時間になりましたが、フロアーからは意見や質問がなく、形式に則り司会の僕が質問をしました。これは日本ではごく普通の光景です。しかしその先生は、「日本人はなぜ議論をしないのだろうか?君たちは科学技術に長けているのに、疑問をいったいどのようにして解決しているのか?」と僕に後で聞いてきたのです。そこで僕は、「権威者への反論はおろか質問さえ失礼である、とする精神性が今も残っている。僕らとて、あなたの講義に疑問や反論が無いわけではない。あとで、仲間内で色々と議論するのだ」と答えました。ここでの重要なメッセージは、古代から、思想の発展もサイエンスの進歩も、曖昧な社交や悪意の中傷を含まない、真剣な議論や批判が基礎にあることが多い、ということです。
そこで思い出したことがあります。かつてロンドンの精神医学研究所を訪問した際に、たまたまマイケル・ラター教授の学内セミナーに潜り込むことができました。質疑応答の時間になったとたん、かつて児童精神医学のトップにいた彼が若い研究者達から容赦のない批判を浴び、それに対して彼が一つ一つ真剣に反論する姿をみたのです。ちなみに彼の講義は60分でしたが、30分話すと、すぐに対話をしだしました。セミナーでの対話は、その分野の権威の頭脳を借りて、参加者の知識を拓く貴重な機会となっているのです。

2013/02/01

Enigma Vol.11

日本精神神経学会学術総会を終えて

第109回日本精神神経学会学術総会(5月23-25日)を無事終了することができました。これも同門の皆さまのご協力、ご支援のおかげであり、心より感謝しております。

参加登録者6312名、それに招待者を併せて総勢6427名にのぼり、過去最大の総会となりました。会場によっては、席がすべて埋まってしまい、壁際に立つだけではなく、床に座って聴く方もおられたようです。なかでも聴衆の数が最高を記録した、神田橋條治先生と黒木俊秀先生による“先達に聞く”では、参加者が1000名に達しました。聴きたい講演が聴けずに、参加費を返せと受付に押しかけた会員もおられたとか・・・。米国では、関心の高い演者の話は、会場が人で溢れると床に座ってでも聴くのは一般的な光景です。とは言え、とにかくお気の毒なことをさせてしまいました。

予算規模1億円の学術総会でしたので、閉会の辞を述べ、大きなこともなく無事すんだ、と思って安堵してしまったら、2週間ほど“荷下ろしうつ”の虚脱状態に陥りました。総会報告もこれにて失礼します。詳しくは次号に掲載予定の川嵜弘詔准先生による学会印象記をお読み下さい。

京都にて大汗をかく

再び元気を取り戻して、第10回国際生物学的精神医学会(6月23-27日京都)に参加しました。日本側のプログラム委員長でしたので、本来でしゃばるのは嫌う方ですが、内容を盛り上げるために、討論1つ、講演3つ、ポスター1つ、座長2つを買って出ました。結局、参加者は2000名余にとどまり、福岡総会の後だっただけに今ひとつ生彩に欠ける感がありました。しかも場所が京都でしたから、会場に残る方が少なかったのでしょうか。最終日の会場にはぽつりぽつりと人影がみえるだけでした。僕はといえば、何人もの懐かしい外国の友人に会えたので、それだけで満足しています。

オープニング・セレモニーには両陛下の行幸啓があり、参加した外国の方々も大いに喜んでいたようです。レセプションでは天皇陛下の通訳を仰せつかりました。今上天皇は、幼少時から、米国人のクエーカー教徒、エリザベス・ヴァイニング先生を家庭教師として、英語と平和主義とを学ばれたことで有名ですから、通訳など不要なはずです。しかし学会による両陛下の接遇を指揮する日本学術会議から、「専門用語で困られることのないように」と念を押されていたので、形ばかりの通訳を務めるつもりでいました。ちなみに皇后陛下の通訳は平安良雄教授でした。彼によると、皇后は英語に加えてフランス語も堪能なようです。

予想どおり、陛下は英語で外国の招待客と挨拶を交わされだし、僕も気を楽にして会話に聞き入っていました。やがて、手持ち無沙汰にしている通訳者のことを気にされたのか、急に日本語で話し出されたのです。あわてて通訳を始める次第となり、いきおい大汗をかきました。

アジアの近隣の方には、「両国のいっそうの友好を望みます」と話しかけておられたのがこころに残りました。

北三陸へ行って

九大精神科は、今年4月から、北三陸の精神科医療支援を続けています。これまでに小原知之先生、實松寛晋先生が、そして今回は中尾智博医局長とともに僕も行ってきました。

三陸は、盛岡などの都市部から遠く離れており、復興が思うように進んでいません。防波堤が壊れたままの海岸線が残り、高台の造成地もほとんどできていません。平地が狭いためなのでしょう、仮設住宅は強制収容所のように密集して作られており、二年が過ぎているというのに、そこで生活されている方が今もおられます。自宅は倒壊をまぬがれたものの独居でひっそりと生活されているご老人が大勢いらっしゃいます。

NHKのあまちゃんの舞台、久慈市とその近郊は4万弱の人口を抱えています。そこに200床の精神科病院が一つあり、院長以下3名で診療を続けています。総合病院の精神科は一カ所で、週に3日、非常勤の医師が来るだけです。日に30~50人を診察しているといいます。また、久慈に隣接する野田村には5000人が暮らしていますが、診療所が一カ所あるだけで、60歳前後の医師が一人で住民の健康を支えているらしい。医療は限りなくやせ細っています。リーダーの女性がぽつりと言いました。「戸別訪問やこころの健康相談を続けているのは、精神科医療への負担を少しでも減らしたいからです」と。

話は変わりますが、医局長がいない場で、こころのケアチームの女性達が九州の方言のことを知りたがったので、聞きかじりの知識を披露しました。医局長が薩摩の出身で、薩摩訛りは九州の中ですら通じないと冗談を言ったところ、一同がどっと笑いました。ある方が、「神庭先生には訛りがないが、医局長先生は、訛りを出さないように努力しているのがわかる」と言いクスッと笑ったのが印象的でした。そういう彼女たちも、僕達には訛りを出さないようにしていたのでしょうけども。

陸前高田のケアチームの女性達と昼食を食べにそば屋に入りました。ある女性が、「3重大盛りそば」と元気よく頼んだので、僕もついまねしたところ、文字通りこぼれ落ちんばかりに山盛りにされたそばが出てきたのです。岩手は「わんこそば」で有名なくらいですから、皆さん本当によく食べるんです。僕は半分も食べることができずに、残りを、“天ぷら汁そば”を頼んだ医局長のどんぶりに入れてしまいました。彼はそれをぺろっと食べていました。

最後に、もう一つ。
チームに、ひかえめで小柄な女性がおられた。ドライブインで休憩したときに、どこのご出身ですかと尋ねたところ、なんと遠野だと言うんです。小さい頃、実際に民話を聞かされて育ったそうです。怖い話のときは夜眠れなかったこともあったといいます。僕はわくわくしてしまい、遠野のことをもっと聞きたくなりました。しかし、車に乗り込むと彼女はふたたび無口になってしまい、僕も少々疲れていたので、外の景色を眺めることにしました。夕暮れた空の下には、針葉樹の山並みが延々と続いていました。

2013/7/31


Enigma Vol.13 

今年の4月には、同門会に就任10周年の祝賀会を開催して頂きました。身に余る光栄でした。この場を借りて、改めて御礼申し上げます。この10年間を一人でやってきたわけではありません。教室のメンバーの活躍、そして同門各位のご協力があってこそ、できたことなので、そのお祝いのための会だったのだと思っています。

話は変わりますが、日本精神神経学会とオーストラリア・ニュージランド精神医学会の間には、お互いに役員を招き合うという慣例があります。今年は僕が呼ばれて西オーストリアのパース(経路を間違って選んだため、福岡からおよそ24時間かかりましたが)で開かれた総会(5月12日~16日)に参加し、“現代日本のうつ病と自殺”というタイトルで講演しました。実はこの日のためにあらかじめ二つのジョークを用意しておいたのです。冒頭、「オーストラリアと日本には、共通点が二つあります。一つはどちらの国民も島に住んでいます。(一呼吸おいて)大きさこそ違いますが・・。もう一つの共通点は、どちらの国民も英語に訛りがあります」と言って笑いを取る予定でした。ところが、司会をしてくれた女性の副理事長が、僕の紹介に加えて、「昨年の福岡大会には私が招待されて初めて日本に行き、とても楽しかった」と挨拶されたので、「それは、不思議の国のアリスのような体験でしたね」と答えたところ、会場が大爆笑に包まれたのです。なにがそれほど面白かったのかはピンと来ませんが、準備したジョークがいかにもつまらないものに思われたので、言わないでおきました。
タイトルが興味深かったのか、会場はほぼ満席となり、皆さん熱心に聞いてくれ、下田先生の執着気質や樽味先生のディスチミア親和型の説明には、あちこちでうなずきなく様子が見られました。質問にも5~6人が手を挙げ、「日本は急激に社会文化が変化して、うつ病や自殺の増加につながったのではないか」などと活発な意見交換が行われました。

2014/5/28

Enigma Vol.14 

中尾弘之名誉教授の卒寿をお祝いして

中尾弘之先生がこのたび卒寿を迎えられましたことを、こころよりお祝い申し上げます。中尾先生は、九大精神科の第五代教授として、1970年から18年間にわたり教室を主宰されました。その間に数多くの傑出した精神科医や精神医学者が育ち、教室は文字通り日本の精神医学・医療を牽引してきました。

明晰な頭脳、優しいこころ、そして威厳を備えておられる中尾先生は、私にとってかくありたいという理想像に他なりません。かつて中尾先生が九大精神科の教授でいらしたということは、教室の珠玉の歴史だと思います。先生が到達された極みは、それに向かって誰もが努力をするべき目標であり、また道を失わないための羅針盤であり続けるからです。

9月6日に行われた卒寿のお祝いの会には、100名を越える方が参加され、中尾先生にご挨拶されまた。誰もがそれぞれの昔話で盛り上がり、中尾先生もお弟子さん達とお会いできてとても楽しそうで、懇親会の時間は和気藹々として過ぎていきました。

先生にご指導を受けてからの10年の間、先生から何を教えて頂けるか、どのように言って頂けるかが私の励みでした。どうかこれからもお元気でいらしてください。そして、私たち後輩が先生に一歩でも近づけるように、引き続きご指導ください。

リチウムの向精神作用に改めて驚く

さきごろ教室の研究がThe LancetPsychiatryに受理されました。三浦智史先生が中心となり、光安博志先生、本村啓介先生、島野聡美先生とともに二年がかりで膨大な量のデータを解析し、統計数理研究所(東京)の野間先生、京都大の古川教授、ベローナ大のCipriani 教授、オックスフォード大のGeddes教授、ミュンヘン工科大のLeucht教授など蒼々たる研究者とアイディアを交換し合いながら書き上げた秀逸な論文です。

最新のネットワークメタ解析の方法を用いることで、双極性障害の維持療法における、すべての治療薬間での有効性と安全性を比較しました。そして、数ある薬物のなかで、現時点ではリチウムが第一選択薬であることを明らかにしたのです。この論文では、高度な数理統計の手法が用いられており、しかも諸外国の専門家の意見を取り込むことで、世界中で双極性障害の臨床に生かしてもらえる結果と解釈が得られています。研究に携わるものにとって、このようなインパクトのある成果を発表できる時ほどにスリリングでエキサイティングな瞬間はありません。

ちなみにリチウムの向精神作用がJFJ Cadeの手によって1949年に発見されて60年余りになります。リチウム以後の精神薬理学の営みは、様々な治療薬を生みだし、双極性障害のよりきめ細かな治療を可能としてきました。しかし今回の解析の結果、リチウムの向精神作用の発見は、ずば抜けて偉大なことだったのだと改めて分かります。

かつて現代精神医学事典(弘文堂、2011)を編んだ際に、項目としてJFJ Cadeを取り上げ、自ら調べたことがあります。たまたま彼の息子さんのJF Cadeが内科医として王立メルボルン病院に勤務していることを知り、JFJのリチウム発見(当時37歳)以降の研究や正確な没年が知りたくてメールを差し上げたことがあります。息子さんから返信されてきたメールには、彼が綴った父の思い出が添付されていました。JFJ Cadeは、研究者というよりも人間愛に満ちた臨床医としてその後の人生を送っており、オーストラリアの自然と動物を愛し、親切で、ユーモア好きな紳士で、熱心なクリスチャンで、オイスターとゴルフと(家族の反対にもかかわらず頑固に)タバコを愛し続けたそうです。そして68歳の時に、がんのために他界していました。

日独・二国間交流事業シンポジウムでのエピソード

今年の6月にミュンヘン大学で日独シンポジウムを開催しました。日本学術振興会への研究申請、ドイツ側との連絡、抄録の作成などの準備、当日の会議運営など、加藤隆弘先生がほとんどをこなしてくれました。

ここでは、彼の印象記にないプライベートなエピソードをお話しします。シンポジウムは3日間にわたりましたが、二日目の夜、近くのビヤホールでドイツ側主催の懇親会が催されました。会が終わりに近づいたとき、民族衣装姿の給仕が透明の液体を配りだしたのです。目の前に座っていたのがウルム大のベッカー教授。統合失調症とボルナ・ウィルスの関係を初めて報告した方です。彼から、「これを最後にひっかけるのがドイツ流だ」と勧められて一杯飲んだところ(その液体はウオッカのように強いスピリッツでした)、しばらくして照れくさいという感情が吹っ飛んでしまい、「日独間で歌い合おう、国歌はどうですか」と言ってしまったのです。そうしたところ、加藤先生の友人のゴールド先生から、「ドイツでは国歌を歌うのは右翼的な行為なので・・・」と断られてしまいました。そこで提案を変え、宴席の返礼として日本からの参加者全員が立ち上がり、「上を向いて歩こう」を歌ったと言うわけです。

帰国後に調べたところ、ドイツ国歌の歌詞は、ドイツはすべての国に優る国であり、その領土と民族を守ることを誓うという内容でした(ですから現在では無難なの領土と民族を守ることを誓うという内容でした(ですから現在では無難な3番しか歌わないそうです)。さらに英国、フランス、米国の国歌を調べてみましたが、いずれも女王の賛美や革命・独立の好戦的決意を歌い上げています。その是非はここでは触れませんが、国歌とはそういうものなのか、と知った次第で、日独で国歌を歌い合ったら、途方も無く無神経な行為だったに違いないと恥じ入り、そして、かつての戦争を知らない世代のドイツ国民が、今も抱えている戦争への複雑な思いに触れたのだ、と気づいたのです。

2014/10/21

Enigma Vol.15 

送別会を終えて

平成26年度も瞬く間に過ぎ、九大精神科の医局は10名の医員たちを送り出した ところです。彼らの「大学研修を終えて」に目を通すと、病棟回診やカンファ、 輪読会、懇親会などでの彼らの姿がすでに懐かしく思い出され、毎年のことながら、少し寂しい気持ちにもなります。彼らは今後九大の研修関連施設で研修を続 けます。同門の先生方には、彼らのご指導を宜しくお願いします。

今年は、さらに二人の教員を見送ることになりました。お一人は、川嵜弘詔先生です。すでにご承知のように、4月から福岡大学精神科の教授として赴任されました。川嵜先生は、15年の長きにわたり教室で勤務され、しかも過去5年間は、黒木俊秀先生の後任として、教室の准教授を務めてくれました。転出に際して、仕事の申し送りを受けましたが、学内外で彼が受け持っていた仕事の多さには驚きました。断ることの苦手な川嵜先生は、長い九大生活の中で、さまざまな仕事を抱え込んでいたのだ、と知った次第です。今野浩のユーモア小説「すべて僕に任せてください―東工大モーレツ天才助教授の悲劇」に出てくる助教授そのままの生活をさせていたのかと知り、今さらながら痛烈に反省しています。ご本人は、これからは「助教授の軛」から解放されて晴れ晴れするぞ、とお思いかも知れませんが、彼のことですから、もっと重い「教授の軛」を自らの手ではめてしまわないかと心配です。

もうひと方は、實松寛晋先生です。先生は医局に5年ほど在籍してくださり、医員の指導医を務めてくれました。先生は、豊かな経験をもつ優れた臨床医で、円満で安定したお人柄でしたから、安心して病棟をお任せできました。一人一人の患者とじっくり向き合いたいとの希望をかねてお持ちで、このたび三善病院に副院長として転出されました。移られてからも、週に一日、九大病院の外来診療に従事してくさっています。

英国の経験主義と精神医学

下記の吉田敬子教授の紹介にあるように、過去5年にわたったモーズレー病院セミナーが最終回を迎えました。Taylor E教授、故Sacks B教授、Nikapota A先生らと出会えたことは貴重な体験でした。ちなみに、ぼくは英国の精神医学、それはドイツの精神病理学を基礎とし、経験主義により練り上げられた医学、が好きで、医員の先生方との輪読会では、両者の系譜に触れることのできる、シュナイダーKの臨床精神病理学とフィッシュFの臨床精神病理学とを一年交替で読んでいます。

Enigma 013(2014)でも紹介したように、故Sacks教授は、伝統的な英国精神医学を身につけておられたので(振る舞いも伝統的な紳士のそれでしたが)、以来ロンドンに二度ほど訪問させて頂き、謦咳に接してご指導を受ける機会を得たことはこの上ない喜びでした。Sacks教授の話はアイロニーとウィズダムに満ちていて引き込まれてしまいます。一方、一世代ほど若いTaylor教授は対照的にストレートな意見を早口で話されるので、集中して聴いていないとすぐ話についていけなくなります。彼は、伝統的な英国精神医学とともに、経験主義の一つの実践としてのEBMを違和感なく身につけておられる臨床医でした。

再び、東北の被災地へ向かう

九大精神科は今も東北を支援し続けています。今回は3月16日に陸前高田市へ中尾智博医局長と共に行ってきました。かつて書いたように(Enigma 007, 2012)、被災地のもつ諸条件を考えると、短期的な復興は不可能だろうと思っていましたが、その予想は当たっていました。壊滅した沿岸の市街地は2~3の震災遺構を残して広大な平地へと姿を変え、当時圧倒された瓦礫の山はどこにも見当たりません。その代わりに、近くの山から削り取った土が巨大なベルトコンベアで運び込まれ、あちらこちらに見上げるほどの盛り土が作られています。この荒涼とした光景を見たとき、いつになったらこの盛り土の上に街ができるのか、はたしてどれだけの人が戻ってくるのだろうか、と考え込んでしまいました。

本号には本村啓介先生が報告記を寄せてくれました。彼の言う、普遍的価値と現世的利害との相克については、ロールズJが正義論で展開した「無知のヴェール」、「マキシミンルール」の考察が参考になるかもしれません。自分が仮に、一番恵まれない状況にあるときどのように考えるだろうか、という前提に立ち、共同体にとっての善、普遍的な公共性とは何かを考える思考法です。

話は変わりますが、憲法記念日を前にして、共同体の善から連想するのが憲法です。憲法は個人と国家との関係を規定しているものであり、憲法は主権者である国民が政府の国家運営を縛るための手段です。しかし、2014年7月、その解釈が政府によって変えられる(解釈改憲)という議会制の危機を目の当たりにしました。より深刻なのは、わたしたちがこの事態をよく知ろうともせずに、その未来へ意味をよくわからないままに看過したことだと思います。ですから、ぼくは、今、日本国憲法に強い関心をもっています。

本村啓介先生に倣って、盛岡の詩人石川啄木の歌集「一握の砂」より

頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず

統合失調症の謎がまた一つ明らかに

教室では、国際共同研究も盛んになり、毎年20報以上の学術論文を一流の国際誌に発表しております。どの論文も、謎に満ちた精神医学のフロントラインをさらに前進させる、胸躍るような発見で満ちています。

年頭にお送りした同門会メールでも紹介しましたが、平野羊嗣、織部直哉、鬼塚俊明先生らが、ハーバード大学精神科のKevin Spencer教授と進めてきた研究がJAMAの姉妹誌JAMA Psychiatryに掲載され、九大広報部からプレスリリースされました。詳しくは、本号の平野羊嗣先生の紹介文をお読みください。文科省の最先端研究開発強化費ならびに九大精神科同門からの奨学寄付により、過去4年近くにわたり、ハーバード大学精神科との共同研究、人事交流を深めて参りまし た。現在は、平野昭吾先生が留学しています。このたびの論文は、これまでの交流の成果の一つです。この場を借りて、同門会のご支援に心より感謝申し上げます。

2015/04/17

Enigma Vol.16 -NEW-

2人の教員と10人の医員たちを迎えて

今年度から、教員スタッフとして、若手の平野羊嗣先生と村山桂太郎先生を迎えることができました。大学での生活にまだ慣れていないにもかかわらず、お二人とも学生、研修医、医員の教育にとても熱心に取り組んでくれています。他の先生がたとは、すでに10年余りご一緒していますので、論文の抄読会や症例カンファでは、どこで誰がどのようなコメントを言いそうか、おおかた分かるような仲になっています。そこへ彼らが加わり、新しい視点から議論に加わってくれるので、これらの時間がさらに充実して面白くなっています。今後は、研究でも独創的でインパクトのある成果を出してくれるに違いありません。

また、今年も10名の医員の先生方が病棟で研修をしてくれています。彼らはそれぞれに個性的ながら、みなとても熱心に患者さんに向き合っており、また勉強家ぞろいです。同門の先生におかれましては、下記の自己紹介をお読みくださり、今後のご指導を宜しくお願いします。

連日のノーベル賞

毎年10月に入ると、5日の医学・生理学賞に始まり、各種ノーベル賞が次々と発表されます。科学の最前線でどのような大発見が行われているのか、どのような人がどのようにしてそれを成し遂げたのか。大発見の物語にはいつもわくわくします。メダルが日本人に与えられるとことさら嬉しくなることは言うまでもありません。

昨年に続き日本人にノーベル賞が与えられ、しかも今年は医学・生理学賞が大村智先生に、翌日には物理学賞が梶田隆章先生にと二日続けての受賞ですから、ノーベル賞への関心の薄い人でも、さすがにこのニュースには驚いたのではないでしょうか。日本人は優秀な民族であるという受けとめかたもあるでしょう。しかしこれは危ない優生学的な見方につながります。それよりも、日本人が、ノーベル賞が生まれるような精神的土壌、すなわち科学・技術はもとより、文学さらには芸術にわたり高度に成熟した文化を、築いてきたことを誇るのが良いのだろうと思います。

日本を離れると、言葉と人種の壁にぶつかることが少なくありません。論文やデータ(企業なら製品)で試合ができるときは良いのですが、大半は徒手空拳で会議に望み、議論の流れに乗りながら、いかに主導力や影響力を発揮するか、という場で満ちています。そのようなとき、英語が流暢でなく、しかもスラングやジョークの一つも言えないと、悲しいかな、見かけのIQは20ポイントほども下がってしまい、無口で凡庸な傍観者と見なされがちです。しかし、近年のように、日本人が次々とノーベル賞を受賞するならば、きっと私たちへの見方も変わろうというものです。他力本願だな、と言われそうですが・・・・

大村智先生が発見した抗寄生虫薬イベルメクチンは、熱帯地方の風土病の特効薬で、毎年何億人の人を救っていると言われています。この研究は北里研究所時代の仕事だといいますから、創設者の北里柴三郎もさぞかし喜んでいることでしょう。本来であれば、ジフテリアの血清療法を確立した彼にもノーベル賞が与えられてしかるべきでした。残念なことに、共同受賞という考え方のなかった当時、受賞候補にはなったものの栄誉はベーリング一人に与えられました。

Wikipediaによれば、帰国後、東大の緒方教授の脚気細菌説に異を唱え研究の場を失った彼に、福澤諭吉は伝染病研究所(以下、伝研)(1892)を作り与えます。伝研には全国から優れた研究者があつまり、世界でも屈指の研究所になります。ところが、文部省の強引な方針により伝研が東大医学部に併合されることとなり(後の東大医科学研究所)、これに憤慨した北里は伝研を辞め、私費を投じて北里研究所(1914)を作ったというわけです。北里が作ったものがもう一つあります。それは慶應義塾の医学部です。福澤の没後(1917)、福澤による長年の多大なる恩義に報いるため、志賀潔, 秦佐八郎ら大勢を引き連れて慶應に移ります。そして北里は初代医学部長、付属病院長となり、終生無償で働いたと言います。

風土病で思い出すのが、九州帝国大学医学部衛生学第一講座担任だった宮入慶之助教授です。慶應元年生まれなので慶之助なのでしょうね。これもWikipediaによれば、宮入先生が日本住血吸虫の中間宿主である巻き貝を発見したのは1913年で、この発見が契機となり感染経路の特定と予防対策が進んだと言います。かつて山梨に暮らしていた頃に聞いた話ですが、日本住血吸虫症が原因不明の死病だったころ、「甲府盆地の農家に嫁ぐ女は棺桶を担いで行け」と言われるくらいに恐れられていたそうです。

その後、宮入先生は英国の学者によりノーベル賞候補に推薦されたのですが、残念ながら実現しなかったようです。しかし、この成果も、北里のものと同様に、ノーベル賞に値する業績ではないでしょうか。普段なにも意識せずに馬出キャンパスの宮入通りを歩いていますが、このことを思い出したとき100年前の宮入先生に向かい頭を垂れました。

5th WCAPの印象記

第5回アジア精神医学会(World Congress of Asian Psychiatry;WCAP)を、今年の5月3日から6日にわたり、九大医学部百年講堂で開催させて頂きました。WCAPはアジア精神医学会連合(AFPA)が2年に1回開催する総会で、第1回のインドのゴアに始まり、台湾、メルボルン、バンコックで開催され、福岡へやって来ました。

AFPAとは、アジア・オセアニア地域の精神医学会の連合組織で、日本精神神経学会はじめ24カ国の精神医学会から構成される緩やかな連合です。かつてWHOに勤務していた新福尚隆先生とサルトリウスN先生と、その指導に与ったアジアのリーダー達が発足させたのがAFPAです。初代理事長が新福先生、第二代理事長がタイのウドムラタンP教授、そして彼の後継者として今総会でぼくが指名されました。
参加者は400名と小規模ではありましたが、AFPA加盟国からは全学会の理事長(あるいは代理)が参加し、加えて、南アフリカ、ロシア、アルメニア、米国、欧州精神医学会からも著名な精神科医の参加をえて、国際色豊かな学会となりました。

オーストラリア・ニュージーランドは英連邦Commonwealthの一員で、かつて彼らは“英国のテレビ番組でポロの試合を見ては祖国に思いを寄せる”白豪主義の国民と言われてきました。しかし近年では、急速に移民を受け入れ、多文化主義国家となり、経済はもとより文化でもアジア重視の姿勢に変わってきたようで、AFPAでも活発に活動してくれます。

アジア諸国の方々との付き合いが一気に増えて、独特な名前(例えばZiad, Naraka, Querubi, Ambihaipaharときりがありません)と訛りの強烈な英語には苦労しています(きっと、相手も同じことを思っている?)。加えて、アジアは人種も文化も宗教も政治体制も多様です。日本との関係も、かつて帝国主義だった過去が未だに尾を引いており、親日感もそれぞれに異なるので、繊細な社交が必要になります。面白い話がたくさんあるのですが、これを話し出すときりがありませんし、問題発言になりそうなので、今回はここで筆を擱くことにします。