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授のうわごと

2018年ステロイドホルモン学会ニュースレターに掲載
「絵に描いたような馬鹿者」

研究を続ける残り時間が少なくなってくると、とにかく研究に専念したい。昨年あたりからそんな思いが強くなり、研究に関すること以外にはできるだけ首を突っ込まず、できることならサボルことにしています。下手をすると講義すらかったるいと思うこともあます(それはそれでかなり危ないのですが、正直なところです)。教授になりたての頃、ある偉い先生に言われたことがありました。「諸橋くん、教授会はね、2回に1回しか出なくていいんですよ、教授会に出るような時間があったら、実験してなさい、その方がずっといいです」「(諸橋)えっ、じゃぁ、先生は2回に1回しか教授会に出席なさらなかったんですか?」「(当然でしょう、みたいな言い方で)はい、僕はそうでした」と言われました。この偉い先生はいくつかの大学の教授を歴任の後、最後は生理研の所長を務められ、わたくしがこのような衝撃的なお話を伺う僥倖に恵まれた時は、既に生理研所長を務め終えられた頃でした。偉い先生と書きましたが決して茶化している訳ではありません。この先生はとにかく筋の通らないことを嫌っておられるように見受けられました。生き方が美しい方でした。ある外国の出張で、既にご高齢だった先生のために事務方がビジネスクラスの座席を準備した時には、エコノミーであれば二人分の支払いができるので、浮いた分は若い人の出張旅費につかって下さいと、ビジネスクラスでのフライトを断られたということでした。この先生とは所属する研究所は異なりましたが、何度か親しくお話しする機会がありました。ある時、先生が以前教授として勤務なさったことがある大学の卒業式の様子を写した写真を見せていただいたことがありました。曰く「最近ね、〇〇大学の卒業式では、こんな風に教員も学生もガウンを羽織り、キャップを被るんですよ。みっともないですよね。こんなになったら〇〇大学も、もうダメですね。」時にこの先生のことを思い出し、背筋をピンと伸ばしてます。話を戻しますと、そんな貴重な話を伺ったにも関わらず、その頃のわたくしは、まだ時間がたっぷり有ると錯覚しており、総説や何かの審査委員の依頼を喜んで引き受けたり、「長」がつくような役職を有難がったりするような、まさに「絵に描いたような馬鹿者」でした。その馬鹿者には貴重な助言も馬耳東風で、教授会には律儀にも毎回出席してしまったのでした。
   若者を教育する立場で禄を食むようになって既に三十余年、失笑を恐れずに申し上げますと、わたくしも多少はものの道理を弁えるようになってきました。この間、大学教員として、また研究者として何をなすべきかを割と真剣に考えながら生きてきました。ご存知かもしれませんが、学校教育法第九十九条には以下の文言があります。「大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめ、又は高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与することを目的とする。」この条文に初めて接した時、その意味するところを深く納得し、またこの法律が明治に制定されたことを知るにつけ、近代日本の骨格と土台を築き上げてこられた当時の諸先輩方の高い見識と矜持に思いを馳せたものでした。九十九条は、大学教員たる者、学術研究を極め、若者にその成果を教授することが責務であると、つまり昨今大学で盛んに議論されている質の高い教育とは質の高い研究があって、初めて可能となるものだと言っているのです。
   さて、我が国には星の数ほど学会が存在します。そして、その星の数ほどある学会を存続させるために、一体どれくらいの税金が投入されているのか。学術雑誌、論文についても同様で、どう頑張っても、いくら巧妙に屁理屈を捏ねたとしても、発表する価値など見出せない論文を、お金さえ払えば掲載する雑誌があります。ステロイドホルモン学会がそのようなレベルまで落ちぶれ果てた学会であると非難している訳ではありませんが、だからと言って燦然と輝く存在だとも思えない。さてどうしたものか。多分ここでは、大学が問われていることと同じく、会員の研究の質が問われます。わたくしには残された時間が少なくなったからでしょうか、質にこだわった研究をしたいとの思いが一層強くなってきました。まだ若い本学会会員の皆さん方は絵に描いたような馬鹿者が犯した失敗をなさらぬよう、願っています。

九州大学大学院医学研究院 教授 諸橋 憲一郎

九州大学大学院 医学研究院 分子生命科学系部門 性差生物学講座(分子生物学)
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