九州大学皮膚科学教室 ムラージュコレクション


ムラージュについて

産業医科大学皮膚科学名誉教授   
九州大学皮膚科自遠会会長   
旭 正一     
 
2011年吉日 

 ムラージュ(moulage)はフランス語由来の言葉で、訳せばロウ模型となる。戦前、皮膚科領域で、教育用にさかんに作製された。戦後はカラースライドが実用化され、皮疹の記録はもっぱら写真になって、ムラージュ作製も終了したが、全国の各大学にまだ多数のムラージュが保存されている。

 ムラージュの作製法は、まず患者の皮疹部に石膏を流し、固まったら剥がして牡型を作る。これに肌色のロウを少量流しこみ、うすいロウの膜を作ったあと彩色をする。それから大量のロウを流しこんで固め、フランネルで裏打ちする。牡型から取り出し、細部を修正して完成となる。

 ムラージュの作製は、明治時代の末に東大で始まり、全国の各大学にひろがった。各大学に専任の技術者があって、ムラージュを次々に作製していた。九大においても、大正に入った頃からはじまって500個近くのムラージュが作製された。いつまで作製されたかはっきりしないが、戦前までであったようである。昭和23年の樋口教授の就任後は作製されていない。

 私は昭和37年に入局したが、木造の皮膚科の旧診療・研究棟の2階に、広いムラージュ室があり、ガラス箱に入った数百個のムラージュが、天井まで届く大きな棚にずらりと陳列されていた。すべて人体の局部を正確に模写しているわけであり、まあロウ人形館のようなもので、沢山ならんでいると何とも言えない迫力があった。当直の晩には、火の用心の見回りが義務づけられていたが、夜間ひとりでムラージュ室に入ると、ムラージュが今にも動き出しそうで不気味であった。戸口から一応のぞきこんで、急いで逃げ出したものである。

 そのうちに医学部の全面的改築がはじまり、病棟、外来が順次新しい建物に移転し、最後に残った研究室も、昭和50年に新研究棟に移転することになった。新研究棟はせまく、倉庫もあまり広くないため、すべてのムラージュを収納するスペースがなく、結局ムラージュは一部のみ保存して、大半を廃棄することになった。そして現在、200体ほどが残っている。惜しいことをしたが、やむを得なかった。他大学では、移転に際して全部廃棄した所もある。

 今日では皮疹の記録にはもっぱらカラー写真が用いられ、ムラージュは過去の遺産となってしまったが、現在見てもその迫真性には驚くべきものがあり、写真にはない味わいもあるようだ。また皮膚疾患は時代とともに変遷しており、今日ではもはや見られなくなった疾患も多い。その実態を伝えるものとして、ムラージュの存在は大きい。皮膚科の貴重な歴史的遺産として、大切に保存したいものである。

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