九州大学病院 精神科 神経科 ドグラマグラと九大精神科

九州大学大学院医学研究院 精神病態医学
九州大学病院 精神科神経科

Department of Neuropsychiatry 
Graduate School of Medical Sciences 
Kyushu University

教室の概要

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更新日 2016-04-14 | 作成日 2008-03-25

ドグラマグラと九大精神科

 “エエ…これが天下に有名な九州帝国大学医学部、精神病科教授、医学博士、正木敬之氏でございます。背景は、九州帝国大学医学部、精神病科本館、講堂のボールドで、白い診察服を着ておりますのは、平生の講義姿をそのままにあらわしたものでございます。お眼に止まりましたとおり、身長は五尺一寸カッキリしかない、色の浅黒い小男でございますが、丸い胡麻塩頭を光るほど短く刈り込んだところから、高い鼻の左右にピカピカ光るおおきな鼻眼鏡と、その下に深く落ち凹んだ鋭い眼つき、横一文字にピッタリと結んだ大きな口元、または鼻眼鏡をかけた骸骨ソックリの表情で、テーブルの前に立ちはだかって、諸君をひとまわり見まわしてから、総入れ歯をクワッと剥き出して笑うところまで、満身これ精力、全身これ胆、渾身これ智…” 夢野久作:ドグラマグラ(1935)


初代榊教授時代、地元紙記者であった杉山泰道は、諸岡存(あきら)助教授と親しく、精神医学や心理学の話題を頻繁に取材していた。
この時の取材をもとに10年の歳月をかけて杉山が書き上げ、夢野久作のペンネームで発表した小説が、畢生の大作「ドグラマグラ」である。
「ドグラマグラ」の舞台は1926年10月の九州大学精神病科である。
現実には前年8月に榊が特診事件で辞職し、下田の教授着任は12月であることと、この設定は偶然とは思えない。
その頃、1925年8月には附属医院が、同年9月には衛生学、法医学教室などが火災に見舞われるという謎の連続失火事件もあり、九大医学部にはなにかとゴシップが続いた。
小説の主人公、正木敬之教授の名前は榊を連想させるし、正木教授のライバル、若林鏡太郎医学部長とは実在の医学部長兼法医学教室教授、高山正雄がモデルといわれている( 高山教授が下田教授着任までの間、精神科教授を兼任したのは事実である)。
作中の第7号室( 実際の男子の保護病棟には第6号室までしか存在しない)や解放治療場(榊教授が設計した病棟の一部には開放病棟も含まれており、これもまた当時は異例であった)の描写などは、当時の九大精神科病棟を実際に取材していなければ、決して創作できなかったであろう。
発表当時はさほど話題にならなかったというが、今日の「ドグラマグラ」に対する高い評価を顧みれば、いにしえの九大精神科が作家の想像力をあれほどまでに刺激したことを、私たちはむしろ誇りに思っても良いのかも知れない。

(黒木俊秀:エニグマとドグラマグラ—諸岡存助教授の関わり—.九州大学精神科−百年の航跡 2006 より引用)