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授のうわごと

研究室紹介 日本生殖内分泌学会雑誌 2010年

2007年4月1日に九州大学大学院医学研究院教授として発令され、その後2008年6月に研究室を基礎生物学研究所から九州大学へ移しました。移動にあたっては諸先生から「またなんで九州大学に移動するんだね?」と質問されたものでした。なかには「なんで九州大学なんかに」と、ご丁寧に「なんか」を付けて下さった先生もおられました。そんな訳ですので、ここではわたくしの生い立ちから述べることと致します。

生い立ち(九州大学と癌研究所)

わたくしは1981年に九州大学理学部生物学科を卒業し、大学院(理学研究科)に進学しました。当時は、まさに分子生物学の第2波が押し寄せつつある時期で、大学を出たての若輩者ですら、その勢いと魅力を肌で感じることができた時代でした。ただ、研究室を選ぶにあたっては、従兄弟の「生化学は大切だ」との助言に従い、大村恒雄先生に師事することにしました。今にして思うと、この助言はいろいろな意味で正鵠を射たものであり、実に有り難いものでした。この時期には、タンパク質の扱いと定量的解析を基に議論することを学びました。そしてその後、分子生物学の魅力に引き寄せられるように、癌研究所生化学部の藤井義明先生のもとで分子生物学の手ほどきを受けることになったのです。癌研で2年を過ごし、その間P450sccとP45011bのクローニングを行いました。そして再び福岡に戻ったのですが、東京を出るときに、もう一度この大都会で勝負してみたいと思ったのでした。若き日のことです。

博士号を取得すると同時に、大村先生のもとで助手として採用していただき、そのまま研究を続けることになりました。そして、助手1年目の冬でした。理学部と医学部で分子生命科学専攻という新たな専攻を創ることになり、当時理学部に所属していた大村研究室は理学部を出て医学部地区へ移動することになったのです。それまでは医学部の先生方との付き合いはなく、医学部の有り様を知りませんでしたので、移動した当初はとんでもないところに来てしまったと惑ったものです。多分、他学部の先生方が理学部に移動された場合にも同様な感想をもたれると思いますので、学部間の文化の違いは相当なものです。ただ、文化の違いが存在することの善し悪しは別にしても、多様な学術研究を行うのが大学の使命であれば、このような多様性は許容されるべきものです。ともあれ、自らが育った理学部とは研究と教育理念が大きく異なる医学部で、その後の10年を過ごすことになったのでした。ただ、所属する組織がどうであれ、研究内容や進め方などは教授の方針次第でどうにでもなるものであり、幸いなことにわたくしが所属する研究室は理学部にあった頃と何ら変わることなく運営されてゆきました。

医学部での10年間は、ステロイドホルモンの生合成に関わる遺伝子の発現制御の研究を行いました。当時の遺伝子関連の研究はとにかく華々しく、多くの若者がこの分野に参入したのです。わたくしもその1人でした。そして、副腎皮質からAd4BPを精製したのもこの時期でした。当初は転写因子としての機能に着目していましたが、Ad4BPの真の重要性は単に転写因子としての機能にあるのではなく、ステロイドホルモンを産生する組織や細胞の存在基盤を提供することにあると考えていました。したがって、そのことを理解するためには内分泌学や組織学とても大切だったのです。ところが、わたくしは理学部で教育を受けたので、内分泌学や組織学などの基本的な知識が不足していました。そこで、少しずつ勉強したのですが、比較的古典的と思われがちなこれらの分野がわたくしにはとても新鮮でしたし、分子物学の技術と知識をもってすれば、宝物が掘り出せるような分野であると思えたのでした。

準備期間(基礎生物学研究所)

1996年には基礎生物学研究所で研究室を主宰する機会をいただきました。わたくしのような若輩者が、このような機会をいただけたことはとても幸運なことでした。そして、ここでは「性」を研究対象にしました。ステロイドホルモンとその周辺を勉強しているうちに、精巣と卵巣の分化や両者の差(性差)、そしてこれらの組織から分泌される性ホルモンによって造り出される性差は研究対象として非常に魅力的でしたし、深く研究された形跡がありませんでした。実は、癌研での研究以降、比較的激しい分野に身を置いていました。例えば、数ヵ月論文が早く出たので勝ったとか、遅れたので負けたとか、そんなつまらない競争をしていました。しかしながら、よく考えると、たとえ論文が数ヵ月早く出たところで、次に同じ論文が出てくようであれば、自分がやらなくても誰かがやるわけです。そんな研究が、はたしてどれほどの意味があるのかと疑問に思うようになった時期でもありました。

研究室の目指す方向を決めるのは教授の仕事で、この決断には研究室の若者たちの将来もかかっています。そう考えると大変重大なことなのですが、やはり研究をやるのであれば、心が躍るような対象でなければ働きたくありません。そのような研究対象を見つけてこそ、はじめて基礎研究者はその責任を果たせるのではないかと考えます。そんな訳で性を研究対象として、10年を過ごしたのですが、この10年は性研究の基礎固めの時期でした。性の研究といっても漠然としています。どこに焦点を絞るのか、自身の経験をもとに何が武器なのか、何が本質的な問題なのか、そして興味をそそるのか、そんなことを考えながら研究室の仕事を精巣のライディッヒ細胞にシフトしてきました。長い時間がかかりました。

性の研究(九州大学)

ところで、わたくしの出身の研究室は大村恒雄先生の後を三原勝芳先生が引き継がれました。その後にわたくしが移動することになった訳です。この経緯は割愛しますが、わたくしのような中途半端な人間がお役に立てることがあればとの思いで移動を決断したのでした。また、ちょうど10年前に当時の毛利秀雄基生研所長から辞令をいただく際に、「諸橋君はまだ若いから定年までここにいることはないよ、適当な場所があったら出なさいよ」と言われたのでしたが、この毛利先生の言葉は九大へ移動することを決断するにあたって、強く背中を押してくれました。ただし当時の反応はさまざまで、この文章の冒頭の「何で九大なんかに」との反応もありました。むしろ、その方が多かったと思います。そして、移動を思いとどまるようにと、説得していただいた先生もおられました。有り難いことでした。

諸般の事情で研究室の移動は2008年の6月となりました。そして、そろそろ2年が過ぎる頃です。このような経緯で再び福岡へ移動したのですが、若き日を過ごした東京にはついぞ戻ることはありませんでした。しかし、今はあの大都会で勝負したいとは思いません。この地で世界と戦いたいと思っています。幸い、基生研で育てた若者たち(嶋雄一君、馬場崇君、宮林香奈子さん)が一緒に福岡へ移動してくれましたし、新たに大竹博之君、またこの4月からは古巣の理学部から卒研生も加わってくれました。世界と戦う陣容を少しずつ整えながら、性研究を仕上げたいと思っています。


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