2024.09.25
全国8地域からなる大規模認知症コホート研究で糖代謝異常と海馬亜領域体積との関連を報告(衛生・公衆衛生学分野 二宮 利治教授)
概要
金沢大学医薬保健研究域医学系脳神経内科学の小野賢二郎教授、九州大学大学院医学研究院衛生・公衆衛生学分野の二宮利治教授、岩手医科大学医学部内科学講座脳神経内科・老年科分野の前田哲也教授、慶應義塾大学予防医療センターの三村將特任教授、愛媛大学大学院医学系研究科精神神経科学の伊賀淳一准教授、熊本大学大学院生命科学研究部神経精神医学講座の竹林実教授らの共同研究グループは、健康長寿社会の実現を目指した大規模認知症コホート研究:JPSC-AD 研究*1のデータを用いて、糖尿病*2診断の有無にかかわらず、高血糖の状態またはインスリン*3の分泌能が低下した状態が、記憶に関連する海馬*4亜領域の体積の減少と関連することを明らかにしました。
本研究結果より、糖尿病と診断されていない人においても、高血糖やインスリン分泌能が低下した状態が記憶力などの認知機能の低下を引き起こす要因の一つとなるおそれがあり、血糖の状態を良好に保つこと、インスリン分泌を保持することが、海馬体積を保ち、認知機能低下を予防できる可能性が示唆されました。
JPSC-AD 研究では2016年から2018年にベースライン調査を実施し、全国8地域で11,410名の調査を行いました。2021年から2023年には、同対象者について包括的認知症スクリーニング調査を実施し、新たな認知症の発症および認知機能の変化の調査を行いました。
今後、縦断解析を行うことで糖代謝異常がアルツハイマー病*5を引き起こす詳細なメカニズムを明らかにし、個々の認知症発症リスクに応じた予防・治療法の確立が期待されます。
本研究成果は2024年9月9日に国際学術誌 NPJ Aging のオンライン版に掲載されました。
研究の背景・目的
糖尿病は、認知症の危険因子とされています。糖尿病が認知症を引き起こす原因として、動脈硬化性病変、微小血管症、糖毒性およびインスリン異常といった多様なメカニズムが提唱されていますが、その詳細は十分に明らかになっていません。
今回の研究では、正常な認知機能を持つ高齢者を対象として、糖尿病に関連する血液マーカーである、血糖の状態を示すヘモグロビン A1c (HbA1c)*6やグリコアルブミン (GA)*7、インスリンの分泌能を示す HOMA-β*8、インスリン抵抗性を示す HOMA-IR*9と海馬体積との関連性を検討しました。さらに、海馬を形成する12の亜領域(図2A)のうち、どの部位が高血糖やインスリン分泌能低下、インスリン抵抗性に脆弱であるかを解析しました。また、サブ解析として、糖尿病患者ではない人のみを対象として、同様の解析を行いました。
研究成果の概要
JPSC-AD に登録されている65歳以上の正常認知機能の高齢者7,400人に採血と頭部 MRI*10の撮影を行い、血液データ (HbA1c, GA, HOMA-β, HOMA-IR) と海馬全体の体積・海馬亜領域の体積との関連性を解析しました。
その結果、HbA1c が高値(過去の高血糖状態の持続を意味する)、GA が高値(過去の高血糖状態の持続と血糖値の大きな変動を意味する)、HOMA-β が低値(インスリン分泌能の低下を示唆する)であるほど、海馬全体または複数の海馬亜領域の体積が小さくなっていることが明らかになりました(図1、図2B-D)。さらに、対象を糖尿病ではない患者に限局して同様の解析を行った場合においても、GA の高値または HOMA-β の低値と、海馬全体の体積低下、そして海馬亜領域の1つで記憶の回路において重要であるとされる fimbria(海馬采)の体積低下との関連性が明らかになりました。インスリン抵抗性を示す HOMA-IR と海馬体積との関連性は明らかではありませんでした。
今後の展開
JPSC-AD 研究では2021年から2023年に同対象者について包括的認知症スクリーニング調査を実施しました。今後、縦断解析を行うことで、糖代謝異常と認知機能低下および認知症発症との関連についてより詳細を明らかにでき、糖尿病が認知症を引き起こすメカニズム解明の一助となることが期待されます。
参考図
主要な海馬亜領域の機能
海馬は、アンモン角の CA1 と海馬台から大脳皮質へ主要な情報を出力しています。CA1 と海馬台は、エピソード記憶(個人が経験したイベントの記憶です。具体的には、「いつ、どこで、何があり、その時の感情がどうであったか」という出来事の記憶になります)、空間記憶(場所に関する記憶のことを言います。目的のものを探す、目的地へ向かうといった日常生活の場面で利用されます)などの記憶の形成に最も重要な領域と考えられています。
海馬からのもう一つの重要な情報出力は、海馬采を通して皮質下の視床下部等に出力されます。海馬采の障害により、海馬の出力が障害されて記憶と学習が障害されます。
一方で、海馬は歯状回を通して主要な情報の入力を受けています。歯状回は、情報の新規性の検出や情報のパターン化・符号化、記憶の統合、記憶の保持に寄与していると考えられています。
各血液マーカーの異常で認められた海馬亜領域と、それにより起こることが予想される認知機能障害
図2-B)HbA1c が高値な人で萎縮を認めた亜領域:海馬采、海馬台、前海馬台、海馬尾部
海馬からの情報出力に重要な領域である海馬采や海馬台の障害により、エピソード記憶や空間記憶、学習の機能低下が予想されます。
図2-C)GA が高値な人で萎縮を認めた亜領域:海馬采、顆粒層―分子層―歯状回、CA4、海馬台、前海馬台、海馬尾部
海馬からの情報出力に重要な領域である海馬采や海馬台に加え、海馬への情報入力において重要な領域である歯状回の萎縮が認められることにより、エピソード記憶や空間記憶、学習、記憶の統合や保持に関連した機能が低下することが予想されます。
図2-D)HOMA-β が低値な人で萎縮を認めた亜領域:海馬采
海馬からの情報出力に重要な領域である海馬采の障害により、エピソード記憶や空間記憶、学習の機能低下が予想されます。
掲載論文
- 掲載誌:
- NPJ Aging
- タイトル:
- Glucose metabolism and smaller hippocampal volume in elderly people with normal cognitive function
(正常認知機能高齢者における糖代謝と海馬体積の減少) - 著者名:
- Ayano Shima, Moeko Noguchi-Shinohara, Shutaro Shibata, Yuta Usui, Yasuko Tatewaki, Benjamin Thyreau, Jun Hata, Tomoyuki Ohara, Takanori Honda, Yasuyuki Taki, Shigeyuki Nakaji, Tetsuya Maeda, Masaru Mimura, Kenji Nakashima, Jun-ichi Iga, Minoru Takebayashi , Hisao Nishijo, Toshiharu Ninomiya, Kenjiro Ono
(島綾乃、篠原もえ子、柴田修太朗、碓井雄大、舘脇康子、Benjamin Thyreau、秦淳、小原知之、本田貴紀、瀧靖之、中路重之、前田哲也、三村將、中島健二、伊賀淳一、竹林実、西条寿夫、二宮利治、小野賢二郎) - DOI:
- 10.1038/S41514-024-00164-2
用語解説
- *1 JPSC-AD 研究
- JPSC-AD (Japan Prospective Studies Collaboration for Aging and Dementia) 研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構 (AMED) の認知症研究開発事業として行っている、日本全国で1万人を対象とした「健康長寿社会の実現を目指した大規模認知症コホート研究」(研究責任者:二宮 利治)です。これは、日本人の生活環境と体質に適した認知症やうつ病予防対策法を確立することを目的とした、全国で最大規模の認知症研究です。日本の8地域(青森県弘前市、岩手県矢巾町、石川県中島町、東京都荒川区、島根県海士町、愛媛県中山町、福岡県久山町、熊本県荒尾市)において、高齢者を対象に、生活習慣調査や血液などの生体試料の提供を受け、認知症やうつ病、循環器疾患(脳卒中や虚血性心疾患)や寿命に関係する体質や生活習慣について分析しています。(ホームページ)
- *2 糖尿病
- 血液中の糖(血糖)の筋肉や脂肪、肝臓への吸収を促すインスリンというホルモンが不足したり、働きが悪くなったりすることで、血糖が上昇する疾患です。原因としては、遺伝の他に、肥満、過食・過飲、運動不足と言われる生活習慣の乱れがあります。高血糖の状態が長期間持続すると、全身の血管が障害され、さまざまな合併症を引き起こします。
- *3 インスリン
- 膵臓から分泌されるホルモンで、血糖の筋肉や脂肪、肝臓への吸収を促すことで、血糖を低下させる働きがあります。インスリンは神経系にも重要な役割を担っていると言われており、特に記憶や学習に関係している海馬においては、神経細胞死の抑制や、神経細胞の発生・自己再生の促進、アルツハイマー病で脳内に蓄積されるアミロイドという物質の脳内への蓄積の抑制、有害な物質からの神経細胞の保護をしていると考えられています。
- *4 海馬
- 海馬は側頭葉の内側に存在する、記憶の形成に重要な役割を果たしている部位です。左右に1つずつあり、小指ほどの大きさをしています。アルツハイマー病や血管障害や外傷、腫瘍、手術などで海馬が破壊されると、新しい情報を記憶することが難しくなります。
- *5 アルツハイマー病
- アルツハイマー病は、時間をかけて進行する脳の疾患で、記憶や思考する能力が徐々に障害され、やがて日常生活に支障を引き起こす認知症と呼ばれる状態に陥る病気です。アルツハイマー病の患者の脳内にはアミロイドという物質が溜まってできる老人斑という構造物や、異常な神経線維のもつれ(タウ蛋白が異常リン酸化して生じる神経原線維変化)、神経細胞の消失といった変化が見られ、これらの変化が長い時間をかけて進行し、海馬や大脳が萎縮していきます。
- *6 ヘモグロビン A1c (HbA1c)
- 血液を構成する成分の一つである赤血球。その赤血球にはヘモグロビンというタンパク質が含まれています。ヘモグロビンは全身の細胞に酸素を運ぶ働きをしています。このヘモグロビンに血液中のブドウ糖が結合すると糖化ヘモグロビンとなります。血液中のブドウ糖が多い(血糖が高い)と、糖化ヘモグロビンは多くなります。HbA1c は全てのヘモグロビンにおける糖化ヘモグロビンの割合であり、血糖が高いと HbA1c は高値となります。HbA1c は過去1~2か月の血糖の状態を反映します。
- *7 グリコアルブミン (GA)
- 血液の中にあるアルブミンというタンパク質に、ブドウ糖が結合するとグリコアルブミン (GA) となります。GA は血糖値の変化を鋭敏に反映し、GA を測定することで過去2~3週間の平均血糖値が分かります。
- *8 HOMA-β
- インスリンを分泌する能力の指標であり、早朝空腹時の血液中インスリン濃度と空腹時血糖値から算出されます。30%以下でインスリン分泌能が低下しているという判断となります。
- *9 HOMA-IR
- インスリンが分泌されているにもかかわらず、インスリンに身体が反応せず、各臓器にブドウ糖が吸収されにくい状態をインスリン抵抗性と言います。HOMA-IR はインスリン抵抗性の指標で、空腹時インスリン濃度と空腹時血糖値から算出されます。これが2.5以上でインスリン抵抗性があると判断されます。
- *10 MRI
- 磁気共鳴画像診断 (Magnetic Resonance Imaging: MRI) は強力な磁力と電波により臓器や血管を画像化する検査です。