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授のうわごと

男と女の話
岡崎国立共同研究機構 基礎生物学研究所
諸橋憲一郎

「男と女の話」などと申しますと,いかにも三流ゴシップ誌のキャッチコピーまがいのタイトルになってしまいますが,どうか気楽にお読みいただければ幸いです。御存知のように,多くの生物は有性生殖を通じて遺伝情報を次世代へと受け渡しております。そして,この有性生殖を可能にするためには男と女が必要であることは言うまでもありません。また,生殖細胞の成熟過程における相同染色体の組み換えは,進化の側面からも重要なことでありました。従いまして,男(雄)と女(雌)は単にゴシップネタの供給源として存在しているのではなく,あくまでも種の存続や進化にとって不可欠なものであったわけです。 それでは動物個体の性は如何にして決まるのでしょうか?この性決定の過程は,三段階からなると考えられます。まず,遺伝的性決定が受精時に起こります。精子と卵子の持つ性染色体の組み合わせで遺伝的な性は決定されるわけです。次いで,胎児期に組織の形成が進みますが,生殖腺の分化も始まります。生殖腺原基自体は遺伝的性とは無関係に精巣へも卵巣へも分化できる潜在的な能力を有していますが,通常は遺伝的性に従って性分化してゆくことになります。これが性分化の第二段階です。生殖腺は雌雄に分化した後に各種ホルモンを産生します。代表的なものが性ステロイドであるアンドロジェンやエストロジェンで,これらのホルモンは血流を通じ様々な組織に運ばれることになります。細胞にはこれらホルモンに対する受容体が存在し,ホルモン依存的に標的遺伝子の転写を活性化することでその作用が発揮されるわけです。この内分泌調節系による性分化が最終のステップです。このように,個体としての性分化を三段階に分けて考えることで,問題点を明確に把握することが可能となりますが,そのような問題点のなかで最も興味をひかれるのものの一つに「遺伝的性決定の結果が如何にして生殖腺の性決定につながるのか」という問題があります。

男(雄)と女(雌)・・・性染色体
男(雄)と女(雌)の基本的な遺伝的差異は性染色体にあると思われています。哺乳類の場合はXとY染色体の組み合わせで性が決まりますし,鳥類はZとW染色体の組み合わせです。両者における根本的な違いは哺乳類では2本のX染色体を持つものが雌,鳥では2本のZ染色体を持つのが雄であることです。すなわち,異型の染色体を持つものが,哺乳類では雄ですが,鳥類では雌になるわけです。このことは,実は性染色体の進化や性決定様式の進化を考える上で極めて興味深いことですが,ここでは紙面の都合がありますのでスキップしたいと思います。さて,最近ゲノムプロジェクトによってヒト全ゲノムの配列が明らかになってきました。現段階でその全てを正確に知り得たとは言い難いと思いますが,それでもY染色体にはおよそ70個の遺伝子しかのっておらず,しかもその半数は相同遺伝子がX染色体にものっているものであったことは,少なからず驚きでありました。ただし,性分化の分子メカニズムを研究する者にとって,それはsophisticateされたものであり,容易には解き明かされない謎めいたものであって欲しいばかりに,たった十数個の遺伝子なのか,と驚いただけだったのです。また逆に,これが数百を超える数であったら,予想を凌ぐであろう複雑さの前に呆然としていたはずであり,結局のところ身勝手な感想だったことになります。

男(雄)と女(雌)・・・決定に関わる遺伝子
さて,冷静に考えれば,我々は既に雌生殖腺の性転換がこの十数個の遺伝子の中のたった1個の遺伝子(SRY遺伝子)によって誘導されることも知っていたので,驚く方がおかしかったのかもしれません。SRY遺伝子に付いてはよく御存知のことと思いますが,1990年に性転換の原因遺伝子としてヒトのY染色体上に見い出されたものでした。更に,マウスを用いた実験でも,雌マウスに精巣を分化させたことで,この遺伝子の精巣決定因子としての地位が築かれてゆきました。この因子は構造的にはHMG boxと呼ばれるDNA結合領域を通じ,DNAに結合することで機能を発揮すると考えられています。しかしながら,これまでに明らかになったことは,結合を通じてDNAを彎曲させることくらいで,その機能の本質を分子レベルで明らかにした論文が出るまでにはしばらく時間がかかりそうです。ただし,この遺伝子の発現に関する研究は進んでおり,その結果Sry遺伝子はセルトリ細胞の前駆細胞に発現することが明らかにされています。言い換えれば,Sryを発現した細胞はセルトリ細胞へ分化することが決定されており,精巣を構成するライディッヒ細胞やperitubular細胞などの体細胞へは分化しないようです。このことは生殖腺の性を決定する上で,少なくとも精巣の場合にはセルトリ細胞の性が極めて重要であることを示唆するものであります。しかしながら,やはりここでもSryがどのような役割を担っているかは皆目検討もつきません。
Sry以外にも生殖腺の性決定に関与する遺伝子が知られています。これらの遺伝子の機能はノックアウトマウスやトランスジェニックマウスを作製することで明らかにされてきたものでした。表現型としては,性転換から緩やかな「性のゆらぎ」までバリエーションに富みますが,各々が興味深い表現型を示しております。これらの遺伝子には,転写調節に関与するDax-1やSox-9,ポリコーム遺伝子のM33等が含まれていました。また,Wnt4やFGF9などの細胞増殖因子が生殖腺の性分化に関与することが示されたことは興味深い結果であります。更には,どのような遺伝子の変異かは分かっていませんが,常染色体に変異のあるOdsマウスはXXの個体に精巣を分化させます。これら一連の結果から明らかになってきたことは,Sryだけではなく他の遺伝子も生殖腺の性決定に深く関与しているということでした。

性決定のカスケード
それでは,これらの遺伝子はお互いにどのような関係にあるのでしょうか?容易に推測できることは,遺伝学的な(カスケードのような)上下関係が構築されているということです。ただし,このような関係は遺伝子改変マウスや遺伝子の転写調節領域の解析から次第に明らかになってきてはいるものの,まだ大枠すら見えていないのが現状です。一方,これまでの解析結果を眺めていると,「性は揺らぐもの」であるとの印象を強く抱きます。哺乳動物以外の脊椎動物においては遺伝的性だけが生殖腺の性を決定しているわけではないことが知られていましたので,ことさら奇異に感じることでもないのかもしれませんし,同様の可能性が実は哺乳類にもあるのかもしれません。性決定の遺伝子カスケード上の遺伝子が,その発現量や発現時期,発現部域を通じて生殖腺の性をアナログ的に決定しているとすれば,また従って発現量や発現時期,発現部域の微妙な変化が上下の遺伝子との関連において生殖腺の性を左右するものであるならば,「性は揺らぐもの」という実に曖昧な印象が分子レベルで解説出来るのではなかろうかと思っています。そして,最近は「性は揺らぐもの」という印象が性分化の本質に通じるものであることを密かに期待しながら研究を続けております。

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