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授のうわごと

2012年6月生化学会誌に掲載
「志(こころざし)をもつ丈夫な若者」

最近、国際性豊かなエリートを育てることこそが大学の使命であるとの議論が盛んに行われるようになりました。そしてこのような議論では、しばしば戦前の教育が比較対象とされます。わたくし自身はもちろんのこと、今の大学教員は誰一人としてその時代を生きた訳ではないので真偽のほどは分かりませんが、戦前の旧制高等学校から帝国大学にかけての教育システムはすばらしく、我が国のエリートを育んできたということのようです。確かに、「坂の上の雲」の情景を思い浮かべれば、なるほどそのようなエリートが明治の混迷期や大陸での戦争、そして敗戦からの驚異的な復興を支えてきたのであったのかと、感謝の念を抱かずにはいられません。
   昨年文部科学省より、豊かな国際感覚を備え世界を牽引するリーダーを養成することを目的としたリーディングプログラムが公募され、各大学はそれぞれに工夫を凝らした申請のとりまとめに汗水を流しています。そんな訳で、わたくしの所属する大学でもエリートを育てるための申請の取りまとめが行われています。では、誰が育てるのだろうかと見回してみると、その中にわたくし自身も入っているらしく、いささか困惑してしまうのです。エリートでもない者がエリートを育てようというのですから、自虐ネタとして笑いが取れそうだと思う訳です。まぁ、そこまで卑下するものではないにしても、照れ笑いくらいは許して頂きたいとの心境です。ただ、そうは言うものの、わたくし自身、大学教育の現状に満足してはいませんので、そのような意味ではリーディングプログラムが目指すところが分からない訳ではありません。しかしながら、この一連の流れには多少の違和感を覚えてしまうのです。なぜか。多分、エリートという言葉を飲み込めないのだろうと思います。個人的な感覚によるものと一笑に付されても構いませんが、この「エリートを育てる」を「志(こころざし)をもつ丈夫な若者を育てる」と言い換えれば、多少なりともその違和感が軽減されるのではないか。そして、この違和感の軽減は「エリート」と「志をもつ丈夫な若者」をどう定義するかといった問題ではなく、また単にカタカナと漢字の差によるものでもなく、きっとわたくし自身が日本人として育ったことが根底にあるような気がしています。
   それはともかく、我々は果たして「志をもつ丈夫な若者を育てる」ことができるのだろうか。そのような心配が頭をよぎる時に、年長者はきっと「今時の若者は」と言って嘆いてみせるのです。ただ、これは昔から代々受け継がれてきた文化遺産のようなもので、いつの時代の若者も等しく年長者に言われた台詞でありました。わたくしの世代も上の世代からそう言われたし、逆に今となっては若い世代に同じように言っているのです。その場合に、わたくし自身が注意していることは、昔に戻ることは不可能であり、また今の若者達はわたくしが知らない時代を生きてきたということを認識することです。目を凝らして見渡すまでもなく、フィギュアスケート、サッカー、野球、水泳界では国際的に活躍する立派な若者が大勢います。そして、芸術の分野でも沢山の若者が世界を舞台に活躍しているのです。今時の若者達は前の世代が出来なかったことを堂々と、そして軽やかにやり遂げています。実は元気なのです。
   翻って、大学の若者達はどうか。ゆとり教育世代はダメだと責め立てられ、学生達は萎縮していないだろうか。世界で活躍する若者が持つべき、とんがった角を丸められていないだろうか。彼等は我々とは異なる時代背景の中で育ち、悩み、格闘してきたのだと思うのです。そして、我々が戦前のエリート教育を身を以て理解できないのと同様に、今の若者達のことを本当は理解できていないのではないか。それでも、今時の若者達は「坂の上の雲」の若者達のように元気であり、志さえ芽生えれば無限の力を発揮する能力を持っているはずだと、そう思うのです。そうであれば、そんな若者達を信頼し、見守り、時に背中を押してあげれば、自ずとそこに「志をもつ丈夫な若者」が育つのではないだろうか。50代半ばにして、そのような心境にたどり着きつつ、大学で若者達に向き合っています。

九州大学医学研究院教授 諸橋 憲一郎

九州大学大学院 医学研究院 分子生命科学系部門 性差生物学講座(分子生物学)
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