初代 中山平次郎(1906-1931)
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教室創設期の担当教授として寄生虫症の病理,動脈硬化症の病理から出発し、疫痢の病理、動物の移植腫瘍などの研究を活発に行い、病理学教室の礎を作った。
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2代 田原 淳(1931-1933)
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心臓の房室結節「田原結節」さらにはプルキンエ繊維の役割をも含め心臓刺激伝導系発見解明(※)した、わが国が世界に誇る病理学者。この発見は、現在の心臓病学やペースメーカー技術の礎ともなり、ひいては年間200万人余の生命の救済につながることになります。またこの功績により、大正3年帝国学士院恩蜴賞を受賞し、大正2年第3回日本病理学会総会の宿題「血管硬変」を担当。
大正9年第10回(東京)と昭和8年第23回(福岡)の2回の日本病理学会総会を主宰。
→補足情報
※ Tawara S. Das Reizleitungssystem des Saugetierherzens:
Eine anatomisch-histologische Studie uber das Atrioventrikularbundel und
die Purkinjeschen Faden. Jena, Germany: Gustav Fischer; 9-70, 114-156. 1906.
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3代 大野章三(1933-1945)
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「黄疸発生一元論」を提唱し、昭和6年第21回日本病理学会総会の宿題「実験的黄疸発生論」で発表し、ウィルヒョウ・山極賞を受賞以後も黄疸の発生病理に関する多岐にわたる研究を行い、「肝障害なくば黄疸なし」の所論を裏付けた。
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4代 今井 環(1945-1962)
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癌研究について尽力し、癌症例について腫瘍の全割面切片を作り、癌を実質の側からだけでなく、間質の面からも観察し、癌にも生体反応が存在することを証明すると共に、癌の発育状況を判断する尺度として「癌のCPL分類」を提唱した現在一般なこの手法と概念は、当時としては画期的であったこれは昭和29年第43回日本病理学会総会の宿題「人体癌腫発育状況の形態学的考察」として発表され、朝日新聞科学奨励金を受けたその後の研究は、早期癌および癌の母地病変へと進み、癌の研究は最盛期を迎える。
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5代 田中健蔵(1963-1984)
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動脈硬化症を主とする心血管疾患と凝固・線維素溶解系、呼吸器疾患、新生児・小児疾患、腫瘍など広範にわたり、臨床とのつながりを大切にした研究を展開した。特に、動脈硬化症の研究では、従来の光学・電子顕微鏡的手法に加え、免疫組織化学的、生化学的手法を駆使して、動脈硬化症の血栓原説を発展させ、血管内膜障害に引き続く血小板の粘着・凝集とフィブリン沈着が内膜に侵入した中膜由来平滑筋細胞の増殖を惹起させ硬化巣の進展に寄与することを証明し、動脈硬化の凝固線溶系異常学説を提唱したことが国際的に高く評価されている。また福岡県久山町の疫学調査を基盤にした剖検症例の検討は、わが国の循環器疾患の予防、診断、治療法の確立のための基礎となっている。
こうした業績により、西日本文化賞(昭和53年)、日本動脈硬化学会大島賞を受賞(昭和62年)、「勲一等瑞宝章」の受章(平成8年11月3日)。このほか、わが国および世界の文化・社会・国際交流においても過去のめざましい貢献が評価され、日本学士会よりアカデミア賞を贈られている(H.19.2)。
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6代 居石克夫(1985-2009) |
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動脈硬化、血管新生、凝固線溶、肺癌の病理を主な研究対象に、形態を中心とした従来の病理学研究に加え、細胞生物学的、分子生物学的手法を用いて形態変化に見合う分子の基盤の解明に取り組んだ。特に『血管リモデリングの恒常性維持と分子制御の研究』から、九州大学で実施予定の具体的標的遺伝子を用いた遺伝子治療法の開発に向けた基礎的エビデンス集積に尽力した。
こうした業績により、日本動脈硬化学会賞を授与されている。
第26回界面医学会(平成2年)、第9回日本血管細胞生物学会(平成13年)、第44回日本脈管学会(平成15年)、第36回日本動脈硬化学会(平成16年)、
第28回日本血栓止血学会学術集会(平成17年)を主催。
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