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法令・綱領・指針

ベルモントレポート

C. 適用

一般的原則を研究実施に適用すると、次の要件を考慮することになる。すなわち、インフォームド・コンセント、リスク対利益の評価、および研究対象者の選択である。

1. インフォームド・コンセント

人格の尊重は、対象者が、彼らの能力の許すかぎり、自分に起きようとしていること、起きまいとしていることについて、選択する機会を与えられることを求めている。この機会は、インフォームド・コンセントの適切な基準が満たされる時に、与えられる。インフォームド・コンセントの重要性には疑問の余地がないが、インフォームド・コンセントの本質や可能性についての議論は絶えることがない。それにもかかわらず、同意のプロセスを分析すると、3つの要素、すなわち、情報、理解、自発性から構成されるということが、広く合意されている。

情報:

研究に関する綱領の多くは、対象者が十分な情報を与えられることを保証するため、情報開示すべき特定の項目を定めている。これらの項目には、通常、研究の方法、目的、リスクと期待される利益、代替的な方法(治療を伴う場合)、質問の機会や研究参加を撤回する機会がいつでも対象者に与えられるという記述、などが含まれる。さらに、対象者の選択方法、研究責任者、その他についても、開示することになりつつある。しかしながら、単に項目を挙げるだけでは、どのくらいの量の、どのような種類の情報が提供されるべきかを判断する基準は何か、という問題に答えていない。医療において頻繁に用いられる一つの基準、すなわち、医療現場の臨床家が通常提供するような情報というのは、この場合適切ではない。というのは、研究とは、そもそも一般的な知識が存在しない場合に行われるものだからである。医療過誤に関する法律において最近普及してきたもう一つの基準は、理性ある人ならば自分の治療について意思決定する際に知りたがるだろうと思われる情報を開示するよう、臨床家に求めている。しかし、これもやはり十分ではない。なぜなら、研究対象者は、本質的に自発的志願者なので、必要な治療のため臨床家の手に身をゆだねる患者と比べると、無償で引き受けるリスクについて、もっとよく知りたいと望むかも知れないからである。そこで、「理性ある志願者」の基準が提案されるべきであろう。すなわち、提供されるべき情報の量と性質は、それが、自分の治療にとって必要ではなく、おそらく十分にわかっていない方法だということを知りながら、知識の発展のために参加を望むかどうか、人々が決定できるようなものとすべきである。たとえ、対象者にとって何らかの直接的利益が期待される場合でも、リスクが及ぶ範囲と自発的な参加の本質について、対象者は明確に理解すべきである。

研究に関連する何らかの側面を対象者に知らせると研究の妥当性を損ねるような場合には、同意に関して特別の問題が生じる。多くの場合、終了するまで明らかにできない点がある研究への参加を願っていることを対象者に示せば十分である。情報開示できない部分のある研究は、すべて、次の点が明確である場合にのみ正当化される。すなわち、(1)研究の目標を達成するために、開示を不完全にすることが本当に必要であること、(2)対象者に開示されていないリスクに、最小のリスクを越えるものはないこと、(3)妥当な場合は対象者に事後説明するための、また、研究結果を彼らに広報するための適切な計画があること、である。対象者の協力を引き出す目的でリスクに関する情報を差し控えることは決してするべきではなく、研究に関する直接的な質問に対しては、つねに正直な回答を与えるべきである。情報開示が研究を無効にしたり妥当性を損ねたりする場合と、情報開示が研究者にとって単に不都合であるにすぎない場合とは、注意深く区別されるべきである。

理解:

情報が伝達される方法と文脈は、情報そのものと同じくらい重要である。例えば、無秩序で性急なやり方で情報を提供したり、深く考える時間を与えなかったり、質問の機会を切り詰めたりすることは、いずれも、十分な情報に基づく選択を行う対象者の能力に悪影響を与えるかも知れない。

対象者の理解力は、知性、理性、成熟度、および言語能力の関係で決まるので、対象者の能力に合わせた情報の提示が必要である。研究実施者には、対象者が情報を理解したことを確認する責任がある。対象者へのリスクについての情報が完全で、適切に理解されたことを確認する義務はいかなる場合にもあるが、リスクの深刻さが増すほどその義務は重くなる。場合によっては、理解度について、口頭または文書でテストを行うとよいかも知れない。

例えば、未成熟や精神障害などのために、理解力が著しく限られる場合、特別な用意が必要かも知れない。理解力がないと見なされうる階層(例えば、乳児や幼児、精神障害のある患者、病気の末期状態、昏睡状態)の対象者には、それぞれの条件に合わせた配慮がなされるべきである。このような人たちにも、人格を尊重するには、彼らの能力が許す限り、研究に参加するか否かを選択する機会を提供しなければならない。このような対象者の参加拒否は、他では得られない治療法の提供を研究が伴わない限り、尊重されるべきである。また、人格の尊重は、対象者を危害から守るため、他の関係者の許可を得ることを求める。このような人々は、したがって、彼ら自身の意思を認めること、および、危害から彼らを守るため第三者を利用することの両方によって尊重される。

第三者としては、理解力を欠いた対象者の立場を最もよく理解し、その人にとって最善となるように一番に行動しそうな人が選ばれるべきである。対象者を代行する権限を与えられた人には、それが対象者にとって最善と思われる場合には研究参加を取り止めることができるように、研究の進行状況を見守る機会が与えられるべきである。

自発性:

研究に参加することへの承諾は、自発的になされた場合にのみ、正当な同意となる。インフォームド・コンセントのこの要素を満たすには、強制や不当な影響に束縛されない自由な状況が求められる。強制とは、ある者が他のある者を従わせるために、危害を加えるという明白な脅しを意図的に行う時に生ずるものである。不当な影響とは、これとは対照的に、他者を従わせるために、過剰、不当、不適切、あるいは不相応な報酬その他を申し出ることにより生ずるものである。また、通常なら受け入れられそうな誘引も、対象者が特に弱い立場にある場合は、不当な影響となるかも知れない。

正当化できない圧力は、通常、権威的な地位にある人や支配的な影響力を有する人が、特に、制裁がありうるような場面で、対象者の行動を指図する場合に生じる。しかしながら、このような影響因子は連続的に存在し、どこまでが正当化しうる説得で、どこからが不当な影響となるのか、正確に述べることはできない。しかし、不当な影響には、近親者の支配的な影響力を通じて人の選択を操作するような行為や、通常なら受ける権利のある保健医療サービスを取り消すと脅す行為などが含まれる。

2. リスクと利益の評価

リスクと利益を評価するには、場合によっては、研究で得ようとしている利益が他の方法で得られないかどうかも含めて、関連するデータを念入りに集めることが必要である。したがって、この評価は、提案される研究について系統的かつ包括的に情報を収集する機会および責任の両方を与える。研究実施者にとって、それは、提案された研究が適切にデザインされているかどうかを調べる手段になる。審査委員会にとっては、対象者にもたらされるリスクは正当化されるかどうかを判断する方法となる。対象候補者にとっては、この評価は、参加するかどうかを決めるための手助けとなるであろう。

リスクと利益の性質と範囲:

リスク対利益評価で得られた好ましい結果に基づいて研究は正当化されるべきである、という要件は、恩恵の原則と深く関係している。それは、インフォームド・コンセントが取得されるべきであるとする道徳上の要件が、主として人格の尊重の原則に由来するのとちょうど同じである。「リスク」という用語は、危害が生じる可能性を意味している。しかしながら、「小さなリスク」や「高いリスク」などという表現が使われる場合、それらは、通常、危害に遭う機会(確率)と予想される危害の重篤度(規模)の両方を(多くの場合、不明瞭に)意味している。

「利益」という用語は、研究についての文脈では、健康や福祉に関連した肯定的価値を有する何ものかを意味する。「リスク」とは違い、「利益」は確率を表す用語ではない。リスクは、利益を得る確率と対比するのが適切であり、利益は、危害のリスクより危害と対比するのが適切である。したがって、いわゆるリスク対利益評価とは、起こりうる危害の確率および規模と、期待される利益とに関する評価である。数多くの種類の、起こりうる危害と利益が考慮される必要がある。例えば、心理的な危害、身体的な危害、法的な危害、社会的な危害、経済的な危害などのリスクと、それぞれに対応する利益がある。対象者に最も起こりやすい危害は、心理的もしくは身体的な痛みや傷の危害であるが、それ以外で起こりうる危害も見落とすべきではない。

研究のリスクと利益は、個々の対象者、個々の対象者の家族、および一般社会(あるいは社会の中で対象者が属する特定の集団)に影響を及ぼすかも知れない。これまでの綱領や連邦規則は、対象者にとって期待できる利益があればその利益と、研究から得られる知識という形で社会にとって期待される利益の合計が、対象者へのリスクに勝ることを求めてきた。これらの異なる要素の比較検討において、目の前の対象者に影響するリスクと利益は、通常、特別な重要性を帯びるであろう。一方、対象者の権利が守られている限りでは、研究に含まれるリスクを正当化するのに、対象者の利益以外の利益だけで十分となることが、場合によってはあるかも知れない。恩恵は、このように、対象者への危害のリスクに対して我々が保護することを求めているが、研究から得られるかも知れない重要な利益の損失について我々は考慮すべきであるということも求めている。

リスクと利益の系統的評価:

利益とリスクは「秤にかけ」られ、「有利な比率」であることが示されなければならない、と一般的に言われる。これらの言葉の隠喩的な言い回しは、正確な判定を行うことの難しさを示すものである。研究プロトコールの吟味に定量的な手法を用いることができるのは、ごくまれな場合であろう。しかしながら、系統的に、根拠に基づいてリスクと利益を分析するという理念が、可能な限り模範とされるべきである。この理想に従えば、研究の正当化可能性を判断しようとする人々は、研究のあらゆる側面についての情報を完全に集めて評価し、また、代替的な方法について系統的に考察しなければならない。この手順により、研究の評価はさらに厳格、正確になる一方、審査委員会メンバーと研究実施者とのコミュニケーションにおいて、解釈の誤り、情報の誤り、判断の相違が少なくなる。したがって、まず、研究の前提条件の妥当性について決定がなされ、次に、リスクの性質と確率と大きさが、できる限り明確に見極められるべきである。リスクを確認する方法は系統立てられているべきで、特に、小さなリスクやわずかなリスクといった曖昧なカテゴリーを用いる以外に方法のない場合はなおさらである。また、危害や利益の確率についての研究実施者の見積もりが妥当かどうかも、すでに知られた事実や参照できる他の研究から判断して、決定されるべきである。

最後に、研究の正当化可能性の検討には、少なくとも次の考えを反映するべきである。(i)残酷に、あるいは非人間的に対象者を扱うことは、決して道徳的に正当化できない。(ii)リスクは、その研究の目標を達成するのに避けられない範囲にまで減少させるべきである。人を対象として用いる必要がいったい本当にあるのかどうかが決定されるべきである。リスクを完全に排除することはおそらく無理だろうが、代替となる方法を注意深く検討することにより、多くの場合減らすことができる。(iii)研究が、深刻な障害をもたらしうる重大なリスクを含んでいるならば、審査委員会は、そのリスクが正当化できるか否かに極力固執すべきである(その対象者にとっての利益の可能性に注目することが多いが、まれには、明らかに自発的な参加かどうかに注目する場合もある)。(iv)弱者集団が研究対象に含まれる場合は、その人々を参加させることの適切性が、それ自体、論証されるべきである。このような判断には、リスクの性質と程度、対象となる特定集団の状態、期待される利益の性質と水準など、数多くの変数が関わる。(v)研究に関連するリスクと利益は、インフォームド・コンセントの過程で用いられる文書と手続きの中で、余すところなく列挙されなければならない。

3. 対象者の選択

ちょうど、人格の尊重の原則が同意の要件として表現され、恩恵の原則がリスク対利益評価の要件として表現されるのと同じく、正義の原則は、研究対象者の選択において方法と結果が公正であること、という道徳的要件を導き出す。

正義は、研究対象者の選択と2つの段階で関連する。すなわち、社会的段階と個人的段階である。対象者の選択における個人的正義は、研究者が公正な態度を示すことを求めるであろう。つまり、研究者は、利益の得られそうな研究を好みの患者だけに申し出たり、リスクの高い研究には「気に入らない」患者だけを選んだりしてはならない。社会的正義が求めるのは、ある対象者集団に属する人々が負荷に耐える能力、および、すでに負荷を担っている人々にさらに負荷を加えることの適切性に基づき、個々の研究全てについて、参加すべき対象者集団と参加すべきでない対象者集団を区別することである。したがって、対象者集団の選択には優先順位があること(例えば、子どもより成人が先)や、ある潜在的対象者集団(例えば、施設に収容されている精神障害者や囚人)は、ある特殊な条件下においてのみ、研究対象としてもよいことなどは、社会的正義の問題と考えられる。

たとえ、個々の対象者が研究実施者により公正に選択され、研究の過程で公正に扱われているとしても、対象者の選択における不正義は起きるかもしれない。つまり、社会で制度化している、社会的、人種的、性的、さらに文化的な偏見から不正義が生じるのである。したがって、たとえ個々の研究者が研究対象者を公正に扱っているとしても、また、たとえIRBが、対象者の公正な選択を確実にするため、ある特定の施設内では注意を払っているとしても、やはり、研究の負担と利益の分配の全体像には、不公正な社会的様式の姿が現れるかも知れない。個々の施設や研究実施者は、彼らの社会的環境に浸透している問題を解決することはできないかも知れないが、研究対象者の選択において分配的正義を考慮することはできる。

ある集団、特に施設に収容された人々の集団は、彼らの弱点と状況により、様々な形ですでに負荷を担っている。リスクは含むが治療的要素のない研究が提案される場合、その対象集団に特異的な状態と直接関連する研究の場合を除いて、研究のリスクの受け入れは、より負荷の少ない他の集団に属する人々に、まず求められるべきである。また、公的な研究資金は、保健医療のための公的資金の流れと同じ方向に流れることが多いかも知れないが、公的な保健医療に依存する人々が優先的に研究対象者のプールを構成するのは、より優位な立場の人々の方が研究の利益を享受しやすいとすれば、不公正と考えられる。

不正義の特殊な一例は、弱者を対象者とすることに起因する。人種的少数派、経済的に恵まれない人々、重病人、施設収容者のような特定の集団は、研究が実施される環境で利用しやすいことから、研究対象者となることを求められがちである。しかし、彼らの依存的な立場や、彼らの自由な同意能力はしばしば損なわれていることを考慮すると、単に管理上都合がいいという理由で、または、病気や社会経済状況のために操作しやすいという理由で、研究の対象にされる危険性から、彼らは保護されるべきである。