研究TOPICS

2022.08.29

「加齢による認知機能低下を改善するグリア細胞由来分子を発見 ~認知症の新たな治療薬開発への展開に期待~」(神経解剖学分野 神野 尚三教授)

加齢による認知機能低下を改善するグリア細胞由来分子を発見
~認知症の新たな治療薬開発への展開に期待~
ポイント
  1. ① 加齢に伴い増加する認知症に対する治療薬は、神経細胞 (※1) をターゲットとして開発されてきたが、認知機能の制御に関わるメカニズムについては不明な点が多い。
  2. ② 本研究では、グリア細胞 (※2) に由来する分子によるコンドロイチン硫酸プロテオグリカン (CSPG) の発現制御が加齢によって低下する認知機能の改善に重要であることを見出した。
  3. ③ 今後、グリア細胞をターゲットにした認知症の新規治療薬開発への展開が期待される。 

近年の日本では、加齢に伴い認知機能が徐々に低下し、認知症に至る高齢者が増加しています。これまで、認知機能の低下は、神経細胞の減少もしくは機能不全が原因であると考えられていました。このため、認知症に対する治療薬は神経細胞をターゲットとして開発されてきましたが、認知機能の制御に関わるメカニズムについては十分に理解されていません。

この度、九州大学大学院医学系学府の前田祥一郎大学院生、九州大学大学院医学研究院の山田純講師、神野尚三教授の研究グループは、神戸薬科大学の北川裕之教授らと共同で、海馬の神経幹細胞のニッチ (※3) に着目した研究を行い、加齢マウスではニッチの主要な構成成分であるCSPGの発現量が低下していることを見出しました。さらに、神経細胞のグルタミン酸受容体 (※4) の阻害剤として開発され、抗認知症薬として認知症の治療に用いられているメマンチンを投与したところ、海馬におけるCSPGの発現量が増加し、神経幹細胞から産生される神経細胞が増加していることが明らかになりました。このため、海馬におけるニッチ関連分子の遺伝子発現解析を行ったところ、メマンチンの投与によって、CSPGの合成酵素であるCSGalNAcT1の発現が増強し、分解酵素であるMMP9の発現が低下していることが確認されました。また、海馬のCSPGを分解した加齢マウスでは、メマンチンによる認知機能の改善や、新生神経細胞の増加が起こりませんでした。CSGalNAcT1やMMP9はグリア細胞に由来する酵素であり、ニッチとして神経幹細胞の機能維持に重要な役割を果たしています。今後は、グリア細胞由来分子による認知機能改善のメカニズムのさらなる解明と、グリア細胞をターゲットとする新たな認知症治療薬への展開が期待されます。

本研究成果は、国際科学雑誌「British Journal of Pharmacology」のオンラインサイトに2022年7月29日(金)に掲載されました。

研究成果の概要図神経幹細胞のニッチであるCSPGの合成酵素や分解酵素はグリア細胞由来の分子です。今回の研究で、それらが神経細胞の産生を促進し、加齢による認知機能低下を改善する鍵を握っていることが分かりました。
【研究の背景と経緯】 

高齢化が進行している現代の日本では、加齢に伴い認知機能が徐々に低下し、認知症に至る高齢者が増加しています。従来から、認知機能が低下する原因としては、神経細胞の機能不全や減少が重要と考えられており、認知症の治療薬は神経細胞を主なターゲットとして開発されてきました。しかしながら、加齢によって低下した認知機能の改善を可能にするメカニズムについては十分に理解されていません。私たちは以前、マウス海馬の神経幹細胞の微小環境を構成しているニッチに関する詳細な解析を行い、CSPGが神経新生の促進と認知機能の制御に重要であることを明らかにしました。一方で近年、CSPGの合成と分解は、グリア細胞由来分子による制御を受けていることが分かってきています。そこで私たちは、神経細胞のグルタミン酸受容体 (※4) の阻害剤として開発され、抗認知症薬として認知症の治療に処方されているメマンチンを用いて、海馬のCSPGとグリア細胞由来の分子に対する作用を解析し、加齢によって低下する認知機能の改善を可能にする未知のメカニズムを同定することを目指しました。

【研究の内容と成果】

最初に、若齢マウスと加齢マウスを用いて、記憶や学習の中枢である海馬におけるCSPGの発現量と、神経幹細胞や新生神経細胞の分布密度を比較したところ、いずれも加齢マウスで減少していることが分かりました。次に、メマンチンを加齢マウスに投与したところ、海馬のCSPGの発現量と新生神経細胞の分布密度が回復する結果が得られました。また、メマンチンを投与した加齢マウスの認知機能を評価したところ、海馬依存性の作業記憶 (作業の実行に必要な情報についての短期的な記憶) とエピソード記憶 (経験に関する長期的な記憶) の両方が改善していることが分かりました。そこで私たちは、加齢マウスの海馬におけるニッチ関連分子についての遺伝子発現解析を行いました。その結果、CSPGの主要な合成酵素であるCSGalNAcT1やC6STの発現がメマンチンの投与によって増強されることを見出しました。一方、CSPGの分解酵素であるMMP9の発現はメマンチンの投与後に低下していました。

さらに、加齢マウスの海馬のCSPGを選択的に分解する実験に取り組みました。その結果、海馬のCSPGが消失した加齢マウスでは、メマンチンを投与しても新生神経細胞の増加が起こらないことや、作業記憶やエピソード記憶の改善が起こらないことが明らかになりました。これまでの研究によって、ニッチ関連分子であるCSGalNAcT1やMMP9はグリア細胞によって産生されることが分かっています。私たちの研究の結果は、これらのグリア細胞由来分子が、神経幹細胞のニッチであるCSPGの発現量の増加を介して神経細胞の産生を促進し、加齢による認知機能低下を改善する鍵を握っていることを示唆するものです。

【今後の展開】

本研究によって、加齢に伴い低下する認知機能を改善するためには、神経幹細胞のニッチであるCSPGの発現を制御する分子による神経新生の促進が重要であることが分かりました。今後は、これらのグリア細胞由来分子の発現を調節するメカニズムを同定し、認知機能の改善を可能にしている基本原理を明らかにしたいと考えています。さらに、神経細胞をターゲットにしてきた従来の抗認知症薬に代わる、グリア細胞をターゲットとする革新的な認知症の治療薬の開発につなげることを目指しています。

【用語解説】
※1 
神経細胞:情報と処理その伝達に特化した細胞であり、神経系を構成する基本単位。一般的には、他の神経細胞からの入力を受ける樹状突起、情報の出力を担う軸索、核を有する細胞体からなる。通常、発達後の脳において新たな神経細胞が産生されることはないが、海馬など一部の脳領域では生涯に渡って神経細胞が作られており、新生神経細胞は学習や記憶に重要な役割を担っている。
※2 
グリア細胞:従来は、神経細胞の代謝や構造、イオン環境の保持など、主に局所における神経細胞のサポートを担う細胞であると考えられてきた。しかし近年、神経細胞による神経伝達の制御や、記憶の形成や保持に深く関わっていることが明らかになっている。
※3 
ニッチ:神経細胞とグリア細胞 (アストロサイト) に分化する能力を有する神経幹細胞の未分化状態と分裂能を維持している微小環境の総称。
※4
グルタミン酸受容体:神経細胞間の情報伝達の場であるシナプスに多く発現しており、主に興奮性の神経伝達に関わる受容体のこと。学習や記憶に重要な役割を果たしていると考えられている。
【謝辞】
本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金 (19K06924, 19K22812, 20H04105) と、学術変革領域「グリアデコーディング」(21H05630) からの支援を受けて行われました。 
【論⽂情報】
タイトル:Chondroitin sulfate proteoglycan is a potential target of memantine to improve cognitive function via the promotion of adult neurogenesis (コンドロイチン硫酸は成体神経新生を促進し、認知機能を改善するメマンチンのターゲットである)
著 者:Shoichiro Maeda, Jun Yamada, Kyoko M Iinuma, Satomi Nadanaka, Hiroshi Kitagawa, Shozo Jinno
掲載誌:British Journal of Pharmacology
DOI:10.1111/bph.15920 

【お問い合わせ先】
九州大学大学院医学研究院 教授
神野 尚三(じんの しょうぞう)
TEL:092-642-6051 FAX:092-642-6202
Mail:a2office★med.kyushu-u.ac.jp
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