沿革
年 表
建物の変遷
病理解剖・組織検査
歴代教授

<年 表>
明治36年
京都帝国大学福岡医科大学設置に伴い病理学教室建物の新築開始
明治37年
病理学教室の設置
(講師として、田中祐吉、佐多愛彦、干田義雄、桂田富士郎が授業を担当)
明治39年
初代病理学教室の教授に中山平次郎就任(同12月 田原淳が助教授就任)
明治40年
病理学教室が2講座制となる
中山教授が第一講座を担当(明治41年田原淳教授昇任まで第二講座も併任)
大正 8年
九州帝国大学医学部病理学教室第一講座と改称
昭和 6年
中山教授退官に伴い、田原第二講座教授が第一講座担任となる
(昭和7年4月まで第二講座教授を併任)
昭和 8年
田原教授退官に伴い、大野章三が第一講座教授となる
昭和20年
大野教授の停年退官に伴い、今井環が第一講座教授に昇任
昭和22年
九州大学医学部病理学教室第一講座に改組
昭和30年
病理学教室内に癌研究室設置(現医学部附属癌研究施設の前身)
研究主任は今井教授(37年まで第一講座教授と併任)
昭和33年
病理学教室内に純系動物飼育場(現在の動物実験施設の前身)設置
昭和38年
田中健蔵が第一講座教授に就任
(昭和56年11月-59年11月の間は、九州大学学長を併任)
昭和60年
居石克夫が第一講座教授に就任
平成 9年
大学院重点化に伴い改組される
大学院医学研究科 病態医学部門 病理学講座 病理病態学領域と改称
平成12年
大学院医学研究院   〃      〃   病理病態学分野と改称
平成16年
大学の法人化に伴い 国立大学法人 九州大学
大学院医学研究院病態医学部門 病理学講座 病理病態学分野に移行
平成22年
人体・病理ミュージアムの完成


(旧 病理学教室の入口 大正4年当時)

田原教授の顕微鏡

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<建物の変遷>
明治36年 8月
病理学教室建造
以後、講堂、標本室、動物実験室、新研究室、図書室、病理解剖附属室が順次追加
昭和48年12月
附属病院の新築計画によって第一講座は附属病院洗濯所および厨房跡に仮住居
(第二講座は昭和51年10月より旧第一外科建物に仮住居)
昭和49年 1月
講堂、図書室を含む南半分取り壊された
昭和51年11月
病理解剖室を含む北半分が取り壊された
昭和52年 3月
鉄筋1階建(441.09u)の病理解剖室新築(7月より使用)
昭和53年 2月
臨床研究棟B棟の完成により1階が病理学教室(両講座)に当てられる
昭和56年 9月
共通棟(面積506u)完成
昭和60年 1月
A・B棟奥を増築(A棟1837u、B棟1838u)され、現在に至っている
平成14年 6月
九州大学付属病院の新築に伴い病理部が移転

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<病理解剖・組織検査>

 病理解剖は、明治37年5月9日の教室創設以来、業務の一部として行っている。
外科的の試験切除材料や手術摘除材料の病理組織検査は終戦後に制度化され検査されてきたが、昭和34年より学外病院・診療所から送られてくる材料は、病理学教室の外来組織診断として業務が行われており、現在も病理病態学・機能形態病理学の2講座で分担制で業務にあたっている
学内材料は、昭和33年から中央(臨床)検査部を経由して行われ、昭和49年からは新設の病理部に移ったが、実質的には旧病理学教室の陣容で診断がなされている。

<最近の解剖体数の推移>   
年度

平成14年度
154
平成15年度
137
平成16年度
97
平成17年度
103
平成18年度
83
平成19年度
95
平成20年度
75
平成21年度
87
平成22年度
88
9年間平均
102

(病理学教室 マクロ標本室 撮影時期不詳)

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<歴代教授>

初代 
中山平次郎(1906-1931)
 

教室創設期の担当教授として寄生虫症の病理,動脈硬化症の病理から出発し、疫痢の病理、動物の移植腫瘍などの研究を活発に行い、病理学教室の礎を作った。

2代 田原 淳(1931-1933)


心臓の房室結節「田原結節」さらにはプルキンエ繊維の役割をも含め心臓刺激伝導系発見解明(※)した、わが国が世界に誇る病理学者。この発見は、現在の心臓病学やペースメーカー技術の礎ともなり、ひいては年間200万人余の生命の救済につながることになります。またこの功績により、大正3年帝国学士院恩蜴賞を受賞し、大正2年第3回日本病理学会総会の宿題「血管硬変」を担当。
大正9年第10回(東京)と昭和8年第23回(福岡)の2回の日本病理学会総会を主宰。

  →補足情報

 Tawara S. Das Reizleitungssystem des Saugetierherzens: Eine anatomisch-histologische Studie uber das Atrioventrikularbundel und die Purkinjeschen Faden. Jena, Germany: Gustav Fischer; 9-70, 114-156. 1906.

3代 
大野章三(1933-1945)


「黄疸発生一元論」を提唱し、昭和6年第21回日本病理学会総会の宿題「実験的黄疸発生論」で発表し、ウィルヒョウ・山極賞を受賞以後も黄疸の発生病理に関する多岐にわたる研究を行い、「肝障害なくば黄疸なし」の所論を裏付けた。

4代 今井 環(1945-1962) 


癌研究について尽力し、癌症例について腫瘍の全割面切片を作り、癌を実質の側からだけでなく、間質の面からも観察し、癌にも生体反応が存在することを証明すると共に、癌の発育状況を判断する尺度として「癌のCPL分類」を提唱した現在一般なこの手法と概念は、当時としては画期的であったこれは昭和29年第43回日本病理学会総会の宿題「人体癌腫発育状況の形態学的考察」として発表され、朝日新聞科学奨励金を受けたその後の研究は、早期癌および癌の母地病変へと進み、癌の研究は最盛期を迎える。

5代 田中健蔵(1963-1984)



動脈硬化症を主とする心血管疾患と凝固・線維素溶解系、呼吸器疾患、新生児・小児疾患、腫瘍など広範にわたり、臨床とのつながりを大切にした研究を展開した。特に、動脈硬化症の研究では、従来の光学・電子顕微鏡的手法に加え、免疫組織化学的、生化学的手法を駆使して、動脈硬化症の血栓原説を発展させ、血管内膜障害に引き続く血小板の粘着・凝集とフィブリン沈着が内膜に侵入した中膜由来平滑筋細胞の増殖を惹起させ硬化巣の進展に寄与することを証明し、動脈硬化の凝固線溶系異常学説を提唱したことが国際的に高く評価されている。また福岡県久山町の疫学調査を基盤にした剖検症例の検討は、わが国の循環器疾患の予防、診断、治療法の確立のための基礎となっている。

こうした業績により、西日本文化賞(昭和53年)、日本動脈硬化学会大島賞を受賞(昭和62年)、「勲一等瑞宝章」の受章(平成8年11月3日)。このほか、わが国および世界の文化・社会・国際交流においても過去のめざましい貢献が評価され、日本学士会よりアカデミア賞を贈られている(H.19.2)。

6代 居石克夫(1985-2009)

動脈硬化、血管新生、凝固線溶、肺癌の病理を主な研究対象に、形態を中心とした従来の病理学研究に加え、細胞生物学的、分子生物学的手法を用いて形態変化に見合う分子の基盤の解明に取り組んだ。特に『血管リモデリングの恒常性維持と分子制御の研究』から、九州大学で実施予定の具体的標的遺伝子を用いた遺伝子治療法の開発に向けた基礎的エビデンス集積に尽力した。
こうした業績により、日本動脈硬化学会賞を授与されている。

第26回界面医学会(平成2年)、第9回日本血管細胞生物学会(平成13年)、第44回日本脈管学会(平成15年)、第36回日本動脈硬化学会(平成16年)、 第28回日本血栓止血学会学術集会(平成17年)を主催。


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