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授のうわごと

私の発見体験記
九州大学大学院医学研究院
諸橋憲一郎

Ad4BPはSF-1とも呼ばれ(というか、むしろ欧米ではAd4BPとも呼ばれ、と言われていますが)、この因子の同定をわたくしが日本で、そしてKeith Parkerがアメリカで、それぞれ独自に行ったのでした。今から16年ほど前のことです。その後、我々は時に競合しながらも、良き理解者として互いに尊重し合い、最近では副腎形成に関する共同研究を行っていたのでした(1)。ところが、2008年11月、彼はジョギング中に心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。その1ヶ月前には、国際内分泌学会の会場で、次の論文の打ち合わせをしたぐらいですから、彼が心臓発作で倒れるなんて、実に受け入れ難い、ひどい話しでした。既に彼の急逝からひと月ほど経ちました。冥福を祈りつつ、Ad4BP/SF-1の発見のいきさつから書いてゆくことにします。

矛盾に満ちた状況
1980年代になるとcDNAと遺伝子の単離がひっきりなしに続き、次いでCATアッセイ(今ではルシフェラーゼアッセイです)、ゲルシフトアッセイ、そしてDNAフットプリンティングの三つのアッセイが、流行の最先端でした。遺伝子発現を調べた論文には、この三つのアッセイ結果が三点セットとして出ていたものです。ステロイドホルモンの産生に必要な遺伝子が10ほどありますが、これらの遺伝子についても三点セットの結果を載せた論文が多数報告されていました。それぞれの遺伝子で、サイクリックAMP (cAMP)による転写の活性化や細胞特異的な転写を担うエレメントが同定されていたのでした。ところが、それぞれの遺伝子で見つかる配列には共通性がなく、既に他の遺伝子で見つかっていたcAMP応答配列のような配列が見つかりませんでした。そのため、ステロイドホルモン関連の遺伝子発現は、それぞれ独自のメカニズムで調節されていると考えられていました。でもよくよく考えると共通のメカニズムが存在するであろうことは誰だって予想していたし、その方が生物学的に美しいのです。だから、当時の状況は美しさが見えていなかったのでした。

牛の副腎と気合い
そのような状況でしたので、とにかくDNAエレメントに結合する転写因子の実体を知ることなしには次のステップへ進むことができない状況でした。当時、肝臓に発現する転写因子が2種類ほど精製されていましたが、いずれもマウスの肝臓を数百個つかったとか、そんな具合でした。そこで、もっと賢い方法があるに違いないと思い試行錯誤してみたのです。しかし、人生そんなに甘いものではないことを悟るに至り、ついに福岡市の食肉検査場に通う日々が始まったのでした。牛の副腎をもらうためです。精巣と卵巣、副腎皮質がステロイドホルモンを産生しますが、精巣と卵巣は食用となるためか、もらうことができません。それに対し、副腎は食べないのだそうです。グルココルチコイドやミネラルコルチコイドが高濃度に蓄積されているためだと思います。福岡市東区の食肉検査場ですと、当時一日に20頭から40頭が流れ作業で解体・処理されていました。解体作業の邪魔にならないように、ラインに混ぜてもらって、脂肪に埋まった左右の副腎を素早く取り出すのです。始めの頃こそ副腎が見つからず苦労したのですが、通っているうちに、あの脂肪の中だな、と分かるようになったのでした。そして、研究室に持ち帰った副腎を大学院生とともに、処理します。皮質と髄質を分け、コールドルームでホモジナイズの後に、核画分を遠心分離すると深夜になります。そして、この作業を2週間ほど続けると1回分の精製材料を得ることができるのです。それから精製のスタートです。精製の基本はできる限り早く進めることですので、カラムによる分画が終われば、深夜であろうが、明け方であろうが、次のステップに進まねばなりません。従って、精製に入る前には「よし、やったるぞぉ」みたいな気合いに満ちた精神状態に持って行くことが必要でした。精製は巨大なイオン交換カラムから始まり、DNAアフィニティーカラム(Ad4 siteと名付けた配列を含むDNAをセファロースに結合させた担体)まで、およそ2週間で一通りの精製過程が終了します。挙動不審のフラクションコレクターとオープンカラムを使った、まさに前近代的な武装での戦いでしたので、とにかく気合いでした。だいたい気合いで勝てるのですが、気合いだけではどうしても突破できない問題が出てきました。最終ステップのDNAアフィニティークロマトで得られるフラクションの蛋白質濃度が薄過ぎて、その後のハンドリングで精製標品が失われてしまうのでした。この問題は東工大の半田宏先生の助けを借りて突破することができました。ラテックスという特殊な担体を開発なさっているのを知り、恐る恐るご相談申し上げたら、DNAを送ってこいと、気合いのこもったご返事だったのです。そして、ついにこの担体の威力でAd4BPの精製に成功したのでした(2)。

深夜の雄叫び
この精製で得られた標品をもとにアミノ酸配列を決定し(当時九州大学理学部にいらっしゃった宮田敏行先生にご協力頂きました)、cDNAクローニングや遺伝子の単離を、当時大学院生だった本田伸一郎君と野村政壽君、スイスから短期で滞在していたステファン・ベルチュ君が進めてくれました(3、4)。一方で、精製標品があれば、その性質を調べることができます。特に知りたかったのは、どのような塩基配列を認識するのかということでしたので、色々な配列のオリゴヌクレオチドを合成し、結合のアッセイを行ったのでした。DNA合成がやっと機械化された時期でした。一通りアッセイを行ってデータを整理していると、何となくコンセンサス配列が見えてきて、変化し得る塩基と、変化した場合の結合能に対する影響が分かってきたのです。それで、その情報をもとに、それまでの論文に記載された塩基配列を眺めてみたのです。そうしたら、驚いたことに、ほとんど全ての領域にこの因子が認識する配列が存在したのです。深夜ひとりで机の上に論文を並べ、この事実に気付いた時は「ウォッシャ〜!」みたいな気分で、もしかしたらとんでもない転写因子を発見したのではないかと、独り興奮したのでした。

頂上から見えるもの
ほぼ同時にこの因子の同定に成功したアメリカ人がいました。Keith Parkerだったのです。彼はこの因子をsteroidogenic factor (SF-1)と命名し、すぐにKOマウスを作製したのです。彼からある日メールがきて、KOマウスの表現型が凄い!というのです。その論文はすぐにCell誌発表されましたが、KOマウスからは奇麗に副腎と生殖腺が消失していたのでした(5)。当時わたくしは九州大学の大村恒雄先生の研究室で助手をしていましたが、そのような実験を行う体力がなく、悔しい思いで彼の論文を読んだのでした。
この時期に見えていたものは、実は頂上からの景色だったのですが、残念ながら当時はそのことに気付いてはいませんでした。しかしながら、頂上からの景色は見えていました。遠い向こうに幻影かもしれないのだけれども、幾つもの頂がありました。そして、どちらに向かって進むかを決めねばなりませんでした。それまでは遺伝子発現に関する分子生物学的研究とでもいうべき研究を行ってきましたが、ここで選んだのは「性」の研究でした。そして丁度その時期に基礎生物学研究所へ移動することができ、それから十年に渡って性研究を中心に研究室を運営してきた訳です。今後も我が国の性研究の発展に少しでも貢献できればと願っている次第です。
ある国際会議でKeithと食事をしながら、この因子(Ad4BP/SF-1)は日本とアメリカで一人ずつ教授を作ったな、凄い因子に遭遇したものだ、と語ったことがありました。彼は、熱い時期を共に過ごした同志のような人でした。

文献
1) Zubair M. et al. : Mol. Cell. Biol. 28, 7030-7040, 2008
2) Morohashi K. et al. : J. Biol. Chem. 267, 17913-17919, 1992
3) Honda S. et al. : J. Biol. Chem. 268, 7494-7502, 1993
4) Nomura M. et al. : J.Biol. Chem. 270, 7453-7461, 1995
5) Luo X. eta al. : Cell 77, 481-490, 1994

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