2021.03.05
「膵臓部分切除術後の糖尿病発症に関与する因子の解明 」(病態制御内科学分野 小川佳宏教授)
膵臓部分切除術後の糖尿病発症に関与する因子の解明
~腸内環境と膵臓内分泌細胞の可塑性の重要性~
糖尿病は、膵臓のβ細胞に由来するインスリンの不足や作用低下による慢性的な高血糖に特徴付けられる症候群であり、日本では糖尿病が強く疑われる者あるいは糖尿病の可能性が否定できない者が約2000 万人いると推計されています。一方、膵臓部分切除術は、膵癌を含む腫瘍病変に対して施行されますが、腫瘍の発生部位により、手術術式は膵頭十二指腸切除術(PD)と膵体尾部切除術(DP)に大別されます。
九州大学大学院医学研究院の小川佳宏教授らの研究グループ(※)は、膵臓部分切除術前後の詳細な耐糖能の経時変化の解析により、いずれの術式も膵臓を半分程度切除するにもかかわらず、 PD ではDP と比較して術後5 年間の糖尿病の累積発症率が著しく低い値であることを見出しました。PD では、近位小腸のバイパス手術により術後6 ヶ月の腸内細菌叢の様相が著しく変化し、糞便中の短鎖脂肪酸と小腸のL 細胞に由来するインクレチンGLP-1 分泌の増加に伴ってインスリン分泌が増加して糖尿病発症に抑制的に作用することが示唆されました。一方、DP では、術後5 年間に約60%が糖尿病を発症しますが、切除膵臓の病理組織学的解析により、細胞の可塑性のマーカーであるALDH1A3 の発現増加を伴う膵島の腫大(膵臓β細胞面積の増大)が糖尿病発症に関連することが明らかになりました。
本研究結果で、術式により膵臓部分切除術後の糖尿病発症が異なることが明らかとなり、膵臓部分切除術後の糖尿病の発症予測とともに、糖尿病発症における腸内環境と膵内分泌細胞の可塑性の病態生理的意義が臨床的に証明されました。本研究成果は、膵臓部分切除術後のみならず通常の2 型糖尿病の発症機構の理解にも新しい洞察をもたらすものです。
九州大学大学院医学研究院の小川佳宏教授らの研究グループ(※)は、膵臓部分切除術前後の詳細な耐糖能の経時変化の解析により、いずれの術式も膵臓を半分程度切除するにもかかわらず、 PD ではDP と比較して術後5 年間の糖尿病の累積発症率が著しく低い値であることを見出しました。PD では、近位小腸のバイパス手術により術後6 ヶ月の腸内細菌叢の様相が著しく変化し、糞便中の短鎖脂肪酸と小腸のL 細胞に由来するインクレチンGLP-1 分泌の増加に伴ってインスリン分泌が増加して糖尿病発症に抑制的に作用することが示唆されました。一方、DP では、術後5 年間に約60%が糖尿病を発症しますが、切除膵臓の病理組織学的解析により、細胞の可塑性のマーカーであるALDH1A3 の発現増加を伴う膵島の腫大(膵臓β細胞面積の増大)が糖尿病発症に関連することが明らかになりました。
本研究結果で、術式により膵臓部分切除術後の糖尿病発症が異なることが明らかとなり、膵臓部分切除術後の糖尿病の発症予測とともに、糖尿病発症における腸内環境と膵内分泌細胞の可塑性の病態生理的意義が臨床的に証明されました。本研究成果は、膵臓部分切除術後のみならず通常の2 型糖尿病の発症機構の理解にも新しい洞察をもたらすものです。
研究者からひとこと:
本研究は、内科医と外科医の緊密な連携による膵臓部分切除術前後の詳細な耐糖能の解析により完成しました。臨床検体の解析にこだわり、若手の病棟担当医と大学院生が根気強く頑張 ってくれて、学部を越えた他施設共同研究により臨床的に重要なメッセージを発信することができました。
本研究は、内科医と外科医の緊密な連携による膵臓部分切除術前後の詳細な耐糖能の解析により完成しました。臨床検体の解析にこだわり、若手の病棟担当医と大学院生が根気強く頑張 ってくれて、学部を越えた他施設共同研究により臨床的に重要なメッセージを発信することができました。
(参考図)
左:膵頭十二指腸切除術(PD)では、近位小腸のバイパス手術により腸内環境が著しく変化し、GLP-1 分泌の増加に伴ってインスリン分泌が増加するため、術後糖尿病の発症率は低くなる。
右:膵体尾部切除術(DP)では、切除膵臓において内分泌細胞の可塑性増大を伴う膵島の腫大がある場合、インスリン分泌が低下して術後糖尿病の発症率が高くなる。
左:膵頭十二指腸切除術(PD)では、近位小腸のバイパス手術により腸内環境が著しく変化し、GLP-1 分泌の増加に伴ってインスリン分泌が増加するため、術後糖尿病の発症率は低くなる。
右:膵体尾部切除術(DP)では、切除膵臓において内分泌細胞の可塑性増大を伴う膵島の腫大がある場合、インスリン分泌が低下して術後糖尿病の発症率が高くなる。
【問い合わせ先】
九州大学大学院医学研究院 教授 小川 佳宏
TEL: 092-642-5275 FAX:092-642-5297
Mail: yogawa(a)med.kyushu-u.ac.jp
※(a)を@に置き換えてメールをご送信ください
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ポイント
【研究の背景】
膵臓は生体における血糖降下作用を有する唯一のホルモンであるインスリンを分泌する内分泌器官であるため、膵臓部分切除術後には糖尿病を発症する可能性が高くなります。膵臓部分切除術の術式は、膵臓の右側半分(膵頭部と膵体部の一部)と十二指腸を切除して近位小腸をバイパスする膵頭十二指腸切除術(pancreatoduodenectomy: PD)(注1)と膵体部の一部と膵尾部を切除する膵体尾部切除術(distal pancreatectomy: DP)(注2)に大別されますが、術式による術後糖尿病の発症率に差があるか否かについては複数の報告があり、一貫した結論が得られていませんでした。その要因として、過去の多くの研究において、膵臓手術の原因疾患として慢性膵炎や膵臓癌が多く含まれていたことが挙げられます。慢性膵炎や膵臓癌は疾患自体が耐糖能に影響すること、これらの疾患は死亡率が高いため長期の追跡が困難であることより、術式自体が術後糖尿病の発症にどの程度影響するのかは明らかではありませんでした。
【研究成果の概要】
本研究では、2 型糖尿病を発症しておらず、慢性膵炎や膵臓癌ではない患者を対象としました。PD を受けた患者は、DP を受けた患者より術後糖尿病の発症率が著しく低いことを見出しました(図1)。又、2つの術式では膵臓切除量が同程度であるにもかかわらず、PD を受けた患者では術後にインスリン分泌が増加していることが明らかになりました(図1)。次にPD ではどのような要因が術後耐糖能に影響するのかを検討しました。その結果、PD を受けた患者の腸内では術後に腸内細菌叢に著しい変化を生じること、短鎖脂肪酸の一つである酪酸の濃度とともに腸管内分泌ホルモンである glucagon like peptide-1 (GLP-1)(注3)の分泌が増加することを発見しました(図 2)。糞便中の酪酸(注4)とGLP-1 の分泌には正の相関関係が認められ、PD を受けた患者における GLP-1 分泌の増加は腸内の酪酸の増加による可能性が示唆されました。一方、DP を受けた患者では、膵島(注 5)のインスリンを分泌するβ細胞あるいはグルカゴンを分泌する細胞の膵臓に占める面積が大きい患者が術後に糖尿病を発症しやすいことを見出しました。更に、β細胞や細胞の膵臓に占める面積と膵臓内分泌細胞の可塑性(注 6)のマーカーであるアルデヒド脱水素酵素 1A3(ALDH1A3)(注 7)の発現に正の相関関係があることを発見しました(図 3)。
【研究成果の意義】
本研究では、膵臓部分切除術の術式により術後糖尿病の発症率に著しい差があること、近位小腸バイパス手術による腸内環境の変化あるいは切除した膵臓の病理組織学的特徴と術後糖尿病の発症の関連を明らかにしました(図4)。以上の研究成果は、膵臓部分切除術の術後糖尿病の発症予測に有用であるともに、通常の2 型糖尿病の発症機構の理解に新しい洞察をもたらすものです。今後、腸内環境や膵内分泌細胞の可塑性を標的とした新たな糖尿病治療法の開発が期待されます。
- 膵臓部分切除術後における耐糖能の詳細な追跡により、膵頭十二指腸切除術(PD)を受けた患者は、膵体尾部切除術(DP)を受けた患者より術後糖尿病の累積発症率が著しく低いことが明らかになりました。
- PD を受けた患者では腸内環境の変化が生じ、糞便中の腸内細菌叢の変化、酪酸を含む短鎖脂肪酸の増加、GLP-1 分泌の増加などが術後糖尿病の発症に抑制的に作用することが示唆されました。
- DP を受けた患者では、細胞の可塑性マーカーである ALDH1A3 の発現の増加を伴う膵島の腫大が術後糖尿病の発症に有意に関連していました。
- 本研究成果は、膵臓部分切除術の術後糖尿病の発症予測に有用であるとともに、通常の2 型糖尿病の発症機構の理解に新しい洞察をもたらすものです。
【研究の背景】
膵臓は生体における血糖降下作用を有する唯一のホルモンであるインスリンを分泌する内分泌器官であるため、膵臓部分切除術後には糖尿病を発症する可能性が高くなります。膵臓部分切除術の術式は、膵臓の右側半分(膵頭部と膵体部の一部)と十二指腸を切除して近位小腸をバイパスする膵頭十二指腸切除術(pancreatoduodenectomy: PD)(注1)と膵体部の一部と膵尾部を切除する膵体尾部切除術(distal pancreatectomy: DP)(注2)に大別されますが、術式による術後糖尿病の発症率に差があるか否かについては複数の報告があり、一貫した結論が得られていませんでした。その要因として、過去の多くの研究において、膵臓手術の原因疾患として慢性膵炎や膵臓癌が多く含まれていたことが挙げられます。慢性膵炎や膵臓癌は疾患自体が耐糖能に影響すること、これらの疾患は死亡率が高いため長期の追跡が困難であることより、術式自体が術後糖尿病の発症にどの程度影響するのかは明らかではありませんでした。
【研究成果の概要】
本研究では、2 型糖尿病を発症しておらず、慢性膵炎や膵臓癌ではない患者を対象としました。PD を受けた患者は、DP を受けた患者より術後糖尿病の発症率が著しく低いことを見出しました(図1)。又、2つの術式では膵臓切除量が同程度であるにもかかわらず、PD を受けた患者では術後にインスリン分泌が増加していることが明らかになりました(図1)。次にPD ではどのような要因が術後耐糖能に影響するのかを検討しました。その結果、PD を受けた患者の腸内では術後に腸内細菌叢に著しい変化を生じること、短鎖脂肪酸の一つである酪酸の濃度とともに腸管内分泌ホルモンである glucagon like peptide-1 (GLP-1)(注3)の分泌が増加することを発見しました(図 2)。糞便中の酪酸(注4)とGLP-1 の分泌には正の相関関係が認められ、PD を受けた患者における GLP-1 分泌の増加は腸内の酪酸の増加による可能性が示唆されました。一方、DP を受けた患者では、膵島(注 5)のインスリンを分泌するβ細胞あるいはグルカゴンを分泌する細胞の膵臓に占める面積が大きい患者が術後に糖尿病を発症しやすいことを見出しました。更に、β細胞や細胞の膵臓に占める面積と膵臓内分泌細胞の可塑性(注 6)のマーカーであるアルデヒド脱水素酵素 1A3(ALDH1A3)(注 7)の発現に正の相関関係があることを発見しました(図 3)。
【研究成果の意義】
本研究では、膵臓部分切除術の術式により術後糖尿病の発症率に著しい差があること、近位小腸バイパス手術による腸内環境の変化あるいは切除した膵臓の病理組織学的特徴と術後糖尿病の発症の関連を明らかにしました(図4)。以上の研究成果は、膵臓部分切除術の術後糖尿病の発症予測に有用であるともに、通常の2 型糖尿病の発症機構の理解に新しい洞察をもたらすものです。今後、腸内環境や膵内分泌細胞の可塑性を標的とした新たな糖尿病治療法の開発が期待されます。
【用語の解説】
(注1)膵頭十二指腸切除術(pancreatoduodenectomy: PD)
膵頭部(膵臓の右側部分)、胃の一部と小腸の一部である十二指腸を一括して切除し、近位小腸をバイパスする手術術式のこと。
(注1)膵頭十二指腸切除術(pancreatoduodenectomy: PD)
膵頭部(膵臓の右側部分)、胃の一部と小腸の一部である十二指腸を一括して切除し、近位小腸をバイパスする手術術式のこと。
(注2)膵体尾部切除術(distal pancreatectomy: DP)
膵体尾部(膵臓の左側部分)と脾臓を切除する手術術式のこと。PD と異なり、消化管の切除は施行されない。
膵体尾部(膵臓の左側部分)と脾臓を切除する手術術式のこと。PD と異なり、消化管の切除は施行されない。
(注3)GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1 [glucagon-like peptide-1])
小腸の L 細胞より分泌されて膵臓のランゲルハンス島(膵島)のβ細胞に作用し、インスリン分泌を促進するホルモン(インクレチン)で、血糖降下作用をもたらす。
小腸の L 細胞より分泌されて膵臓のランゲルハンス島(膵島)のβ細胞に作用し、インスリン分泌を促進するホルモン(インクレチン)で、血糖降下作用をもたらす。
(注4)酪酸
腸内細菌により産生される短鎖脂肪酸の一つであり、腸管のエネルギー源になるとともに、インクレチン産生を促進する働きがある。
腸内細菌により産生される短鎖脂肪酸の一つであり、腸管のエネルギー源になるとともに、インクレチン産生を促進する働きがある。
(注5)膵島
ランゲルハンス島とも呼ばれ、膵臓の内部にホルモンを分泌する内分泌細胞が集まって島状に散在している。インスリンを分泌するβ細胞やグルカゴンを分泌する細胞が含まれている。
ランゲルハンス島とも呼ばれ、膵臓の内部にホルモンを分泌する内分泌細胞が集まって島状に散在している。インスリンを分泌するβ細胞やグルカゴンを分泌する細胞が含まれている。
(注6)細胞の可塑性
内外の環境変化に応じて、細胞が性質を変えていくこと。
内外の環境変化に応じて、細胞が性質を変えていくこと。
(注7)アルデヒド脱水素酵素1A3(aldehyde dehydrogenase 1A3: ALDH1A3)
生体内に広く分布しているアルデヒドを代謝する酵素の一つであり、細胞の成熟度が下がった(未分化)時に発現が増加することが知られている。膵臓のβ細胞が未分化な状態になった時に発現が増加すると言われている。
生体内に広く分布しているアルデヒドを代謝する酵素の一つであり、細胞の成熟度が下がった(未分化)時に発現が増加することが知られている。膵臓のβ細胞が未分化な状態になった時に発現が増加すると言われている。
【論文情報】
掲載 誌:Diabetes Care
タイトル:Importance of Intestinal Environment and Cellular Plasticity of Islets in the Development of
Postpancreatectomy Diabetes
著者 名:Tatsuya Fukuda, Ryotaro Bouchi, Takato Takeuchi, Kikuko Amo-Shiinoki,Atsushiudo, Shinji Tanaka, Minoru Tanabe, Takumi Akashi, Kazuhiro Hirayama, Toshitaka Odamaki, Miki Igarashi, Ikuo Kimura, Katsuya Tanabe, Yukio Tanizawa, Tetsuya Yamada, and Yoshihiro Ogawa
DO I:https://doi.org/10.2337/dc20-0864
掲載日時:2021 年2 月24 日(水)午前0 時(EST/米国東部標準時間)オンライン掲載
掲載 誌:Diabetes Care
タイトル:Importance of Intestinal Environment and Cellular Plasticity of Islets in the Development of
Postpancreatectomy Diabetes
著者 名:Tatsuya Fukuda, Ryotaro Bouchi, Takato Takeuchi, Kikuko Amo-Shiinoki,Atsushiudo, Shinji Tanaka, Minoru Tanabe, Takumi Akashi, Kazuhiro Hirayama, Toshitaka Odamaki, Miki Igarashi, Ikuo Kimura, Katsuya Tanabe, Yukio Tanizawa, Tetsuya Yamada, and Yoshihiro Ogawa
DO I:https://doi.org/10.2337/dc20-0864
掲載日時:2021 年2 月24 日(水)午前0 時(EST/米国東部標準時間)オンライン掲載